04
「そんなにその小説が好きなんだな」
「はい、とっても!」
弾けるような笑みでそう言って、ティアナは嬉しそうに口元を本で隠した。その様子にヴァレッドの眉尻も下がる。
「その本、今度貸してもらえるか? 君がそんなに良いというなら、俺も最初から読んでみたいんだ。君のようにその物語を好きになれるかどうかは別だが……」
「もちろんです! とっても素敵なお話なのでヴァレッド様もきっと好きになってくださいますわ! 最初から読まれるのでしたらまだ先のことになるとは思うのですが、私はこの巻が一番好きなんです! ふふふ、ヴァレッド様と語れる日が来るのが待ち遠しいですわ」
頬を染めながら嬉しそうにそう言うと、ヴァレッドはふっとティアナから視線を外した。その顔はいつもよりどことなく赤いような気がする。
その様子にティアナは小首を傾げた。
「ヴァレッド様? どこか……」
「その巻はどんな話なんだ? さっきは冒頭しか読めなかったからな」
彼女の言葉に被せるようにヴァレッドは早口でそう言う。ティアナは彼のその言葉に本を抱きしめながらまるで物語に浸るように目を閉じた。
「この巻の物語は、国を失い追っ手に追われる身になった異国の姫、エミリーヌと、禁忌の魔法に手を出した魔法使い、ジェロが幾多の困難を乗り越えて結婚した後の物語なのですわ! 二人は今までの旅をなぞるように
「……新婚旅行か……」
「はい! ファンの間でこの巻は『新婚旅行編』と呼ばれているんです。本当のタイトルは『再会の旅と愛の歌劇場』なのですけれど」
ふふふ、とティアナは可笑しそうに笑う。ヴァレッドはそのタイトルに少しだけ首を捻った。
「再会の旅というのはわかるが、歌劇場というのは?」
「旅の最後に二人は歌劇場に向かうんです。そこで二人はオペラを観ながら、これまでのこと、そしてこれからのことを語り合うんですの! そこでジェロがはじめて自分の過去を自ら語り出して……それが本当に、泣けて……っ」
「ティアナ!?」
物語を思い出したのか、ティアナの瞳にじわりと涙が浮かぶ。それを見て、ヴァレッドはこれまでにないぐらい狼狽えた。慌てて胸にしまってあったハンカチを取り出すと、ティアナの目元を拭う。
ティアナは、それにお礼を言うと恥ずかしそうに笑みを零した。そして、ヴァレッドの手元にあるハンカチを見て、小さく声を上げる。
「それ、私の……」
「あぁ、結婚式の時にもらったやつだな」
「使ってくださってるのですね! 嬉しい!」
ヴァレッドの手元にあるのはティアナが結婚式の時に送った刺繍入りのハンカチだ。薔薇を中心にヴァレッドとレオポールの名前が刺繍してあるそれを、彼はいつも胸元に入れていた。
「君は……指輪はつけていないのか?」
ハンカチのことで思い出したのだろう。ヴァレッドはティアナの左手を見てどこか残念そうに呟いた。気落ちしてると言っても良いだろう。
ティアナはそんなヴァレッドの様子に気づくこともなく、少しだけ困ったような顔をした。
「ヴァレッド様に貰ったと思ったら、なんだかつけるのがもったいなくて……」
「……そうか」
「だから、こうして身につけているんです」
そう言ってティアナは首にかけてある細い鎖をたぐり寄せた。胸元にしまってあったその先を取り出すと、ティアナはヴァレッドにそれを掲げてみせた。
「指につけてると指輪に傷が出来てしまいそうで」
その先についていたのはヴァレッドがティアナに送った指輪だった。ヴァレッドの瞳と同じ色をした石が日の光を浴びてきらきらと光っている。
「そうか」
先ほどと同じ言葉なのに、その声はどこか安心しているような響きを含んでいた。
「そんなに高いものじゃないんだから指につければ良いだろう?」
「ヴァレッド様には高価でなくとも、私にとっては十分すぎるぐらい高価なものですわ。それに、こういうのは値段より誰から貰ったかの方が重要なのです!」
まるで一生の宝物を扱うように、ティアナは指輪を両手で包む。ヴァレッドは緩む口元を隠しながら、一つ咳払いをした。
「まぁ、もう君のものなのだから、好きにすれば良い」
「ヴァレッド様、ありがとうございます! 大切にしますね」
「あぁ。……それにしても、新婚旅行か……」
呟くようにそう言われて、ティアナは目を瞬かせた。
「ヴァレッド様?」
「君は新婚旅行に行きたいか?」
「へ?」
「俺たちも一応、……新婚だろう?」
思いがけない問いにティアナの頬は緩んだ。その表情を悟られまいと必死に両手で隠すが、時すでに遅し。
ヴァレッドはティアナの表情から、彼女の返答を読み取っていた。
「行きたいところのリクエストはあるか?」
「新婚旅行の……ですか……?」
「まぁ、視察も兼ねてだがな。そろそろそういう時期なんだ。今回の視察は南方か北東の方に行こうと思っていたから、その方面の地域だと助かる」
視察のついでの新婚旅行。ティアナにはそれでも十分だった。まさかヴァレッドの方からそんな提案をしてくれるだなんて夢にも思わなかった。
ティアナは頬を上気させると、両手を胸に当てる。まるでそれは、早く鳴る心臓を落ち着かせているようだった。
「あのっ、もし一つだけお願いを聞いてもらえるなら、……私、歌劇場を見てみたいです!」
◆◇◆
「ご機嫌ですね、ティアナ様」
「ふふふ、そうかしら?」
ティアナは上機嫌で自室の寝台に寝そべっていた。胸に抱くのは彼女が大好きなかの本である。くるくるとシーツを巻き付けながら転がる主人をカロルも嬉しそうに眺めていた。
「それにしても新婚旅行とは、ヴァレッド様もなかなかやりますね」
「今からとっても楽しみですわ! それに、歌劇場がある街を探してくださるともおっしゃってたの! どんな場所なのかしら……。話には聞くのだけど行ったことは無かったから、もう楽しみでしょうがないの!」
本で火照った顔を隠しながら、ティアナは笑みを溢れさせた。想像ばかりが膨らんで、頭がだんだん熱を帯びてくる。
「オペラ、観れると良いですね」
ティアナが前々から、それこそ小説を読む前からオペラを観たいと言っていたのを、カロルは知っていた。
ティアナは赤い顔を本の上から覗かせて、甘えるような声を出す。
「カロル、一緒に観に行ってくれるかしら?」
「私は構いませんが、そこはヴァレッド様を誘われないのですか?」
「え?」
まるで、考えたことも無かったというような顔をして、ティアナが固まる。
「新婚旅行、なのでしょう?」
気持ちを促すようにカロルがそう言えば、ティアナはますます頬を赤く染め上げた。
「ヴァレッド様、私と一緒に行ってくれるかしら……」
「きっと大丈夫ですよ」
その言葉にティアナは顔をくしゃりと潰すようにして笑うのだった。
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