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「ヴァレッド様は妾の子だそうです」
「妾……」
きっぱりとそう言ったカロルにティアナは目を瞬かせた。驚いた様子のティアナを置いて、カロルはどんどん話を進めていく。
「先代のドミニエル公と奥方様の間には子が成らなかったそうで、ドミニエル公は仕方なく妾を作ることにしたそうです。そして、めでたくヴァレッド様がお生まれになった」
「じゃぁ、もしかして、ヴァレッド様は奥方様からいじめを?」
ティアナは怖々とそう聞いた。妾の子をいじめるというのは貴族の中では割とよく聞く話だ。自分が子を成せなかった苛立ちと、妾に対する嫉妬を何の罪もない子供にぶつけるのだ。それを初めて聞いた時は、そんな世界もあるのかと、どこか他人事のように捉えていたが、ヴァレッドもそうだったのではないかと思うだけで、今は胸が締め付けられそうな思いがこみあげてくる。
青い顔になってしまった主人にカロルはゆっくりと首を振った。
「奥方様からのいじめが全く無かったとは言いませんが、問題はヴァレッド様の母親だったようですわ。彼の母親はお生まれになったヴァレッド様を人質に取り、ドミニエル公に金品を要求したそうです。それもとてつもなく多額の……」
「…………」
「金品は毎月要求され、それをのんだその日だけヴァレッド様とドミニエル公は会うことが出来たそうです。当時はこの城の隣に屋敷が建っており、そこでヴァレッド様とお母様は生活されていたようなのですが、お母様は傭兵崩れを自ら雇い、ヴァレッド様とドミニエル公を無理矢理分断していたそうですわ。母親が病で亡くなるまで金品の要求は続き、亡くなった後、正式にヴァレッド様は跡継ぎとしてドミニエル公と一緒に住み始めたそうです。その時にはもうすでに、ヴァレッド様は立派な女嫌いになられていたそうですわ」
「ヴァレッド様……」
その時の彼の気持ちを考えて、ティアナはしょんぼりと肩を落とした。母親と過ごしていた期間、彼がどのように扱われていたかを知る術はない。しかし、彼があんなにも女性を拒絶するようになった原因がそこにあるとするなら、決して普通の母と子のような関係ではなかったのだろうということは容易に想像ができた。
締め付けられるようなその胸の痛みに、ティアナは息を吐く。
「……女はやはり噂話が好きらしいな」
その時、聞き覚えのある声が扉の方から鋭く突き刺さってきた。ティアナがその声に顔を跳ね上げると、開いた扉のその向こうにヴァレッドが立っている。その瞳には侮蔑の色がうっすらと滲んでいた。
「噂話ですか? 城の者は皆知ってらっしゃったようですし、未来の奥方であるティアナ様が知っていても問題ない話だと思いますが?」
カロルはそう言いながら、ティアナを守るようにしてヴァレッドに立ちはだかる。ヴァレッドはそんなカロルを少し睨んで声色を低くした。
「そうだな。皆が知っている話だ。君達が知っていても何ら問題はない。問題があるのは君たちの倫理道徳の方だ。本人の居ないところで陰口を叩くなと幼い頃に教わらなかったか?」
「陰口だなんて!」
ティアナは思わず声を跳ね上げた。そんなつもりはなかったのだと言い募ろうとしたのだが、ティアナのその甲高い声にヴァレッドは眉間の皺を深くする。片耳を押さえ、ティアナの声を遮るようにそっぽを向いた。
「やめてくれ。俺はそういう声が嫌いなんだ。書類にも書いてあっただろう?」
『その三、必要以上に声を荒げ無い事、いかなる時も冷静である事』
そう書類に書いてあったことをティアナは思いだし、慌てて口を両手で覆った。その至極真面目な仕草に、ヴァレッドも顔の筋肉の緊張を解く。
「ティアナ、今後、俺の事で何か聞きたいことがあるなら人づてでなく、直接聞きにこい。先ほどのは、……いい気分ではなかった」
声を発しないままティアナが頷けば、ヴァレッドは手の中にある書類をカロルに押しつけた。それが本来の目的だったのだろう。カロルはその書類を受け取ると、その内容に目を丸くした。
「これは……」
「今日はそれを渡しに来た。何か他に要望があるようなら数日中に文面にして寄越してくれ」
「なんで、ですか?」
「俺が持ってきた理由か? レオが『天変地異の前触れだ!』と騒ぎ出してな。とてもアイツに頼めるような状況じゃなかったからだ」
「そっちじゃ……」
「此方の用件はそれだけだ。失礼した」
カロルの言葉を最後まで聞くことなく、ヴァレッドは踵を返して、足早に部屋から出ていった。
◆◇◆
「……何故ついてくるんだ?」
「…………」
「おい、答えろ」
「…………」
「ティアナ!」
ヴァレッドは城の廊下で、焦れたように後ろを振り返った。そしてその後ろにいる彼女を見下ろして、盛大な溜息をつく。
「しゃべるなとは言ってない。ヒステリックに声を荒げないで欲しいだけだ」
未だに口元を塞いでいる彼女の両手をヴァレッドが優しく取り外す。枷を取ってもらったティアナは、取れた瞬間に大きく息を吐いてヴァレッドを見上げた。その瞳は申し訳なさそうに揺らめいている。
「あの、ヴァレッド様、先ほどはすみませんでした。私、ヴァレッド様を傷つけるつもりはなくて……」
「わかってる。あの侍女とたまたま俺の話をしていた時に、そんな話になっただけなのだろう? 気分を害したのは確かだが、俺もいきなり怒ってしまって悪かった」
困ったようにそう言われて、ティアナは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。望んで話をしてもらったわけではないが、それでも話を止めなかったのは自分の責任だ。『女嫌いになった理由』なんて、ヴァレッドにとっては聞かれたくない事ばかりの話に決まっている。本来ならば聞くべきじゃなかったのだ。そして、もし聞きたいならヴァレッドも言っていた様に、本人から直接聞くべきなのだ。ティアナは心の奥底でこれでもかと反省をした。
「そんなっ、謝らないでください! 言いたくもない過去のことを蒸し返したのは私ですわ!」
「いつか知れることだ。別に秘密にしておきたい訳でもなかったしな」
「それでも、……すみません」
地面に頭がつきそうなほどティアナが腰を折ると、ヴァレッドは唇の端を引き上げた。
「わざとじゃないのなら咎めはしない。第一、君にそんな器用なことが出来るとは思っていないしな」
「あ、あの、私、刺繍は得意で……。どちらかと言えば器用だと今まで言われてきたのですが……」
ティアナの思わぬ返しに、ヴァレッドは思わず吹き出してしまう。口元に笑みを覗かせたまま、まるで子供をあやすかのようにヴァレッドは目の前の彼女の頭を優しく撫でた。
「そっちの『器用』ではない。まったく君は、本当に馬鹿だな」
「え?」
「あぁ、違うぞ。これは記憶能力や勉強能力に対して言っている『馬鹿』では無いからな!」
「はい、わかってますよ?」
「…………」
「あのー、ヴァレッド様?」
「……まったく、君と話してると調子が狂う」
「ヴァレッド様! お体の調子が悪いのですか!?」
「…………」
またも起こった勘違いにヴァレッドは呆れた瞳をティアナに向けるが、一方の彼女はそれに全く気づかない。わたわたと慌て出すティアナは本当に小動物のようだ。
「リスか、モルモットあたりか……」
思わずそう零してしまった呟きに、ティアナの顔はますます青くなる。額や頬をぺたぺたを触りながら心配をする彼女の姿に、ヴァレッドは何故か嫌悪感を感じなかった。本来なら女が近づくだけでも寒気がするはずなのに、ティアナには全く何も感じない。
「ね、寝言ですか!? ヴァレッド様! お気を確かに!」
「もう、これにもだいぶ慣れたかと思っていたんだがな。これは凄い……」
「お熱ですのね? 凄い熱が!? そんなものに慣れてはいけません! ヴァレッド様、お部屋で休みましょう?」
ヴァレッドの腕をぐいぐいと引っ張っていくティアナからは、先ほどまでのしおらしさは一つも感じられない。それが何故か無性におかしくて、ヴァレッドはティアナに腕を引かれたまま、笑いをかみ殺していた。
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