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 ティアナがヴァレッドの城に来て一週間が経った。ティアナは結婚式の準備をしたり、趣味の刺繍をしながらこの一週間を過ごしていた。結婚式といっても女性嫌いのヴァレッドが派手な結婚式を望むわけもなく、いつもより少しだけ煌びやかなドレスを着て、城の敷地内にある教会で結婚誓約書にサインをするだけの簡単な結婚式の予定である。勿論、誓いのキスなどは端から予定にも組まれていない。なので準備といえば屋敷から持ってきたドレスの手直しぐらいのもので、ティアナは暇になった時間の殆どを趣味の刺繍に費やしていた。

 そうして、薔薇の刺繍が施されたハンカチが五枚ほど出来たところで、ティアナは溜息と共に机に突っ伏した。

「もうダメですわ! 私、ヴァレッド様に嫌われてしまったのかもしれません!」

「ティアナ様にしてはずいぶんと弱気な発言ですわね」

 突っ伏したティアナの隣に紅茶を置きながら、侍女のカロルは珍しそうにそう言った。この、どこまでも前向きで楽観主義者のティアナが落ち込むとなんていうのは、年に一回有るか無いかだ。それは、それは、相当に珍しい。

「まぁ、あれだけ露骨に避けられていたら、そう思うのも当然ですわね」

「え? 私、避けられていたの?」

「…………」

 カロルは己の主人の鈍さに呆れたような顔になる。それもその筈だ。ヴァレッドはあの晩餐をした翌日から、あからさまにティアナを避けるように行動していた。ティアナが声をかけようとすれば足早に去っていき、視線が合いそうになれば、首が飛んでいくのではないかと思うぐらいの速度でそっぽを向く。声をかけることに成功しても、返ってくる言葉は『そうか』や『わかった』など素っ気ないもので、流石にこれはティアナも傷つくだろうと思っていれば、先ほどの発言だ。もはやこれは鈍感どころの騒ぎではない。

 カロルのそんな呆れたような視線を受けても、やはりティアナはその表情の意味にも気づいていないらしく、紅茶を一口啜ると、少し憂いを帯びた息を吐き出した。

「今朝、たまたまヴァレッド様に会ったのだけど、その時に『魔女』と言われてしまって……」

「はぁ?」

「『魔女』って魔法を使う女性のことでしょう? もしかしたら私もヴァレッド様のいう“女”の枠に入っているのではないかと不安になってしまったの」

「何を今更……」

 ティアナには聞こえない声でカロルはそう一人ごちた。その枠組みになら『入っているのではないか』ではなく、最初から当然の如く『入っている』のだ。ただそれに彼女が気づかなかっただけで……。

 少し馬鹿馬鹿しい気分になりながらカロルは目の前の主人のカップに、おかわりの紅茶を注いだ。湯気の向こうに見える彼女はやはりどこか落ち込んでいるようにみえる。それを振り切るように、カロルは少し明るめの声を出した。

「そんなことより、『魔女』と呼ばれた方は気にならなかったのですか? 魔女といえば物語では大体悪役ですが」

「魔女は魔法を使えるんでしょう? 凄いじゃない! あら、でも考えてみたら、『魔女』ってそんな凄い人の事なのよね。もしかして、今朝のは何か誉められたのかしら? そうだわ! 私ったら何勘違いしていたのかしら!」

「……ティアナ様のその発想は、本当に凄いと思いますわ」

「ふふふ、ありがとう」

「…………」

 すっかり元気を取り戻した己の主人にカロルもふっと笑みを零した。なんだかんだ言って、カロルはティアナのことが大好きなのだ。親戚もいない遠い地に一緒に赴いてしまうぐらいには慕っている。だから、彼女が微笑んでくれるなら何でもしようと思うのだ。

「ヴァレッド様の弱点、掴んでおいた方が良さそうね……」

 ニヤリと笑うカロルにティアナは当然気づかない。その暗い笑みのまま、カロルは地を這うような声でこう呟いた。

「ヴァレッド様、ティアナ様を『魔女』呼ばわりにした罪は重いわよ」


◆◇◆


「今、なにか寒気がした! 魔女だ! 彼女の仕業に違いない!!」

 ぶるりと体を震わせるヴァレッドの頭を丸めた書類で殴るのは家令のレオポールだ。二人は今朝から執務室に籠もって書類仕事をこなしているのだが、ヴァレッドの調子が今朝からこんな感じで、レオポールはほとほと困っていた。

「何言ってるんですか? 貴方、そんなオカルト的な事言う人ではなかったですよね。魔女ってもしかしなくてもティアナ様の事ですか?」

「当たり前だ! 彼女以外に誰がいる!?」

「何がどうしてティアナ様が魔女という話になるんですか?」

「そう考えなければ辻褄が合わない事ばかりだからだ! お前も、料理長も、侍従も、皆おかしくなっている!」

「私も? 意味が分かりませんが……」

 ヴァレッドは口に手を当てたまま、青ざめた表情で事の次第を話し始めた。

「あの晩餐が終わった翌日、侍従達から嘆願書が届いた。いろいろ書いてあったが、要は彼女を絶対に家に帰すなという物だった」

「それは相当な気に入られようで」

「まだあるぞ。そのまた翌日、晩餐の様子を聞きつけた料理長から、彼女の料理の食べ具合を聞かれたんだ。どうやら、今度から料理を出すときは彼女だけ食べきれるように少な目で料理を作るようにするらしい」

「手間暇籠もってますねー」

「極めつけはお前だ! 最近、彼女に会え会えと五月蝿いし、何かと彼女の肩を持ちたがるだろう!」

「それは、まぁ、仕方ありませんね」

「……俺もここ最近の自分はおかしかったように思う。彼女をまるで女として見ていなかった!」

「それは本当に、いろんな意味で問題ですね」

「だから俺はこの数日考えて、ようやく今朝答えを見つけだした! 彼女は魔女だったんだ! そして、魔法で俺やお前たちの心を誑かし……」

「いい加減にしなさい! このアホ主人が!!」

 レオポールの持つ丸めた書類が良い音を響かせてヴァレッドの脳天を直撃する。その衝撃にヴァレッドは低く唸った。

「侍従達がティアナ様を気に入ったのは、食事をする時の貴方と彼女が仲睦まじそうに見えたからでしょう。料理長が気を使うのは、ティアナ様が料理人に敬意を払うような方だったからです。私の場合は、単純にあの方になら貴方を任せられるんじゃないかと、期待をしているからですよ」

「しかし、今まではこんな事にならなかった……」

 そう、ヴァレッドは以前にも妻になる予定の者を迎えたことがある。しかし、皆、ヴァレッドの性格に耐えきれず幾日も保たずに帰っていったのだ。最短で数分、最長でも五日である。五日居た者でさえも侍従や料理人にこんなに好かれる事は無かった。

「まぁ、それだけ皆、彼女を貴方の奥方に、迎えて欲しいと思っているんですよ」

「…………」

 釈然としない顔をして、ヴァレッドは押し黙る。その様子にレオポールは呆れた笑みを浮かべた。

「貴方だって、本当にティアナ様が魔女だと思っているわけではないでしょう? 大体、昔から魔法や魔術の存在を信じてないじゃないですか」

「まぁ……」

「何にしても、数週間後にはティアナ様は貴方の奥方です。これを機に、どうです? 『女嫌い』を卒業されてみては?」

「……それは無理だ」

 そう断じたヴァレッドのアメジスト色の瞳が一瞬にして暗く淀む。レオポールはそれに気づき、はっとしたように息をのんで、その後「失礼しました」と謝った。

「まぁ、卒業は無理でも、ティアナ様と少しは仲良くしといてくださいね。一緒に暮らすんですから、いつまでも苦手だと遠ざけるのも良くないでしょう?」

「…………」

 ヴァレッドはその言葉に拒否も了承もしなかったが、このタイミングでの沈黙は恐らく了承だとレオポールは判断して、満足げに頷いた。

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