30

 ヴァレッドの領地であるテオベルグ地方から王都までは、単騎で飛ばして二日半かかる。往復だけで五日、国王への謁見も含めれば六日はかかる行程をヴァレッドはわずか五日で城に帰ってきた。

 馬を嘶かせ、馬屋に愛馬を戻すと、にわかに城がざわついていることに気が付く。事前に今日帰ると城に使者を送っていたので、そのためかと一瞬思ったが、どうやら違うようだ。城主を出迎えるためというより、若干混乱しているというような雰囲気が城から伝わってきて、ヴァレッドは城へと続くアプローチを歩きながら首を捻った。すると、城の方から見慣れた姿がこちらに駆けてくるのがみえる。

「あぁ、レオ。どうしたんだ? 城の様子が……」

「ヴァレッド様っ!!」

 いつになく真剣な声色と表情でレオポールがヴァレッドに駆け寄った。そして、肩をつかんでヴァレッドにしか聞こえないぐらいの声を出す。

「ティアナ様がたった今、城から出て行きました!」

「――――っ」

 レオポールの言葉にヴァレッドは息を呑んだ。目を見開いたまま固まってしまっている主人を尻目にレオポールは更に続ける。

「すぐ追いかけてください! この地を離れる前に孤児院の子供たちに挨拶をしたいと仰ってたので、今はそちらにいると思います。私ではお止めできなくて、本当に……」

 レオポールが最後まで言い終わる前にヴァレッドは踵を返した。額には冷や汗が滲んでいる。再び愛馬の元へ戻ると、彼は瞬く間に飛び乗った。そのまま駆け出すのかと思ったが、ヴァレッドは鞍の上で眉間に皺を寄せ固まってしまっている。

「どうしたんですか? 早く追われないと、本当に帰られてしまいますよ!?」

 固まるヴァレッドの尻を叩くようにそう言うと、彼は皺の寄ったままの眉間をレオポールに向けた。そして伺うような、何か大事なことを確かめるような声を出す。

「……何故出て行った?」

「は?」

「ティアナは何故出て行ったんだ? 俺のことが嫌になったのなら追いかけても答えは一緒だろう?」

 ティアナがこの城に来て一ヶ月。ヴァレッドは自分の彼女へ対する態度が、彼女にとって好印象なものではないと自覚していた。罵りもしたし、猜疑的な事を言ったりもした。時には無視をしたり、素っ気ない態度を取ったりもした。普通の女性ならめげてしまう程の言動を、彼女はいつも笑顔で受け止める。だから、ティアナはどんなことをしても出て行かないとヴァレッドは思いこんでいたのだ。

 しかし、ティアナはヴァレッドの留守を狙うかのように出て行った。もういい加減愛想を尽かされたのかもしれないと、ヴァレッドの表情は硬くなる。

 その不安げな表情と台詞にレオポールは片眼鏡を落としそうになった。気の抜けたような表情に少し笑みを浮かべて、レオポールは目を細める。

「……貴方が女性に嫌われるのを恐れる日が来るなんて、思いませんでした」

「恐れてなどいないっ! ただ、……無駄なことはしたくないだけだ」

 ヴァレッドはそう言いながら視線を泳がせる。本当にそう思っていないことは明白で、レオポールはそんなヴァレッドを安心させるような優しい声を出した。

「ティアナ様は今でもヴァレッド様の奥方になりたいのだと思いますよ? ただ少し、やっかいな人が現れまして……」

「やっかいな人?」

「まぁ、それは帰ってからに致しましょう。ほら、早く追わないとティアナ様が実家に帰られてしまいますよ」

「わかっているっ!」

 その怒声と共にヴァレッドは馬の腹を蹴る。駆け出した主の背を見ながらレオポールは苦笑を漏らした。

「すみません。ヴァレッド様」


◆◇◆


 子供達に会いに来たティアナはすごく上機嫌だった。劣悪な環境だった前の孤児院とは違い、ザール達は楽しそうに施設で生活をしている。そんな彼らと久しぶりに会ったティアナは教会の敷地内を駆け回るようにして、彼らとの追いかけっこを楽しんでいた。

 いつものように付いてきてくれたカロルと護衛の兵士は少し離れた木陰でティアナの事を見守っている。

「ティアナっ!」

 ちょうどザールを捕まえようとした時、彼女を呼ぶ鋭い声が耳朶に突き刺さった。

「え? ヴァレッド様?」

 走っていた足を止めてティアナは目を瞬かせる。振り返ると、肩で息をしているヴァレッドがゆっくりとこちらに近づいてくるのが見えた。久しぶりに会うヴァレッドにティアナの顔は自然と綻ぶ。そして『声を掛けてくるな』と言われたことも忘れ、浮ついた唇で弾けるような声を出した。

「お帰りなさいませ、ヴァレッド様。お帰りはもう少し後だと聞いていましたのに、お早いお帰りだったのですね。……あら、でも、どうしてこちらへ?」

 きょとんと首を傾げるティアナにヴァレッドは腹立たしげに詰め寄る。そして、もう少しで触れるのではないかという距離まで近づいて、低い唸るような声を出した。

「君を迎えに来たに決まっているだろう」

「え? どうしてですか? 私自分で……」

「それは、……俺が帰したくなかったからだっ!」

 ぴしゃりとそう言われて、ティアナは困惑したような表情になった。『帰したくない』というのは、城に、と言うことだろうか。ならばティアナはたった今ヴァレッドに『城に帰ってくるな』と言われたことになる。

 ティアナはヴァレッドの言葉をそう理解して、しょんぼりとうなだれた。やはり彼はローゼを選んだということなのだろうか。だから自分にはもう城に帰るなと言うのだろうか。ティアナは急に熱くなった目頭に涙を滲ませながら、消え入るような声を出した。

「私、帰ってはいけませんか?」

「何でそんなに帰りたがるんだっ! そんなに帰りたいのかっ!?」

 その強い語尾にティアナはますますうなだれた。

 ティアナだって一度はヴァレッドの元を去ろうと思った。しかし、相談に行った先で焦ったようなレオポールとカロルに、何度も考え直してほしいと言われたので思いとどまったのだ。

 しかし、こんな風に言われるのなら、やはりヴァレッドが帰ってくる前に城を去った方が良かったのではないかという思いが頭をもたげる。

「……もうお声も掛けませんし、できるだけ顔も合わせないようにします。それでも駄目ですか?」

「意味がわからないっ! もう声も掛けたくし、顔も合わせたくないということか!? それ程までに俺の側にいたくないということか? 俺の今までの言動が君をそこまで傷つけたのなら謝る。……だから、もう一度考え直してくれないか?」

「ヴァレッド様?」

 意味がわからないと言うような表情でティアナがヴァレッドを見上げる。そんな彼女の腕をとり、ヴァレッドはティアナを自ら腕の中にそっと収めた。

「こんなに近くにいて不快にならないのは君が初めてなんだ。……一緒になるなら君がいい」

「一緒に?」

 それはまるで結婚の約束を交わす男女のような台詞だった。ティアナは意味がわからず、まるでオウムのようにヴァレッドの言葉を繰り返す。すると、ヴァレッドは頬と耳を真っ赤にさせて目を怒らせた。

「結婚するなら君がいいと言っているんだっ!」

「へ?」

 ようやく言葉の意味が飲み込めたティアナの体温が、これでもかと上昇していく。全身を真っ赤に染め上げて、まるで金魚のように口をぱくぱくと開閉させた。

「で、でも、ヴァレッド様は先ほど『城に帰したくない』と……」

「なっ、違うっ! 俺が言ったのは、『城に帰したくない』ではなく『実家に帰したくない』だっ! レオから君が実家に帰るために城を出たと聞いたから……っ!」

「え? 私、そんな事……。確かに昨日相談には伺いましたが、レオポール様とカロルが止めるので考え直したんです。だから今日はザール達に会いに教会に来ていただけですわ」

「つまり、一度は考えたという事かっ! 君は俺に黙って出て行くつもりだったと!?」

 いきなり変わった怒りの矛先にティアナがたじろぐと、そんなヴァレッドを諫めるような声が背後からかけられた。

「それまでにしてくださいませ、ヴァレッド様。それ以上怒られるとティアナ様も怯えてしまいますよ?」

「カロル……」

 まるで忌々しい物を見るような目でヴァレッドはカロルを睨んだ。そんな視線をものともせずに彼女は言葉を続ける。

「なにはともあれ、お二人が仲良くなられたようで良かったですわ。ティアナ様のあんな思い詰めた表情、私もう見たくはありませんもの」

「これは、お前とレオが?」

「何のお話ですか? それにしても街に出られたティアナ様を出て行ったと勘違いされるなんてレオポール様ってばそそっかしいんですね」

 カロルはわざとらしくそう言いながら、にっこりと微笑んだ。

「お二人の想いも通じましたし。さぁ、鬼退治に参りましょうか!」

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