23

「じゃぁ、ここに入っていてくださいね」

 そう言ってティアナが案内されたのは教会地下の一室だった。暗く、じめじめとした石壁を蝋燭の光が照らしている。古びた机と、腐りかけた椅子、本がほとんど入っていない本棚がティアナを迎えた。狭いわけではないが、窓もない閉鎖的な一室に背中を押されるようにして押し入れられる。拘束されている両手がキリキリと痛かった。それでも後ろ手ではなく、前で拘束されているのは大変にありがたかった。

 ティアナをその部屋に入れた後、神父は部屋を出ていき、外から施錠した。ガチャリという錠が落ちる音と共に広がったのは途方もない静寂だった。

「さて、これからどうしましょうか」

 ティアナは腐りかけの椅子に腰掛け、周りを見渡した。脱出に使えそうな物は何もなさそうだ。少し気落ちしたように息を吐くと、背後で衣擦れの音がした。

「ティアナ?」

 直後、背後で聞き覚えのある声がする。ティアナは声のした方向へ振り返ると、その大きな目を更に大きく見開いた。

「ザールっ……!」

「ティアナだ! やっぱりティアナ! 何でこんなところに!?」

 駆け寄ってきたザールはひどい有様だった。腕は後ろ手に括られており、頬と足には痣を作っている。それでも彼は腫れた頬を持ち上げて嬉しそうに笑った。ティアナも突然の再会に一度は笑みを浮かべたものの、ザールの痛々しい有様にぐっと息を詰まらせる。

「大丈夫ですか? なぜこんな事をっ!」

「それは、……俺が神父様とヤバそうな男の話を聞いちゃったからだと思う」

「話?」

 ティアナの返しにザールは目を伏せたまま一つ頷いた。

「神父様は前々から俺たちに隠し事をしてるみたいで、俺気になってたんだ。それで一昨日の夜、後をつけて行った先で神父様が変な男と話してるのを聞いちゃって……」

 ザールの話によると、神父は前々からコソコソと一人で出かける事が多かったらしく、不審に思っていたらしい。一昨日の夜、一人静かに部屋から出て行く神父の後をつけて行った先で、神父と怪しい男の密会現場を目撃した。たどり着いた場所は奥の畑にある農機具小屋前で、神父は明かりを灯すこともなく畑に栽培されている葉の取引を始めたというのだ。

「男と神父様は俺たちが育ててた麻の取引話をしているみたいで、葉を取り出して一キロ幾らだとか、どのぐらいの効き目があるかとか、いろいろ話し合ってた。あと、街の商店で売る、とか。……そこで俺たちが育ててた物が違法な薬物の材料だって初めて知ったんだ。んで、俺はちび達や仲間にそれを知らせようとした。だけど、知らせる前に捕まちゃって……」

 この有様なのだとザールは肩をすくめた。

「ティアナも大丈夫? 身体は何ともなさそうだけど、髪が……」

 心配するような視線をザールはティアナに向けた。その視線の先には斜めに切りそろえられた後ろ髪がある。全体がそうならまだ見れるかもしれないが、ティアナの場合は後頭部の右半分だけがそんな状態なのだ。

 ティアナはそんなザールの頬を括られた手で撫でながら安心させるようにゆっくりと微笑んだ。

「大丈夫ですわ。髪なんてまた伸びてきますもの。それに、痛んでいた毛先を切り落としたと思えば何とも思いませんわ。最近、櫛の通りが悪いと思っていましたの。ちょうど良い機会でしたわ」

 ザールはティアナのその言葉に表情を少し柔らかくした。

「ティアナって変なところだけ前向きだよね。強いし。こんな事になってもあんまり動じてないみたいだし。……俺も見習わないとな」

「ザールは今でも十分強い子じゃないですか。それに、私がこの状況で泣かないでいられるのはきっとザールが居てくれたからですわ。ありがとうございます、ザール」

 その言葉にザールは嬉しそうにはにかんだ。そして、先ほどよりは幾分か元気を取り戻した声を出す。

「お礼を言うのは俺の方だよ。捕まったとき、俺、最初は殺されそうだったんだ。だけど、殺されなかった。それはティアナのお陰だよ。俺とティアナが仲良かったから、いずれは俺を使ってティアナをおびき寄せるつもりだったらしい。だからまだ殺せないって言ってた」

 そう言って伏せた瞳は途端に陰る。仲間のことを思い出しているのだろう、ザールは辛そうに眉を寄せ、下唇を噛みしめていた。そんなザールを励ますようにティアナはそっと耳元で囁いた。

「ここから一緒に逃げましょう。もちろん、みんなも救って! だから協力してください、ザール」


 二人はまずこの部屋に見張りが居るのかどうかを探ることにした。扉に耳をぴったりとくっつけて外の物音を探る。そして、扉の前に見張りが居ないことを確認した後、二人は作戦会議を始めた。

 ザールの話によると、この部屋には一日に一回、男が食事を持って来るらしい。それは神父とは別の男で、ガタイが良い褐色の男なのだそうだ。子供相手だと油断をしているのか、手首を括られているから何もできないと踏んでいるのか知らないが、男は武器のような物を一切持たず、食事を運んでくるのだという。だから脱出を狙うのはその一瞬しかないとザールは言うのだ。

「脱出するって言っても、まずこの腕のロープを何とかしないとね。ティアナは何かナイフみたいなもの……持ってる訳ないか……」

 諦めたようにザールはそう言う。ティアナは少し考えるそぶりをした後、おもむろに自分の眼鏡を外した。

「ロープが切れればいいんですわよね?」

「うん。何かその眼鏡に秘密があったりするの?」

 ザールが不思議そうに首を傾げている。それを目の端に留めながら、ティアナは自分の眼鏡を思いっきり石壁に叩きつけた。割れる音と共に眼鏡のレンズがパラパラになる。

「眼鏡のレンズはガラスですから。こうすればナイフみたいになります」

 レンズのかけらを持ちながらティアナは微笑む。そんなティアナの様子にザールはあんぐりと口を開けて固まっていた。それもそうだ。オーダーメイドが必要な眼鏡は高級品だ。しかも常時眼鏡を掛けているところから見て、彼女は目が悪いのだろう。なのにそれを補助するための眼鏡をなんの躊躇もなく彼女は割った。

「ティアナ、目は大丈夫なの? ちゃんと見える?」

 顔をのぞき込みながらザールは心配そうな声を出す。しかしその憂いを払拭するようにティアナは一つ頷いた。

「私、実はそんなに目が悪いわけではありませんの。これは私を可愛がってくださったお婆様の形見の品なのです。レンズの部分だけただのガラスに変えて私がつけていましたの」

 そう説明をしながらティアナはザールの背中に回り、彼のロープを切りにかかる。ギリギリと繊維が切れる音を聞きながらザールは少し申し訳なさそうな顔をした。

「ごめん。そんな大事なものなのに……」

「いいえ。こんな事になったのはザールのせいじゃありませんもの。謝らないでください。それに、きっとお婆様は私のピンチを救うために、この眼鏡を残したのですわ。それが役立ってよかったです! ……さぁ、切れました。ザール、ロープは解けますか?」

 ザールが身じろぎをするとシュルシュルとロープは解けていく。そして解放された手首をそっと撫でながらザールはティアナに向き合った。ティアナのロープも解こうと屈んだところで、ザールはその視界に映ったものに険しい顔をした。

「ごめんティアナ、手……」

「大丈夫ですわ! このくらい何ともありません」

 ティアナの手はロープを切るときに力を入れた為か、ガラスの破片と一緒に血で真っ赤に染まっていた。

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