29

 ローゼが城に居着いて四日がたった。

 城の中でのローゼは、美しく品行方正でおしとやかな理想の女性を体現していた。ティアナやカロルに対して見せる幼さや無邪気さなんてものは、針の先さえも感じさせない。

 その美しくも清らかな姿に、男だらけの城内はにわかにざわついた。その中の一部の者たちをローゼは密かに魅了し、自分の手駒としていく。そしてその手駒達はローゼこそがヴァレッドの奥方にふさわしいのだと、熱せられたように吹聴して歩くのだ。

 そのせいで、最近使用人たちの間ではどちらが奥方にふさわしいか論争になっているのだという。

 着々と自分が住みやすいように周りを整えていくローゼの手腕に一番舌を巻いたのは、留守を任せられているレオポールだった。レオポールとしては城の中に広がった不穏な芽を一刻も早く取り除きたい。出来ることなら妻の座を狙うローゼにも出て行ってほしい。しかし、レオポールにはローゼを追い出すことが出来ないでいた。

 なぜなら、ローゼの滞在を許したのは、この城の主人であるヴァレッド・ドミニエル公爵だからである。

 レオポールは主人であるヴァレッドの決定を跳ね除け、客人であるローゼを追い出すことは出来ない。もちろん、まだ妻ではないティアナにもヴァレッドの客人は追い返せない。

 出来るのはただ一人、この屋敷の主人であるヴァレッドだけなのだ。そして、その彼はあと数日帰ってこない予定である。


 ティアナはいつもの薔薇園で刺繍をしながら小さくため息を付いた。いつもより騒がしい周りの声に耳を傾ければ、そこら中でローゼを賞賛するような声が聞こえてくる。

 それもそうだ、ローゼは『社交界の薔薇』と呼ばれるほどの美女なのだ。その立っているだけで絵になるような彼女が、今はたおやかな女性を演じている。その姿はまさに理想の女性であり、彼らにとっては理想の女主人なのだろう。

 実の妹への賞賛ということで、ティアナは少し誇らしい気持ちになりながらも、俯いた頭を上げることができないでいた。いつもの腹の底から沸きあがるような元気も今は枯れてしまっている。


『彼女と結婚するのはただ都合がいいからだ。別に彼女じゃなくても、この城から逃げ出さずに、俺の言うことを聞いてくれる女性なら、俺は誰でもっ……』


 そんな落ち込んだ気持ちを加速させるようにヴァレッドの声が耳の奥で蘇った。

「ヴァレッド様はローゼでもいいんでしょうか?」

 思わずそうつぶやくと、またヴァレッドの声が頭を揺さぶってくる。


『もう君の顔なんて見たくないっ』

『しばらく声を掛けてくるな』


「……ヴァレッド様はローゼの方がいいんでしょうね」

 その言葉と共にティアナの手はぴたりと止まった。手の中では薔薇の花がこれでもかと咲き誇っている。そしてその下に刻んでいる文字はヴァレッドの名だった。その薔薇の花とヴァレッドの名が妙に似合っているような気がして、ティアナは苦しくなった胸の内を隠すようにそのハンカチをぎゅっと抱いた。

「ローゼには何も敵わないわね」

 幼い頃から美しく、何事も器用にこなすローゼと、ティアナはいつも比べられていた。勉学と刺繍の腕だけはローゼより優れていたが、それ以外は全て負けていたと言っても過言ではない。マナーの講習にしたって、楽器の演奏にしたって、ローゼはティアナの十分の一程しか練習していないのに、他の誰よりも完璧にこなすことが出来るのだ。

 両親もそんなローゼに期待をしていたし、ティアナだって姉として誇らしく思っていた。悔しいという感情が一回も沸かなかったわけではないのだが、それ以上に素敵な妹をもてて幸せだという感情の方がずっと上回っていた。

 だから、新しく誂えたドレスを取られても、お気に入りのブローチを取られても『ローゼの方が似合うのだから仕方がない』と自分を慰める事が出来たのだ。結婚相手だったフレデリクを寝取られた時は流石に驚いたし落ち込んだが、結局は『ローゼを選んだのなら仕方がない』と納得した。

 しかし、なぜか今回ばかりはそんな感情が沸いてこなかった。『仕方ない』と思うことが出来ない。

 誘拐事件で自分はヴァレッドに嫌われてしまっただろう。そんな中、美しくて完璧なローゼが代わりに妻になりたいと申し込んできたら、きっとヴァレッドは彼女を選ぶ。ティアナはそう思っていた。

「目の前でローゼを選ばれたら、……流石にショックですわね」

 想像するだけで鼻の奥がツンと痛み、視界がぼやけた。吐いた息は愁いを帯びていて、ティアナはどこか諦めているような笑みを顔に張り付けた。

「帰れと言われる前に、自分で出て行った方が良いかもしれませんね。こんな顔、見せるわけにはいきませんもの」

 流れそうになった涙を袖でゴシゴシと拭うと、ティアナはまたハンカチに針を刺し始めた。


◆◇◆


「そもそも何故、ヴァレッド様はローゼ様の滞在許可書にサインを? 子供が出来たかもしれないと輿入れを断った張本人ですよ? あの方が一番嫌いそうな女性のタイプじゃないですか!」

 そう気炎を上げるカロルにレオポールはため息をついた。

 二人が居るのは、レオポールに用意された私室だ。ローゼの目にあまる行動を愚痴りに来たカロルは、ソファーに座ったまま親指の爪をぎりりと噛みしめる。

「それは、ローゼ様がティアナ様の妹君だったからですよ。王都に出発する前、数日前から届いていた滞在許可書にサインをしたのは確かにヴァレッド様ですが、アレはあの方なりの気遣いだったんです」

「……どういうことですか?」

 不機嫌さを滲ませた声を出しながら、カロルはレオポールを睨みつける。レオポールはそれにたじろぎながらも理由を話しはじめた。

「本当はローゼ様を滞在なんてさせる予定はなかったのですが、誘拐事件の後、ヴァレッド様はティアナ様に少し言い過ぎてしまったみたいで……。その罪滅ぼしに、自分がいない間姉妹で和気藹々とされてたらいいと……」

「ローゼ様が城に来て、ティアナ様が喜ぶとでも!? いや、ティアナ様は底知れぬお人好しですから喜ぶには喜ぶでしょうが、絶対良くないことになるのは目に見えているでしょう! あの方はティアナ様の結婚相手を寝取った女ですよ!?」

 その言葉にレオポールは、眉間の皺を揉みながら申し訳なさそうな声を出す。

「……それはこちらの調査不足が原因です。まさかローゼ様のお相手だった男性がティアナ様の元夫だとは夢にも思わなかったんですよ。だから姉妹の関係は良好なのだと。いや、良好は良好なのでしょうね。ティアナ様は途方もないお人好しですから……」

「ホント、なんであの姉妹仲が良いんでしょうね」

「さあ?」

 そう言いながら二人が同時にため息を付いた時、扉が規則正しく二回ノックされた。レオポールが素早く扉を開けると、その奥にはティアナが立っている。

「ティアナ様? どうしてこんなところに」

「レオポール様に少しお話ししたいことがありまして……」

 そう言うティアナの困ったような表情を見て、レオポールの背に冷や汗が流れた。なんだかとてつもなく嫌な予感がする。その思いを肯定するかのようにティアナはゆっくりと言葉を紡ぎ出した。

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