21
日が地平線にもうすぐ沈むだろうという時間帯に、ティアナはカロルと一緒に神父の後ろをついて歩いていた。その後ろには逞しい護衛の兵士も付いてくる。
「ティアナ様、私から離れないでくださいね。侍女の方も……。私がいれば安全ですから、先に行きましょう」
そう優しい声色を出す兵士に頷きながら、二人は神父が曲がった路地を曲がろうとした。しかし、ティアナはその先の道を見て途端に歩を止めてしまう。きょろきょろと動かす視線には戸惑いと少しの恐怖が見て取れた。
「あの……本当にここを通るのですか?」
「はい。この先にザールが待っていますよ」
にっこりと微笑みながら神父は暗い路地を指さす。そこは人一人が通れるぐらいの小さな道幅で、夜がもうすぐ迫ろうかという今は、足下さえも見えないような暗闇に飲まれていた。ティアナが居る路地も大通りから離れてしまっているのに、これ以上人混みから離れるのは嫌だとティアナは怯えた表情のまま少し首を振る。
「あの、別の道は……」
「ありますがザールが待っているので近道をしようかと。……もしかしてティアナ様、この暗がりで私が貴女に何かするとお思いですか?」
「いえ。……ですが、私、今日はやめておこうかと思います。カロル、帰りましょう。護衛の方も……」
ティアナが身を翻した瞬間、その道を止めたのは護衛の兵士だった。見上げてみれば優しい顔で「大丈夫です」とティアナをなだめにかかる。
「ティアナ様……」
心外だという風に神父は寂しそうな声を出して小さく首を振った。
「私のような細腕では貴女の後ろにいるその兵士には到底敵いませんよ。公爵様だけでなく次期奥方の貴女にまで信用されてないなんて。私はどこまでも怪しく見えるのでしょうね……」
「あの、そう言うわけでは……」
「なら、私を信じて付いてきてくださいませんか?」
「それはっ……」
人の良さそうな笑みを張り付けて神父はティアナに腕を伸ばした。しかし、その腕は怯えたティアナには届かなかった。カロルが勢いよくはたき落とされたからである。パンッと小気味の良い音がして、神父の腕がだらりと垂れる。そして信じられないようなものを見るような目で神父はカロルを見返した。
「貴方はどこでティアナ様が次期公爵夫人だと聞いたのですか? 私たちは一度も貴方にそう名乗ってはいないはずです。ヴァレッド様とティアナ様が一緒にいるのを見ても、それが、つまり次期公爵夫人とはならないでしょう? なら、貴方はいったいどこでその情報を得たのですか?」
低い声を出しながらカロルはティアナと神父の間に身を滑らす。そして守るように立ちはだかり、キッと睨みつけた。
「答えなさいっ!」
鋭い恫喝に場の空気が震えた気がした。ティアナもカロルのその剣幕に神父がやはり怪しいと思ったようで、身を堅くしたまま息をのむ。
しばらく短くて重い沈黙が続き、はっと短く息を吐き出すようにして神父が笑った。おかしそうに口元を押さえて、必死に笑いをかみ殺しているように見える。
「失敗しました。最近公爵の手の者が何かと嗅ぎまわっているので、このまま捕らえて人質にしようと思ったのですが……、奥方は阿呆でも侍女の方は少々頭が回るみたいですね」
神父はそう言って口の端を引き上げる。しかしその目は全く笑っていなかった。細められた目の鋭さに悪寒が走る。
「じゃぁ、賢い侍女さんに教えて差し上げましょう。私はあの城に間者を放っていたのですよ。流石に公爵の城ということもあって、素性が明らかなものでないと簡単には侵入できません。ですから私は素性が明らかで、なおかつ金に困ってそうな者にあたりを付けてスカウトしたのですよ。そして、あなた方の事も含め情報を流してもらっていました」
「きゃっ!」
その瞬間、ティアナの腕は後ろに捻り上げられた。ぐっと腕を折らんばかりに押し上げるのは先ほどまで彼女たちを守ろうとしてくれていた兵士だった。その目は何も映さず黒く淀んでしまっている。
「ティアナ様に何をっ!」
カロルが慌てて駆け寄るが、そんな彼女の肩に兵士は重い拳をお見舞いする。少し跳ねた身体は建物の壁にぶつかって座り込んでしまう。そしてカロルはそのまま意識を飛ばしてしまった。
「カロルっ!」
「次に貴女たちが城から出ていくようなことがあったら、私に報告の後、護衛としてついて行ってくださいとお願いしていたのです。本当に役立ってよかったですよ。最初、疑うようなことを言うから裏切ったのかとも思いましたし……」
「すみません。奥方には何も話していないとわかっていたのですが、公爵がこの侍女にどこまで聞かしているのかわからなかったものですから……。念の為に一度は疑った方が信用してもらえるのではないかと思いました」
先ほどまで味方だったその兵士は無表情のままそう言い、ティアナの腕を捻りあげる。そして更にティアナの口を片手で塞ぎにかかった。声をだそうと藻掻く度にキリキリと腕を捻り上げられる。その痛みにティアナは歯を食いしばりながら小さく呻いた。そんな間にも神父はティアナに話しかけてくる。
「貴女たちが使っていたあの城壁の穴。あの穴を作っていたのは実はこの男だったんですよ。先にザールに見つかってしまいましたが、本当はもう少し大きくして、私が使う予定だったのです。貴女を捕らえるためにね」
「――――っ!」
にやりと薄気味悪く神父が笑う。その顔はどこか悪魔のように見えた。
「……じゃぁ、連れて行きましょうか。侍女はそうですね、メッセンジャーににしましょうか。それとも、この場で殺してメッセージでも添えとくか……」
ティアナはその言葉に顔を跳ね上げ、自らの口を押さえている男の手のひらを思いっきり噛んだ。その痛みに兵士姿の男は声を上げ、ティアナの口元から手を離し、その手でティアナの頬を張る。肌と肌がぶつかる乾いた音がして、ティアナの口の端に小さく血がにじんだ。
しかし、その痛みにひるむことなくティアナは目の前の人物を睨みつけた。
「カロルを傷つけるのなら私はこの場で舌を噛みきって死にます!」
「このっっ!」
ティアナのその生意気な物言いに腕を捻り上げている男が顔を赤くして拳を振り上げる。よく見ればその手のひらからは血が滴っていた。おそらくティアナが噛んだときに出来た傷だろう。ティアナはその怒りにまかせた一撃に耐えるように、ぐっと目をつむった。しかし、その振り上げた拳は神父にの声によって止められてしまう。
「良いでしょう。侍女の方にはメッセンジャーになってもらいます。貴女が大人しく一緒に付いてきくれると約束できるならですが……。こんなところで気絶した貴女を運んでいたら目立ちますからね。これは取引ですよ」
恐ろしいほどの微笑みを滲ませて神父がそう言う。ティアナはそれにゆっくりと首肯するのであった。
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