05

「カロル、ごめんなさい……」

「謝らなくても良いですから、早くお身体治してくださいね」

 カロルはそう言いながら、寝台で横になるティアナの頭を撫でる。ティアナは鼻の頭まで掛け布団を被り、潤ませた瞳をカロルの方へ向けていた。その目尻と頬は赤く染まっている。

 ティアナは昨晩から体調を崩していた。新婚旅行に誘われたその日の夜、熱を出してしまったのだ。

 ティアナが春の終わりから夏にかけて体調を崩すのは毎年のことで、二日ほど寝てれば治ると二人は知っていた。なので医者を呼ぶことも無く、常備薬の熱冷ましを飲んで朝を迎えたのである。

「何か食べたいものや、飲みたいものはありますか? お持ちいたしますよ」

 カロルが優しい声でそう労れば、ティアナは悲しそうに眉を寄せた。

「ありがとう。それより、料理長さんに朝食の断りを入れておいてもらえますか? せっかく作っていただいた料理を残すのは勿体ないので、作られる前に間に合えば良いのだけれど……」

「それなら、私がもう昨晩のうちに断りを入れていますわ。レオポール様には先ほど。そろそろヴァレッド様にも伝わっている頃合いだと思いますよ?」

「さすがカロルだわ! 何から何までありがとう。いつも助かっています」

 ティアナが寝ながらお礼を言ったその時だった、廊下の方からなにやら聞き慣れた声が響いてくる。

 その言い争うような声はだんだん近づいてき、ティアナの部屋の前までやってきた。

『……を見舞って……が……いんだ!』

『それ……を別に……るつもりはあり……んが、順序が……と言って……ですっ! 女性は……につけて……が必要なん……よ!』

 途切れ途切れに聞こえてくる声はヴァレッドとレオポールのものだ。カロルは呆れたようにため息をつきながら扉を開ける。

 そこには案の定、言い合いをしている二人の姿があった。

「何をしてらっしゃるのですか? ティアナ様はお体の調子が悪いと報告したはずですが」

 いつもより低い声を剣呑に響かせながら、カロルは目の前の二人を睨みつけた。その形相にレオポールが小さく悲鳴を上げる。

「その報告は聞いた。だからこうして様子を見に……」

「私は止めましたからね。女性の部屋をいきなり訪れるのはマズいと! 昼間なら構わないでしょうが、準備で忙しい朝と、体調が悪いときはダメだとあれほど……」

 そう言いながら、レオポールは頭を抱えて小さく首を振る。顔には『駄目だこいつは……』と書かれているようだった。

 そんなレオポールにヴァレッドは眉を寄せた。

「じゃぁ、いつなら見舞えるんだ?」

「アポを取れと言ってるんでしょうがっ! いきなり訪れたら相手方が困ると言ってるんですっ! 女性に対する常識ですよ! 常識!」

「改めて思うが、女というのはめんどくさい生き物だな」

 ヴァレッドは眉を顰めて鼻筋を窪ませた。どうにも機嫌があまりよろしくないようだ。

 カロルはレオポールとヴァレッドを交互に見た後、後ろにいるティアナに視線を投げた。

「どうされますか?」

「もしかして、お二人とも私の様子を見に来てくださったのでしょうか?」

 ティアナが上半身をあげ、顔をほころばせる。カロル越しにその顔を見たヴァレッドは、目の前にいる彼女を押しのけて部屋の中に入ってきた。

そして、ティアナの側に椅子を持って行き、それに腰掛ける。

 気炎を上げると思っていたカロルは、仕方ないとため息を一つついただけだった。

「……大丈夫か?」

 椅子に座って数秒の無言の後、彼は探るようにそう聞いてきた。ティアナは嬉しそうに一つうなずいた後、いつもよりは少しだけ頼りない笑みをみせた。

「はい。心配してくださってありがとうございます。春の終わりから夏にかけて、少しだけ体調を崩しやすいんです。毎年のことですから二、三日様子を見てれば平気になりますわ」

「そうか。医者はなんと?」

「毎年の事で、熱があるだけですからお医者様には……」

 かかっていません、と言い終わる前にヴァレッドが後ろのカロルを睨みつけた。カロルはこれを予想していたようで、表情一つ動かさずにヴァレッドを見据えていた。

「己の主人を医者にも診せないなど、職務怠慢じゃないのか、カロル」

「言わせていただきますが、これはティアナ様と私の間で話し合って決めたことです。もう何年も仕えている私と、一ヶ月前に夫になった貴方とは経験則が違います。私は前の屋敷で医者の手伝いもしていました。腕前だけなら、そこら辺の町医者よりはあると自負しています。大概の薬なら調合できますし、他に何か病気の兆候などがあればすぐにわかります。ご安心を」

 どこか挑戦的に言い放って、カロルはつんと顎を逸らした。

「そう言えば、レオの胃薬を調合したのはお前だったな」

 ヴァレッドはカロルの態度に眉を寄せながらも、どこか安心したように「そうか」と一つ呟いた。

 そして、ヴァレッドはティアナに視線を戻す。

「朝食がまだだったろう? 何か食べたいものはあるか?」

「ヴァレッド様、お気遣いありがとうございます。私は大丈夫ですわ。……実は昨晩咳が酷くてなかなか寝付けなかったんです。なのでまだ頭がぼーとしていまして……」

 ダメですね、と笑うティアナにカロルは「咳止めを追加しておきますね」と優しく声をかける。

 そのやりとりを見ながら、ヴァレッドはまたカロルの方を向いた。

「今日は一緒に寝てやれ。夜に何かあったら困るだろう」

「だめですわ、ヴァレッド様! カロルにそこまで手間をかけさせてはっ……」

「いえ。私も同じ事を考えていたので、それは構わないのですが……」

 カロルが意味深にそこで言葉を切る。そして、にっこりと微笑みながらヴァレッドを見た。

「ヴァレッド様がティアナ様とご一緒に寝れば良いんじゃないでしょうか? もう結婚なさってるんですよね? お二人とも」

「なっ!」

「そうですよ! 一緒に寝れば万事解決じゃないですか! ヴァレッド様は必要以上にティアナ様の心配をしなくても済むし、カロルさんはちゃんと休める! 私だって将来の心配をしなくても良くなるかもしれない!」

 レオポールのまさかの裏切りにヴァレッドの顔は固まった。じわじわと耳まで赤くして、金魚のように口を開閉させている。

「ま、ヴァレッド様とティアナ様がご一緒することになっても私は隣の部屋で控えさせて貰いますから、あまり変わりがありませんが」

「お前達は、この俺に女と同衾しろと言うのか!? そんな不埒なこと出来るかっ!」

 反射的に叫びながらヴァレッドは立ち上がる。レオポールはそんな狼狽える主人に大股で詰め寄った。

「いや、不埒なことをして良い間柄なんですよ、あなたたちは! 夫婦ですよ! ふ・う・ふ! 私は積極的に不埒なことをしていって欲しいと、切に、切に願っていますっ! レッツ不埒です! ヴァレッド様!」

「レオっ!? お前自分がなに言ってるのかわかってるか!? ティアナ、お前も何か言え! 一世一代の危機だぞ!」

 まるで助けを求めるようにティアナの方を見れば、手前のカロルが笑いを堪えている様子が目に入る。

「そうですか。危機を与える自覚はおありですか」

「ヴァレッド様、その意気です!」

「二人とも黙れっ!」

 ヴァレッドが赤い顔でそう怒鳴ると、ティアナがきらきらとした瞳でヴァレッドを見ているのがわかった。瞬間、ヴァレッドの額に冷や汗が滲む。

「ヴァレッド様とお泊まり会! とっても楽しそうですわ!」

 その言葉にヴァレッドは沈み、レオポールはガッツポーズを掲げるのであった。

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