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その日の晩餐はとても豪華なものだった。色鮮やかな野菜と生ハムが乗った前菜に、摘みたての若菜を思わせる新鮮なサラダ。暖かいジャガイモのスープと共にやってきた焼きたてのパンの香ばしさは、ティアナの食欲を十二分にそそるものだった。しかし、元々少食のティアナには量が多く、魚料理がやってくる頃には彼女の胃袋は限界寸前にまでなってしまっていた。
ティアナが胃のあたりを押さえながら苦しそうに息をつくと、ヴァレッドの後ろに控えていたレオポールがふっと笑みを零す。
「ティアナ様、大丈夫ですか? ゆっくり食事をなさってください。量が多いようでしたら残されても構いませんよ」
「お気遣いありがとうございます。大丈夫です、決して残しませんわ。料理を作ってくださった方に申し訳がありませんもの」
「そうですか? 無理はなさらないでくださいね」
そう気遣うレオポールに頭を少し下げ、ティアナは食事を再開する。
食事の間に用意された机には八脚の椅子が用意されていたが、それに座っているのはティアナとヴァレッドの二人だけだ。向かい合うように赤いベルベットの椅子に腰掛けて、二人で会話もすることなく黙々と食事をする。お互いの主人の後ろにつくレオポールとカロルは、最初その様子にハラハラしたが、十分も経たないうちに諦めたように慣れてしまった。
蝋燭の明かりがいくつもある室内に、食器の当たる音だけがやけに大きく響く。その沈黙の時間が息苦しく感じないのは、料理を目の前にしたティアナの表情が眩しいぐらいに明るいからだろう。料理が出る度にまるで大発見をしたかのように顔を綻ばせ、とても美味しそうに口に運ぶティアナの姿はさながら小動物だ。その姿に、重苦しい沈黙が支配する筈だった室内の空気は和み、その場にいる誰もが思わず頬を緩ませた。
そう、ヴァレッド以外は……
「そんな顔をしても、俺はもう二度と君に騙されるつもりはない」
「はい?」
ヴァレッドのその剣呑な言葉にティアナは口に運び駆けたフォークを止めて首を傾けた。ヴァレッドの後ろではレオポールが額に手を当てて天井を仰いでいる。ヴァレッドは苛々とナイフを何度も皿に当てるようにして音を出し、ティアナを睨みつけた。
「君は“女”だ。俺は君を信用しない。そんな顔をして場を和ませようとしても無駄だ」
「え!? 私、変な顔していましたか? 料理がとても美味しくて、ついつい顔が緩んでしまって……。ごめんなさい。はしたない顔していましたよね」
「いや、別にはしたなくはないが……」
「そうですか、よかった」
胸に手を置き、ほぉっと安心したように息をつくティアナをヴァレッドは困ったような表情で眺める。そんなヴァレッドの視線に気がついたのか、ティアナはヴァレッドに向かってにっこりと微笑んだ。
「そう言えば、ヴァレッド様には今回のお礼を言ってなかったですわ」
「お礼?」
「はい。ヴァレッド様、この度は私のような訳ありを貰ってくださってありがとうございます。誠心誠意尽くしますので、どうぞこれから末永くよろしくお願いいたします」
ティアナは椅子に腰掛けたままヴァレッドに向かって深く礼をする。その言葉と仕草にヴァレッドは今まで以上に表情を固くした。その顔にレオポールは慌ててヴァレッドを止めようとするが、時既に遅し。
「俺は君に尽くされたいとは思わない」
その低い声に流石のティアナも体をぴくりと跳ねさせた。彼が気分を害したのが伝わったのだろう。ティアナは少し伏せ目がちになり、「すみません」と謝った。
「別に怒っているわけではない。妻になるからといって『尽くす』というのは違うと言いたかっただけだ。あと、『私のような』という言い方は好きじゃない。君が訳ありなのも理解しているし、それを込みで了承したのは俺だ。君が自身を卑下する必要はない」
「えっと、ヴァレッド様?」
ヴァレッドの言葉に一番驚いたのはレオポールだった。次いでティアナの後ろにいるカロル。ティアナは頬に手を当てて嬉しそうに口角を上げた。
「ありがとうございます! ヴァレッド様はやっぱりお優しいんですね」
「君はまた変な勘違いを……」
「いや、今のは勘違いじゃないでしょう」
レオポールはすかさず突っ込むが、ヴァレッドは納得してないようで片眉を上げて家令を少し睨む。
本人に自覚はないのだろうが、先ほどの言葉はどこからどう聞いてもティアナを気遣ったものだ。レオポールはその主人の言葉に少しだけ安心した。もしかしたら、思ったよりもこの結婚生活は長く続くかもしれない、と。
ヴァレッドは女性に対しては異様に厳しいが、普段は部下にも優しい模範的な領主だ。先ほどの台詞は彼女に対する気遣いというよりも、彼の普段からの優しい部分が垣間見えただけなのだろう。だが、それが出てくるようなら大丈夫ではないかとレオポールは思うのだ。
しかし、そんな生温かい想いを噛みしめていた彼に届いたのは、ヴァレッドの苛立ったような声だった。
「ところで、君はいつまでその肉をつついているつもりだ? 腹がいっぱいなら残せばいいだろう? これだから女は小食で困る」
「お気遣いとっても嬉しいですわ! でも私、残すのは作った人に申し訳なくて……」
何とか魚を食べ終えたティアナは、やってきたメインディッシュに手を付けられないまま、ふぅと息をついた。そんな彼女の態度にヴァレッドは更に苛立たしげに声を上げる。
「君が食べ終わらないと俺も席を立つことができない。その慎ましい態度もどうせ演技だろう? そんな事で俺は惑わされない。いい加減諦めてくれないか?」
「慎ましいだなんて、ヴァレッド様は本当にお口が上手いですわ」
「君は! なんで! そうなんだ!」
顔を真っ赤にして怒るヴァレッドをティアナは不思議そうに眺める。その顔に毒気を抜かれたのか、ヴァレッドも怒りを収めて椅子に深く腰掛けた。ちなみに、ヴァレッドの皿はもう何分も前に下げられている。
「残すのが勿体ないというのなら、誰かにやったらいいだろう? 皿が空になっていたら料理人には食べたように映る」
「それは良い案ですわ。流石ヴァレッド様! ……でもいいんですか?」
「別に、好きなようにして構わない」
「そうですか。では……」
ティアナは手元にある肉を一口大に切り分けて、ヴァレッドに差し出した。
「どうぞ」
「は?」
てっきりヴァレッドは彼女の後ろにいる侍女に食べて貰うのだとばかり思っていた。しかし、彼女が差し出してきたのは何故か自分で、しかも彼女はヴァレッドに手ずから食べさせようとしているのだ。
「『どうぞ』より『あーん』の方がよかったですか?」
「いや、それはいい。本当にいい」
「そんなに『あーん』が良いと言ってくださるなんて思いませんでしたわ。では、あーん」
「いや! 違う! そっちの『いい』じゃなくてだな!」
いつの間にかティアナは皿を持ってヴァレッドの隣で小首を傾げている。ヴァレッドが混乱したまま体を引くと、それを見ていたレオポールがくすくす笑いはじめた。
「今回はヴァレッド様の負けでしょう。諦めてお召し上がりください」
「だが! こいつは女だぞ! もしかしたら毒でも仕込んで……!」
「仕込んでる訳ないでしょう。そんな暇が無かったのはヴァレッド様もご存じの筈ですが? 良いじゃないですか。新妻からの『あーん』、微笑ましいですよ?」
「まだだ! まだ結婚してはいない! だからこれはっ!」
「もしかして、お嫌でしたか? それとも、やっぱり失礼すぎたでしょうか?」
ティアナのその言葉にヴァレッドはぐっと言葉を詰めた。この隙を逃すまいとしたのだろうか、今まで傍観を決め込んでいたカロルがティアナの肩に手をやり、そっと微笑む。
「ティアナ様、大丈夫ですわ。先ほどヴァレッド様は『好きなようにして構わない』と仰ってました。彼のようなお優しい男性が言葉を違えるとは思えません」
「そうですよ、ティアナ様。主人は一度言ったことを決して違える人ではありません」
「…………」
四面楚歌とはまさにこの事で、ヴァレッドは屈辱に顔を歪ませながら、ティアナの皿が綺麗になるまで、彼女の『あーん』を受けたのであった。
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