8
ヴァレッドとティアナが人目を気にするように路地からでると、辺りは夕日により赤く染まっていた。人も昼間よりは幾分か少なくなっていて、宿屋からは腹の虫を起こすようないい香りが漂ってくる。
二人も家路につこうと馬車に向かったその時、突然大きな鐘の音と、内蔵に響くような歓声が二人の耳朶を激しく打った。
「な、何でしょう。今の……」
「この先には教会がある。おそらく結婚式でもしているのだろう」
「まぁ! 結婚式ですの!」
胸の前で両手を合わせ目を輝かせるティアナを、ヴァレッドはしばらく眺めてから「行ってみるか?」と声をかけた。ヴァレッドのその声にティアナは顔を綻ばせる。
「いいんですの?」
「少しだけならな。夕食までには戻るぞ」
「ありがとうございます!」
そう言いながら、彼女は喜びを表すようにくるりと回ってみせた。
夕日に照らされる中、大勢の参列者に囲まれて新郎と新婦の二人は幸せそうに歯をみせて笑っていた。くすぐったそうに身を寄せ合って、フラワーシャワーを浴びている。ドレスもタキシードも決して豪華なものじゃない。しかし、その光景はどこか眩しくて、ティアナは思わず目を細めてほぉっと息を吐いた。
「素敵ですわね」
「女はこういうのが好きだな。俺からしてみれば結婚式なんていうのは悪魔の儀式だ。新郎の選択は理解に苦しむ」
「でも、とっても幸せそうですわ」
「……そんな気分も三日と持たないだろう」
「そういうものですか?」
「そういうものだ」
ヴァレッドはそう言いきり、目の前の光景を苦々しく見つめた。その隣にいるティアナはまるで彼と正反対の顔をしている。
「君もああいうのに憧れがあるのか?」
「ああいうの?」
「祝福される結婚式、というやつだ」
「私は……」
何か言い掛けて、ティアナは口を噤んだ。そして、ヴァレッドに向かって満面の笑みを向ける。
「私は、ヴァレッド様と結婚できてとっても幸せですわ! 修道女になりたくないわけでは無いですけれど、結婚は小さい頃からの夢でしたもの」
「……そうか」
答えとはほど遠い応えに、ヴァレッドはティアナの内心を知った気がした。彼女はああいう結婚式に憧れがあるのだろう。けれど、憧れと現実をちゃんと別に考えている。
予定している二人の結婚式は誓約書にサインをする為だけの物だ。参列者は誰も呼んでいないし、神の前で愛を誓うわけでもない。結婚式を教会で行うのだって、神父が強く言うからそうするだけだ。執務室の机上でサインしても良いのなら、ヴァレッドはきっと執務室を選んでいた。
二人の行う式は結婚式であって、結婚式ではない。ヴァレッドはそれを望んでいるし、ティアナもそれをわかっている。そもそも、憧れを盾にとって現実に文句を言うなんて器用な事、彼女に出来るわけ無いのだ。
ヴァレッドが何となく申し訳ない気分になっていると、ティアナはそんな彼の表情に気づくことなく、はっと顔を跳ね上げて少しだけ眉を寄せた。
「どうしましょう、ヴァレッド様。私、大変な事に気づいてしまいましたわ!」
「どうかしたのか?」
「ヴァレッド様とレオポール様ってどちらがドレスを着るんでしょう? もしかして、お二人とも新郎の衣装になるのですか?」
ヴァレッドはティアナのその言葉に大きな溜め息をついた。呆れて物も言えないというのはまさにこの事で、ヴァレッドはなんとか絞り出すように喉から音を出した。
「……君とはいつか本気で話し合わないといけないみたいだな」
「お二人のためのラブラブ大作戦ですか? 喜んで協力いたしますわ!」
「…………」
ヴァレッドは若干諦めた気持ちで、据わった目をティアナに向ける。彼女はとても楽しそうに笑っていた。
◆◇◆
「と、いうことがあった」
「ちょっとぉおぉぉおお! 何でそこで諦めるんですか!!! 何も解決していませんよ!? 私とヴァレッド様が恋仲ってどういう勘違いですか! しかも未来の奥方にそんな勘違いされて、貴方は悲しくならないんですか!?」
「アイツの勘違いぷりには、正直慣れた」
「嫌な慣れ方しやがって!!」
思わず昔のように乱暴な言葉遣いになったレオポールは頭を抱えてぶつぶつと何かを言い始める。
花祭りから帰ってきた翌日、ヴァレッドはいつものように政務に精を出しながら、レオポールに先日のティアナとのことを話していた。最初は微笑ましく聞いていたレオポールも、話に自分のことが絡み出した辺りで盛大に顔をしかめはじめた。ヴァレッドは女が嫌いだが、レオポールは別段女が嫌いということはない。一般の男性と同じような感性を持っているし、“男色”なんていう性癖も持っていない。恋愛対象は女性だ。
「お願いですから、ヴァレッド様、もう一度否定してきてください! こんな勘違いされたまま過ごすのは拷問です!」
「否定はしたんだがな。すごいぞあれは、頭の中の構造を一度調べてみたいぐらいだ」
「何言ってるんですか! 『俺は男を好きなわけじゃない!』と一言言えばいいだけじゃないですか!?」
「それは何度も言った。『隠さなくても大丈夫です。私、衆道には理解があります』と言われるぞ。一度お前も試してこい」
「馬鹿な! なら、『レオポールとは恋仲でも何でもない!』と言ってきてくださいよ!」
「知ってるか。さっきの言葉は魔法の言葉なんだ。何を言ってもアレで
返される。ティアナの中で俺達は男色家で、それを必死に隠しているという設定らしい」
「最悪だ……」
それならレオポールが直談判に行っても結果は一緒だろう。レオポールが頭を壁に打ち付けそうになる衝動を何とか堪えていると、ヴァレッドは一束の書類を彼の鼻先に突きつけた。
「何ですかこれ?」
「結婚式の予定を先延ばしにしたい。先延ばしと言っても、一週間程度だが……」
「はぁ!? この期に及んで結婚したくないと言うのですか? しかも一週間延ばすだけ!? 悪足掻きも大概にしてください!」
「違う。そういう訳じゃない」
「何が違うんですか? もー……」
レオポールは胡乱気にその書類を手に取るとぱらぱらと目を通し始めた。ヴァレッドらしい神経質で緻密な文字が並ぶその書類を見終わると、レオポールは目を見開いて固まった。たっぷり一分は固まっただろうか。レオポールは書類から顔を上げ、ヴァレッドの鼓膜が破れそうな大声を出した。
「ね、熱でもあるんですか!?」
「うるさい。俺は健康体だ」
「じゃぁ、何ですかこの見直し案!? これじゃぁ、まるで……」
「この結婚に利があるのは今のところ俺だけだ。俺は国王からの見合いを断りたいし、外交上邪魔になる噂も消しておきたい。だが、ティアナは別に俺でなくても貰ってくれるところは沢山あるだろう? これは、……まぁ、埋め合わせという奴だ。アイツはこういうのに憧れがあるみたいだからな」
「…………」
「どうせ結婚したら仮面夫婦になるだけだ。それなら最初の体裁も整えた方がいいだろう?」
レオポールは信じられない面持ちで己の主人を見つめていた。その手に『結婚式の見直し案』という書類を握りしめたまま……
◆◇◆
ティアナは自室のカーテンレールに取り付けたオーナメントをうっとりと眺めていた。窓からの光を鮮やかに通し、更に風が吹くと共に揺らめくそれはいくら眺めていても飽きない。ティアナはその光の向こうに先日の思い出を蘇らせていた。
「……本当に楽しかったですわ」
「ティアナ様はローゼ様のせいで、あまりお外に出られませんでしたからね。楽しかったようで何よりですわ」
本当に嬉しそうにそう答えるのは後ろに控えている侍女のカロルだ。その手には、先ほどティアナから貰ったお土産が握りしめられている。ティアナはカロルの言葉に少しだけ困ったよう顔をした。
「あら、ローゼのせいではないわよ。お父様もお母様も私を心配してくださっただけなの」
「いいえ。誰がなんと言おうと、アレはローゼ様のせいです。あの方がもう少し大人しくしてくださっていたら、ティアナ様もあんな軟禁じみた扱いにならなくても済んだのです!」
喜色満面から一変して鬼面に転じたカロルにティアナは思わず苦笑を漏らす。
ティアナは地元で屋敷からあまり出たことが無かった。それこそ社交場にも数えるほどしか行ったことがないし、地元の祭りもただ窓から眺めるだけで、実際に行ったのは幼い頃に数度だけだ。それは彼女の両親が彼女の身を案じ、外に出るのを極端に禁止していたからだった。
『ローゼのようにはなってはだめよ? 貴女は真面目に生きてちょうだい』
それが母の口癖だった。
妹のローゼが初めて朝帰りしたのは、もう何年も前の話。その時の彼女は十に少し数を足しただけの年齢だった。その時は男性と一夜を共にしたわけでは無かったようなのだが、当然、両親はローゼをキツく叱りあげた。ティアナならばその時点で深く反省するのだが、ローゼは違った。その両親の言葉にローゼはものすごく反発したのだ。元々、一度言い出したら聞かない子ではあったし、何をするにも活発な子ではあった。でもまさか、それで朝帰りが定着するような生活になるとは、この時夢にも思わなかったのだ。それから何度叱りあげてもローゼの悪癖が直ることはなく、むしろ年々悪化していって、今に至るというわけなのだが。
当時、両親はローゼが朝帰りする原因として、社交場がいけないのではないかと考えたのだ。悪い男性や悪い友人に刺激を受けすぎたのではないかと……。だから両親はティアナを守りたい一心で彼女を屋敷に縛り付けたのだ。
「あまりローゼを悪く言わないでちょうだい。あの子はとっても家族想いで良い子なのよ? それにね、そのおかげでヴァレッド様とのお出かけが数倍楽しく思えたの! ふふふ、今思い出しても胸が弾むようだわ!」
「まったく、貴女様は……」
「もしかしたらお父様もお母様もこの事がわかってらっしゃってたのかも! 二人ともすごいわ! 敵わない!」
今にも軽快なステップを踏みそうなティアナに、カロルは眉尻を下げた。
「ヴァレッド様が、また連れて行ってくださると良いですね」
「そうねっ! 次は来年かしら? あぁ、今から楽しみだわ!」
「花祭りは一ヶ月以上続く祭りですし、秋には同じような規模の収穫祭もあるようですから、一年も待たなくていいと思いますよ? 何なら、来週にでも、またお誘いしてみたらいかがですか?」
「そうね! あっ!」
ティアナはその瞬間に顔を跳ね上げて、両手を胸の前に交差させた。
「ダメよ、ダメ! それはいけないわ! 私は応援すると決めたのですから!」
「何の話ですか?」
「ヴァレッド様はレ……、好きな方がおられるようなの! だから、私がお誘いしたらダメなのよ!」
「は? それは……本当ですか?」
「えぇ、花祭りの日に聞きましたわ! 私はお二人を応援すると決めましたの!」
「…………」
カロルの額に青筋が立つ。それもそうだ。これから結婚しようという主人が、その結婚相手に堂々と浮気されそうになっているのだ。しかも、お人好しの彼女はそれを応援すると宣っている。これに腹が立たないわけがない。
「すごく個人的な情報でしたし、ヴァレッド様にも侵されたくない領域というものがあるだろうと思って黙っていましたが、……限界です」
「カロル、怖い顔をしてどうしたの?」
「ティアナ様をどれだけコケにすれば気が済むんだ、あの男……」
「へ? 苔?」
ティアナの天然ボケを無視してカロルは大きく息を吸い、決意を込めた目を彼女に向けた。
「……ティアナ様、ヴァレッド様がどうして女嫌いになったか知りたくありませんか?」
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