20

 青かった空が白み、その上から燃えるようなオレンジ色の光が地平線を彩る刻限になった頃、ティアナは街の中にある菓子屋の前で、気前の良さそうなその店の女性と会話を楽しんでいた。

 五十代ぐらいの笑顔が素敵なその女性は、エプロン姿のまま腰に手を当てて、ティアナににっこりと微笑みかける。ティアナもその店で買ったばかりの紙袋を胸に抱きながら、嬉しそうに声を弾ませていた。

「ごめんなさいねぇ。おばさん、あんまりティアナちゃんの力になれなかったみたいで……」

「とんでもないです! 頂いたお菓子もとっても美味しかったですし、買ったバッテン・バーグも今から食べるのが楽しみでっ! また買いに来ても良いですか?」

「もちろんだよ! ティアナちゃんになら沢山オマケしちゃうからね!」

「とってもうれしい! ありがとうございます!」

 そう言いながら飛び跳ねると、ティアナの背後からカロルの鋭い声が飛んできた。

「ティアナ様! 早く戻らないと夕食に間に合いませんよ!」

「あ、はい! 今行きますわ!」

 跳ねたその足で慌てたように踵を返せば、少し眉を寄せたカロルとティアナの護衛で付いてきてくれた一人の兵士と目があった。ティアナはもう一度店の女性に頭を下げて、二人の元へ駆け寄る。

「ごめんなさい。マドロラさんのお話とっても楽しくて」

「で、成果はありましたか?」

「はい! とっても美味しそうなバッテン・バーグを見つけましたの! カロル、後で一緒に食べましょう」

「誰が戦利品の披露をしろと……」

 はぁ、と大げさに溜息を付きながらカロルがじっとりとした目をティアナに向ける。その視線の意味に気づけないティアナは小首を傾げながら不思議そうな顔をした。

「もしかしてカロルはバッテン・バーグ嫌いでしたか?」

「甘いお菓子は好きですよ。ティアナ様、お菓子のことは良いですから、教会のことは何か聞けたのですか? それが目的でこうやって城下町まで来たのでしょう?」

 カロルが呆れたようにそう言うと、ティアナは合点がいったというような顔をしてから、首を横に振った。その顔は先ほどとは違い、残念そうに俯いている。

「いいえ、また空振りですわ。今日一日、皆さんに話を聞いてまわりましたけれど、皆さんあまり教会のことはお詳しくないみたいですわね……。このままだと私、ヴァレッド様に呆れられてしまいますわ」

「大丈夫ですよ。また明日話を聞きに街まで降りましょう」

「……そうね」

 俯いたティアナの脳裏に「こんな事もわからないのか?」と呆れ顔をするヴァレッドの顔が浮かぶ。その光景を振り払うかのようにぶんぶんと首を振って、ティアナは拳を掲げた。

「神は乗り越えられない試練を与えないと聞きますわ。あのお優しいヴァレッド様も乗り越えられない試練など与えないはずです! 私は何が何でもあの教会の謎を解きますわ!」

「ヴァレッド様はティアナ様が大人しくしてくれるのを望まれているのだと思いますよー……」

 聞こえるぐらいには大きく発したはずのカロルの声は、ティアナの耳に何故か届かない。カロルの言葉を無視した形になったティアナは鼻息荒く、決意を込めた目で沈む太陽をじっと見つめていた。

 しばらくそうしていたからだろうか、護衛に付いていた兵士が「馬車に戻りませんか?」と問いかけてきた。確かに、このままこの場で話していたらあっと言う間に夜になってしまうだろう。その言葉に二人は頷き、街の外に止めてある馬車に向かって歩き出した。

 その時だった。

「あ、ティアナ様!」

 聞き覚えのあるその声にティアナはびっくりした顔で振り向いた。そして、そこに立っている人物に、更に目をひん剥く。

「神父様! どうしてここに!?」

「ティアナ様、お久しぶりです。私は畑で穫れた物を売りに来たんですが、ティアナ様はどうされたんですか?」

 人の良さそうな笑顔をティアナに向けながら、神父はそう尋ねてきた。ティアナは予想だにしなかった神父の登場に、嬉しそうに顔を綻ばせる。

「私は調べ物をしに来たのですわ。そんなことより神父様、ザール達は元気ですか? 変わりありませんか?」

「えぇ、皆元気ですよ。ティアナ様が食べ物を送ってくださったお陰で、最近は食べる物に困ると言うこともありませんし……。本当にありがとうございます」

「え? 私、食べ物なんて……」

 そう言いかけたティアナの脳裏にヴァレッドの顔が浮かぶ。ヴァレッドがティアナとの約束を守ってくれたのだ。そう理解した瞬間、頬と胸の方がじんわりと暖かくなった。

「ヴァレッド様、ありがとうございます」

 そう小さな声で呟けば、目の前の神父が首を傾げてティアナを見つめてくる。ティアナはそれにはにかんだような微笑みを返した。

「ザール達が元気ならよかったですわ」

「えぇ、何もかもティアナ様のお陰です。ただ……」

「ただ?」

「皆、ティアナ様に会いたがっていまして、刺繍を教えていただく件もそのままになっていましたし。近々、明日にでもこちらに来られませんか?」

 申し訳なさそうに眉を寄せる神父にティアナは思わず頷きそうになる。しかし、それを何とか押しとどめて、ティアナは首を振った。

「すみません。当分そちらには……」

「そうですか。すみません。お忙しいティアナ様にご無理を言いましたね……」

 しょんぼりと項垂れる神父にティアナの良心がチクリと痛んだ。本当なら明日と言わず今日にでも赴いて、子供たちの元気な顔を見て帰りたいのだが、それをしてしまうとヴァレッドとの約束を破ってしまう事になる。なのでティアナは苦渋の思いで「すみません」と小さく謝った。

「大丈夫です。お気になさらないでください。ティアナ様の顔を見れば皆元気になると思っただけですから……」

「……それは……」

「すみません。責めるような言い方になってしまいましたね」

「いえ……」

 ティアナは申し訳なさから口を噤んだ。それを見計らったかのように、神父が少し張ったよな声を出す。

「あぁ、そういえば! 今日はザールも街に野菜を売りに来ているんでした! ティアナ様、ザールにだけでも会っていかれませんか? すぐそこで待ち合わせなんです!」

「まぁ! そうなのですか!」

「すみません。ティアナ様」

 ティアナが弾んだ声を出した瞬間、その声は掛けられた。その声の主は今まで沈黙を貫いていた護衛の兵士のものだった。彼は低い声を出しながら警戒するように神父を睨む。

「ヴァレッド様より、そこの神父には気をつけるようにと言い渡されています。どうか、お耳を貸されないようお願いします」

「え?」

 その言葉にティアナは信じられないという面持ちで神父を見る。すると神父は、困ったような顔をして少し苦笑いを浮かべた。

「最近、教会の近くで違法な植物の一部が見つかったらしいのです。公爵様は、もしかしたらその植物を栽培している者がいるのではないのかと、思っておられるのでしょう。そして、私はその容疑者の一人なのでしょうね……」

「そんな……」

 少し寂しそうに目を伏せる神父にティアナは顔を曇らせた。そんなティアナに神父は首を振る。

「いいのです。公爵様が私を疑うのは当然ですから……。私が容疑者ということなら、すぐそこだとしてもティアナ様をお連れするわけにはいきませんね。ザールには私から謝っておきます」

「……ザール……」

 ティアナはしょんぼりと肩を落とす。その様子に兵士も感化されたのか、咳払いを一つして先ほどより幾分か優しくなった声を出した。

「待ち合わせ場所が本当にすぐそこで、私がお側で警護しても良いなら許可しましょう。ただし、その男の半径五メートル以内には近づかないと約束できるなら、ですが……」

「出来ます!」

 その兵士の言葉にティアナはこれでもかと喜んで見せた。そのティアナの様子に神父も目尻を下げてにっこりと微笑む。

「それでは行きましょうか。ここから五分もかからないところですから、距離の心配は不要ですよ」

「はい!」

 そうティアナは元気に返事をした。

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