10
視察は新婚夫婦とカロル、護衛にジルベール親子と数人の侍従という、少人数で行くことになった。この方が早く目的地に到達できる上に、命令系統がはっきりしているので何かあったときに小回りがきく。そう判断しての人数だ。
レオポールは家令ということもあり、そのまま城に残ることになった。
視察は往復だけで八日、全行程を合わせると半月ほどになる予定だ。その間、警備以外の城の者には暇を出しているので、レオポールが一緒に視察に来てもさしたる問題は起きないのだが、念のためにと彼は城を選んだ。
黒塗りの馬車を守るように馬が歩く。その中の一つに、本来馬車に乗っているはずの新婚夫婦がいた。
「わぁっ! 見てください、ヴァレッド様! とっても大きな牛ですわ! あっちには山羊もっ!」
「この辺は畜産が盛んな地域だからな」
ティアナを前に乗せたまま、ヴァレッドは素っ気なく答えた。
眼前に広がる平らな緑に目を輝かせるティアナとは対照的に、ヴァレッドは面白くなさそうに口を尖らせている。
「ヴァレッド様、どうかされましたか?」
ヴァレッドの態度が流石に気になったのか、ティアナは振り返りながら心配そうに眉を寄せた。
「別に、どうもしない」
怒っているというよりは拗ねているといった雰囲気の彼に、ティアナは少し首を捻った。そして、なにかを思いついたようにはっと顔を上げる。
「もしかして、レオポール様が城に残られたのが気に入らないのですか?」
「違う」
「じゃぁ、お腹でも空いて……」
「そんな理由なわけないだろう!」
ぴしゃりとそう言って、ヴァレッドは一つため息をついた。そして、幾分か優しくなった声色を落とす。
「悪かった。俺は大丈夫だから気にするな。そんなことよりもう半日以上も馬に乗ってるが、辛くないか?」
「はい! お気遣いありがとうございます。私は大丈夫ですわ。足が少しガクガクとして、鞍のところが腫れてしまいそうなぐらい痛むだけですわ!」
「いや、それは大丈夫じゃないだろう」
ヴァレッドの提案により、少しの間休憩することになった。移動時間節約のために昼食は馬の上で食べたので、馬に乗ってからはじめての休憩になる。
休憩場所は馬のためにと湖畔近くにした。
「ほら、降りてこい」
「ダメですわ、ヴァレッド様! 下敷きになってしまいます! 早く逃げてください!」
他の馬はもう湖のところに繋いでいるのに、ヴァレッド馬だけはその場を動けないでいた。
その理由はティアナが馬から下りられなくなっていたからだ。
ティアナは腕を馬の首に回しながら必死にしがみついている。普通の馬なら驚いてティアナを落としそうなものだが、比較的落ち着いたヴァレッドの馬は、鼻を鳴らすだけでティアナの行動を辛抱強く待っていた。
「もう足に力が入りません! このまま降りますので、ヴァレッド様はそこから逃げてください!」
「それは『降りる』というんじゃなくて、『落ちる』というんだ! いいからこっちに腕を伸ばしてこい! 後はなんとかしてやる!」
ヴァレッドはティアナの腕を取ろうとしているが、彼女はそれを真っ赤な顔で拒絶した。
「お、重いのでっ!」
「前に抱き上げたことだってあるだろうが! 今更恥ずかしがってどうする」
だんだんイライラしてきたのが、ヴァレッドの口調が強くなる。ティアナは珍しく狼狽えたような表情になった。
「だ、ダメです! あの時より太ってしまっているのです! 最近、ローゼが送ってくれたパイを沢山食べてしまって……」
「太って……?」
ヴァレッドはティアナの姿を上から下まで眺めて眉を寄せた。
「わからん。どうせ大して変わってないのだろう? 君にも女らしいめんどくさい部分があるんだな。俺は気にしないぞ」
「わ、私が気にするのですっ!」
いつにない強情な様子でティアナはヴァレッドの申し出を断る。前までの彼女なら素直にヴァレッドの手を取っていたはずだ。
最初にヴァレッドの馬を断ったことといい、どうにも様子がおかしい。
「そ、それに、ヴァレッド様にあまり触れて欲しくないんですっ!」
「は?」
あまり触れて欲しくない。その言葉の衝撃に、ヴァレッドは思わず固まった。少し顔が青く見えるのは、気のせいではないだろう。
「あ、あの、ですからっ! そこを退いてくださいますか?」
「……めだ」
「え?」
「だめだ。とりあえず、嫌でも安全に降りてもらう。話はそれからだ。……いつの間にそこまで嫌われてしまったんだ……」
最後の呟きは小さすぎてティアナには届かない。彼女は相変わらず、「でも……」だの「だって……」を繰り返している。
ヴァレッドは強引にティアナの腕を掴むと、自分の元へと引きずり降ろした。そして、足腰立たないティアナを抱き上げて馬車に連れ込んだ。そして馬車に自分も乗り込むと、まるで誰も入ってくるなというように、勢いよく扉を閉めた。
「ヴァレッド様……?」
ティアナは不安げにヴァレッドを見つめる。それもそのはずだ、ヴァレッドはあれから一言もしゃべらない。正面に座ったティアナを見つめるだけだ。
「あの……、先ほどはありがとうございました。馬に乗ったことはあるのですが、あんなに長時間乗ったことがなくて、ご迷惑をおかけしました」
「別にあのぐらいは迷惑でも何でもない」
しかめっ面のままヴァレッドは視線を逸らした。そして、言いかけては止めるを数回繰り返すと、意を決したように口を開いた。
「俺は君になにか……」
しかし、やはり言いかけて止めてしまう。暗い顔で「なにかどころか、色々しているな……」と呟き、彼はぐったりと俯いてしまった。
「ヴァレッド様? お体の調子が……?」
「そっちは問題ない。……そういえば、君のほうはどうなんだ?」
足腰の方はどうなのかと聞いてみれば、何を勘違いしたのかティアナはぽっと頬を染めた。
「先ほどよりは心拍数は収まってますが、まだ少し身体が火照っていて……」
「……何の話をしてるんだ?」
心拍数など意味のわからない単語が出てきて、ヴァレッドは首を傾げた。ティアナもヴァレッドと同時に首を傾げる。
「えっと、身体の調子を聞いてくださったのですよね?」
「そうだが、心拍数というのは……」
ティアナは少し赤みを帯びた頬を更に赤く染め上げて、恥ずかしそうに視線を逸らした。
「最近、ヴァレッド様とお話ししていると、なぜか脈拍が速くなるのです。顔も火照ってきてしまって……。おそらく、緊張しているだけだとは思うのですが」
「緊張……?」
オウムのようにヴァレッドが繰り返すと、ティアナは小さく「はい」と答えた。
「前まではこんなことなかったのですが、最近になって急に緊張するようになってしまったのです。触れられると更に顕著に表れるので、先ほどは触れて欲しくないと失礼なことを……。じ、実は馬に乗ってるときも緊張してしまって、体中に力が……」
ティアナは恥ずかしそうに顔を隠す。それを見ているヴァレッドの頬や耳も、つられたように赤く染まった。
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