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「それじゃ、行きましょうか」

 そう言って神父はティアナの腕を引いた。壁際で意識を失っているカロルに兵士姿の男がじっとりと張り付く。ティアナが余計な真似をすればすぐにカロルを殺すぞという脅しらしい。腕を引かれるままティアナは歩き出す。そうして、いつもの明るい声とは正反対の冷静な声を響かせた。

「ヴァレッド様が女嫌いと言うことはご存じですか?」

 今にも自分をさらおうとする男に対して丁寧すぎるその言葉に、神父は少し目を細めてティアナを見返す。

「知っていますよ。……それが何か?」

 何を考えているんだ? そう言いたげなその視線にティアナは目を逸らして振り返った。その視線の先にはぐったりと壁にもたれ掛かるカロルがいる。

「もしかしたら、カロルの言うことをヴァレッド様は信じてくださらないかもしれません。あの方は女性の言うことを何一つ信じてくれませんから……」

 ティアナは震えそうになる声を堪えながらそう言った。もちろんそれはティアナの本心じゃない。カロルが起きてヴァレッドに助けを求めれば、彼はきっと信用してくれるだろう。しかし、それだけでは彼らが教会に兵を送れないと言うことをティアナは理解していた。ティアナだって伯爵の娘だ。教会と国の状態は頭に入っている。彼らが教会に兵を送るには、ティアナが確実に浚われたという証拠が必要である。カロルの証言だけで兵を突入させれば、きっと後々教会側に付け入られる隙になるだろう。

 自分がこのまま危ない目にあったり殺されたりするのは、怖いけれど仕方のないことだと思う。それは自分が愚かだったのだし、信用する人物を間違っていた事が原因なのだから。つまり自業自得という奴だ。しかし、ティアナは教会の子供達をなんとしても救いたかった。彼らが違法な事に手を突っ込まされているのなら、何か危ない目にあっているのなら、ティアナはそれを何とかしたかった。

「ですから、この髪を彼女に持たせてください」

 ティアナは自分の肩で跳ねる髪の毛をそっと掬った。その行動に神父は初めてティアナを警戒するような視線を送る。

「何を考えているんですか?」

「何も。ヴァレッド様が信用してくださらないと困るのは私も一緒ですから。カロルの言うことをヴァレッド様が信用なさらずにこのまま貴方たちの邪魔をし続ければ、私は殺されてしまうのでしょう? ……それは嫌なのです……」

 両腕を胸の前に交差させて身を震わせるような仕草をすれば、神父は納得したように懐から小刀を取り出した。鞘から出たその銀色の刀身に冷や汗が伝う。

「その申し出、ありがたく受け取りましょう」

 その言葉にティアナはわずかに安堵した。彼らが国と教会の微妙な関係を理解していないとわかったからだ。彼らの中で朽ちた教会を隠れ蓑に使ったのはただ単に都合がよかったからなのだろう。決して彼らは国の裏情勢を利用しようと思ったわけではないようだった。ヴァレッド達が兵を差し向けないのも、怪しいとは思っているがかっこったる証拠が揃っていないから踏み込めないと思っているのだろう。

 ティアナを拉致すれば教会が黒だとはっきりする。それは彼らにとってマイナスだ。しかし、ティアナを人質にとってしまえばヴァレッド達が探りを入れることもなくなる上に、上手くいけば自分たちが仕事しやすいようにヴァレッドと交渉出来ると考えているのかもしれない。

 なので、ティアナはもう一つ策を講じることにした。

「――っ」

 ザクリと耳元で嫌な音がする。それはティアナの髪を切る音だった。木蘭色の綺麗な髪の毛が無惨にも一部切り取られる。ティアナは目を瞑ってその音を耐えながら、胸元の赤いリボンを解いた。そして、神父の持つその髪がバラバラにならないようにと巻き付ける。

「これで、ヴァレッド様はきっと信用してくださいます。ですから、私に無体な真似はしないでください」

 いかにも哀れな貴族の女性に見えたのだろう。神父は疑うことなくその髪の毛をカロルの方へ放り投げ、そして、嫌な笑みを浮かべながらもう一度ティアナの腕を引いた。ティアナはそれに着き従いながら、心の中でヴァレッドに何度も謝るのであった。


◆◇◆


「ティアナが浚われた!?」

 ぼろぼろになったカロルを出迎えたヴァレッドの第一声がそれだった。先にカロルの手当をしていたレオポールも苦い顔をして己の主を見返す。


 夜はもうとっくに訪れていて、月がきらきらと窓の外から城の内部を照らしていた。ティアナが浚われてからもう三時間以上経過している。

 城の玄関扉を入ったところでカロルは手にティアナの髪の毛を握りしめながら目に涙を溜めていた。それでも気丈にカロルは自分が覚えている事の詳細をヴァレッドとレオポールに説明する。それをヴァレッドは眉間に皺を寄せたまま聞いていた。その手は白むぐらい握りしめられている。

「兵士の中に間者が……。それにしてもお前達はなんて馬鹿なっ……!」

 そう怒鳴りかけて、ヴァレッドは口を噤んだ。結局は何も知らせずに事をすませようと思った自分の所為なのだ。ティアナが神父のことを信用しているとヴァレッドは知っていたのに、神父に対する忠告も、自分が今から何をしようとしているのかも彼女に何一つ伝えなかった。だからティアナは簡単に神父の言葉を信用しついて行ったのだ。しかも教会に来て欲しいと言われたとき、彼女はちゃんと断っている。落ち度は何もかも自分にある。

 ヴァレッドがそんな自責の念に駆られていると、レオポールがじっとりと重たい声を響かせた。

「でも、どうしますか? ティアナ様が人質に取られた以上、証拠があっても簡単に踏み込めません。そもそも、彼女の証言だけでは証拠にならない可能性も高い。しかし、こうしている間にも……」

「……それは……」

 ヴァレッドは口をへの字に曲げたまま床を見つめる。

 正確に言うなら、ヴァレッドはティアナを助ける義務はない。彼女とは結婚をする予定だっただけで、まだ婚姻も済ませていないからだ。ヴァレッドにとってはティアナは赤の他人で、彼女が勝手に馬鹿なことをして捕まったのだと言えばそれでこの場は収まるはずだった。彼女の両親が怒って来ても、同じような言葉で追い返せばいい。公爵と伯爵の位はそれがまかり通るぐらいには開きがあるのだから……

 しかし、ヴァレッドにはその選択肢が一度も思い浮かばなかった。ヴァレッドの思考回路はティアナを救い出す方向にしか回らない。

 その時、ヴァレッドの視界にカロルの持つ木蘭色が目に入った。

「それは……?」

「近くに落ちていて……。きっとティアナ様の物だと思います」

 苦しそうにカロルが言いながらその手を開く。するとそこには赤いリボンで括られているティアナの髪の毛があった。その髪にヴァレッドとレオポールは息をのんだ。

「これは……。ティアナ様、相当なお覚悟で……」

 ヴァレッドの眉間の皺が更に深くなる。目を怒らせたまま、彼は踵を返して声を張り上げた。

「今から教会に踏み込みに行く! 準備をしろ!」

 その怒声のような声に、警備をしていた兵もバタバタと忙しなく動き出す。レオポールも口を真一文字に結んで立ち上がった。その状況を理解できないのはカロルだけである。彼女は混乱したまま立ち上がったレオポールの裾を引いた。

「どうして、急に……」

 混乱したままそう口を開けば、レオポールは言いにくそうに下を向いた。

「カロルさん、貴方のお父様の爵位は?」

「男爵ですが……。それが何か?」

 それを聞いて、レオポールは一つ息を吐き出した。そして、ゆっくりとカロルを見返す。

「なら、貴女にはあまり馴染みがないかもしれませんね。……伯爵以上の、国王から土地を与えられている貴族はそれぞれに皆恨みを買いやすい。それは土地を治め、税を徴収し、その街の犯罪者を取り締まる権限を与えられているのだから当然といえば当然です。それ故に、その親類縁者は常に危険と隣り合わせだった。国が安定している今でこそあまりないですが、昔は外を出歩けば浚われたり、傷つけられたりと、色々大変だったそうです」

「……浚われたり?」

 カロルの目がぐっと見開かれる。レオポールはそれに首肯してみせた。

「はい。しかし、いくら伯爵の親類縁者が浚われ、脅されようが、領主はそれに屈するわけにはいきません。ですから、貴族の娘や奥方が外に出るときは赤い紐で括った髪を城に残していったそうです。勿論、その場で切るのではなくて、そういう物を常日頃から準備しているのでしょうけど……」

「どうしてですか? どうして髪の毛を?」

「遺髪ですよ」

「遺髪?」

 オウムのようにレオポールの言葉をくり返したカロルの顔がだんだんと青くなっていく。そんな彼女にレオポールはトドメの言葉を放った。

「『私がどうにかなっても捨て置いてください』そういう意味ですよ」

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