28

 ローゼの意味ありげな台詞に素早く反応したのはカロルだった。彼女は唇を真一文字に結んだ後、ローゼを諫めるように鋭い声を出す。

「ローゼ様にはフレデリク様が居られますでしょう? ティアナ様から寝取られたのに、彼ではご不満とでも仰られるのですか?」

「あら、カロル『寝取った』なんてあんまりね。彼が私を選んでくれたのよ。まぁ、フレデリク様と私はもう関係のない間柄なんだけどね」

 ローゼは頬に手を当てながら、悪びれる様子もなくそう言った。

 フレデリクというのはティアナの元夫のことだ。

『彼との間に子供が出来たかもしれない』

 一ヶ月前、ローゼは家族にそう切り出した。そして、ドミニエル公爵とは結婚出来ないと両親に宣言したのである。そんな彼とローゼはもう関係のない間柄だと言うのだ。その言葉が指す意味を素早く理解したカロルは怒りで顔を真っ赤にさせた。

「もしかして、別れたのですか!? 一ヶ月前は子供が出来たかも知れないとあんなに騒いでおられたのに? 彼がティアナ様の結婚相手だったということを、貴女はお忘れですか!?」

 そのカロルの剣幕にローゼは思わずティアナの背中に隠れた。姉を盾に取った妹は首から上だけをカロルに見せながら、可愛らしく口をすぼめる。

「おねぇちゃん、カロルが怖いー! ……だって、子供出来てなかったんだもん。それなら別にフレデリク様と一緒になる必要はないしー!」

「貴女という人はっ!!」

 可愛らしく拗ねるローゼを、カロルは般若の形相で睨んだ。それを取りなすのは一番の被害者であるティアナである。彼女は背中に張り付いたローゼを引き剥がし、今にも噛みつかんばかりのカロルをどうどうと落ち着かせた。

「カロル、私のために怒ってくださるのはとても嬉しいのだけど、今は落ち着いて。ローゼもあまりカロルを怒らせることを言わないの」

「はぁい」

「ですがっ、ティアナ様っ!」

 気持ちが収まらず、カロルは更に気炎を上げた。それをティアナの優しい声がやんわりと止める。

「私のために怒ってくれてありがとう、カロル。本当に嬉しいですわ。でも私、ローゼのおかげでヴァレッド様に出会えたと思うの。だから……」

 あまり怒らないであげて? と言外に言われ、カロルはようやく怒りの矛を収めた。そんな二人を眺めながら、ローゼは新しいおもちゃを見つけたような笑みを浮かべる。そして、まるで何かを強請るような猫撫で声を出した。

「ねぇ、おねぇちゃん。ヴァレッド様ってそんなにいい人なの?」

「ええ、とっても! すごくお優しい方ですし、素敵な方ですわ。本当に、私にはもったいないぐらいで……」

 ティアナは頬に両手を当てながら、顔を綻ばせる。頭に浮かぶのは、もちろんヴァレッドの顔だ。想像の中の彼は鋭い視線をティアナに向ける。その瞬間、ティアナは昨夜の彼の様子と部屋の前で聞いた言葉を思い出した。

『彼女と結婚するのはただ都合がいいからだ。別に彼女じゃなくても……』

 脳内で再生されたその台詞に胃がぎゅっと押しつぶされる。自然と俯いたティアナの耳朶に響いたのはローゼのとんでもない一言だった。

「もったいないの? じゃぁ、私にちょうだい!」

「へ?」

「はぁ!?」

 落ち込みかけていた気分が一気に霧散する。隣を見ればカロルがまた顔を真っ赤に怒らせて、目を剥いていた。

「だって、私の方がおねぇちゃんよりいい女だし、ヴァレッド様だって、どうしてもおねぇちゃんと結婚したいってわけじゃないんでしょう? 書状には誰でもいいみたいなこと書いてあったじゃない!」

「もうっ! もうっ! 我慢なりませんっ! ローゼ様、いい加減にしてくださいませっ!! 貴女はティアナ様をなんだと……」

「そもそもこの縁談って、私に来た縁談だし。だから、『ちょうだい』じゃなくて、『返して』おねぇちゃん!」

 まるで拒否されるとは露程にも思っていない顔で、ローゼはティアナに満面の笑みを向けた。その顔を向けられたティアナは何が起こっているのか理解できないというような、困惑した表情を浮かべている。

「ね? いいでしょ?」

「ダメに決まっていますでしょうっ!」

 そう答えたのはカロルだった。ローゼはそんなカロルの怒りがまるで理解できないかのように、無邪気に頬を膨らませている。

「私はカロルじゃなくて、おねぇちゃんに聞いてるんだけど……。ね、いいでしょ? おねぇちゃん」

「それは……」

 ティアナがさすがに渋るような声を出すと、ローゼの顔は急に曇った。口をへの字に曲げてティアナを睨みつける。

「おねぇちゃん、私の物とるんだ。ふーん」

「ヴァレッド様は貴女の物ではないでしょう!」

「だから、カロルには聞いてないでしょ」

 半眼になったローゼは口を曲げながら低い声を出した。そして、いきなり踵を返し部屋を出て行こうとする。どこに行くのかとティアナが問えば、「ヴァレッド様のお部屋」という無邪気な答えが返ってきた。ティアナが首を縦に振らないのなら本人に頼みに行くということなのだろう。

 そんなローゼにカロルは勝ち誇ったような声を出す。

「ローゼ様、残念でした。ヴァレッド様は今日から一週間王都に出向いており、こちらには帰ってこられません。ヴァレッド様のことは諦めて今すぐにお帰りください」

 いい笑顔でカロルがそう言えば、ローゼも満面の笑みを浮かべ響くような声を出した。

「ちょうど良かった! 私、今日から一週間こちらにお世話になる予定だったの!」

 その台詞にカロルもティアナも絶句した。そんな二人を尻目にローゼはサファイア色の瞳をゆっくりと細める。

「ヴァレッド様が帰ってきたら、私とおねぇちゃんのどっちが良いか本人に聞いてみようね?」

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