第43話『僕の腕の中で』

「――はあっ、はあっ!」


 駅構内に、僕の荒い息が響く。

 人と人の間をすり抜け走る僕は、きっと非難の目を浴びていることだろう。


 でも、今はそんなことを構っている暇はない!


 僕は、走る足に更に力を込めた。


 長い通路の先に、T字路が見えてきた。

 そこを左に曲がれば改札口がある。

 ミサキは、その先の新幹線乗り場にいるはずだ!


「中に入るには、入場券を買えばいいんだっけ……」


 思わず、疑問が口から漏れた。

 T字の通路を左に曲がる。

 僕の目に、改札口が飛び込んできた。


 そして、その向こう側にいる人は――


「ミサキ―――ッ!!」


 僕は、声の限りに叫んだ。


「ガクッ!?」


 ミサキが振り返る。

 それはまるで、僕が現れることを待っていたかのようだった。


 改札口へと走る僕。

 だけどそのとき、僕の目にたくさんの警官の姿が映った。

 事前に伝わっているであろう情報と、今の僕を見て、無免許で告白をしようとしている者だと気付いのだろう。


「おいっ、君!」


 1人の警官が、僕の前に立ち塞がる。


 だけど――


「止まってる暇はないんだ!」


 僕は、スピードを緩めずその脇を走り抜ける。


「なっ……!?」


 止まるものだと思っていたのか、警官は驚きを隠せない。


「き、君っ!」

「止まらないか!」


 今度は、数名の警官が僕に向かってきた。


「ふっ!」


 だけど、僕は口から短く息を吐き、迫り来る警官の腕をかわして突き進む。


 あと数メートルで改札口。

 もう、入場券を買ってる余裕はない!


 僕は、覚悟を決めた。

 近付いてくるゲート。

 勢い良く足を振り上げる。


「はっ!」


 そして僕は、短い掛け声と共にゲートを飛び越えた。

 構内の人の視線が集まるのを感じる。

 その中には、ミサキの視線もあった。


「ミサキ――ッ!!」


 僕は、目と口を大きく開いている彼女の目の前に片膝をついて着地した。


「ガク……!」


 僕を見詰めるミサキの瞳。

 心なしか、潤んでいるようにも見えた。


「ミサキ……お友達?」

「うん……」


 お母さんの問いに、ミサキは短くうなずく。


 後ろには、改札口のゲートで押し合うようにしている警官の姿がある。

 すぐに、ここになだれ込んでくるだろう。

 僕に、残された時間はわずかだ!


「ミサキ!」


 僕は立ち上がると、ミサキを見詰める。


「はい……」


 ミサキも、僕を真っ直ぐに見た。

 見詰め合う2人。

 数々の思い出が、心の中に鮮明に蘇る。


 うれいを帯びた瞳で、空を見上げていたミサキのこと。

 ショッピングモールで撮ったプリントシールのこと。

 体育の時間、声なき声で『ガンバレ』って言ってくれたこと。


 恋愛教習所でまさかの再会。

 星空の下で、毎晩2人で話したときのこと。

 ミサキに好きな人がいることを知り、教習所から逃げ出したこと。

 迎えに来てくれたミサキは、涙を流すほど心配してくれていたこと。


 でも、ミサキが好きだった先輩には彼女がいて……

 失意のミサキを探して、街を走ったこと。


 酔っ払いに絡まれて……

 ミサキを守るため、生まれて初めて人を殴ったときのこと。

 2人で手を繋ぎ逃げた夜道。

 降り出した雨にびしょ濡れになり、僕は風邪を引いたこと。


 そして……

 マキからミサキの想いを聞いた、あのときのこと。


 数々の思い出が、走馬灯のように一瞬の中で頭の中を駆け巡っていく。


「ミサキ……」


 僕は名前を呼んだ。

 ミサキは何も言わない。

 次の言葉を待つように、大きな瞳でじっと見詰めてくる。


「僕は……」


 背中を汗が伝う。

 手足が震える。

 気を抜くと倒れてしまいそうな緊張感がここにはある。


 でも――


 言うんだ、僕の言葉で!

 伝えるんだ、この想いを!


 僕は息を大きく吸い込み……

 そして――

 

「僕は、ミサキのことが好きだ!!」


 僕の声が、構内に響き渡った。


 胸が激しく脈を打ち、全身が熱を発している。

 だけどそれは、不思議と嫌な気分じゃない。

 ずっと伝えたかった想いを、やっと伝えることが出来た……

 むしろ、清々しい気持ちでいっぱいだった。


「ガク……」


 感極まっている僕の前で、小さな口が開いた。


「私のこと……いつから好きだったの?」

「ずっと……初めて会ったときから、ずっと好きだった……」


 ミサキの頬が赤く染まる。

 そんな表情を見せる彼女も、たまらなく愛おしかった。


「だから……」


 僕は、拳を強く握り締める。


「だから、僕と付き合って下さい!!」


 そして、頭を下げると同時に、その手を勢い良く差し出した。


「ガク……」


 ミサキの声が響く。

 その静かな声に不意に息苦しさを覚えて、僕は強く唇を噛んだ。

 握り締めた拳には、更に力が入る。


「ありがとう……ガクの想い、伝わってきたよ。

 ガクは、私のことをずっと見てくれてたんだね。

 公園で怖い人たちに絡まれたときは、私の心も守ってくれた……」

「い、いや……あのときは、結局、僕が助けられちゃって……」

「ううん……私、ホントに嬉しかったんだよ」


 その言葉に、胸の中に熱いものが込み上げてきた。


「ミサキ……」

「ガク……」


 僕はまだ頭を下げたままの状態。

 ミサキのことは見ていない。

 でも、ミサキが僕を見ていることは、肌で感じる。


 この感覚が繋がっているということなのかな……


 しばしの沈黙。

 やがてミサキは、そっと口を開いた。


「……ごめんね」


 え……


 頭の中を吹き荒れる嵐。

 その言葉は、僕の中で幾重にも響いて……

 そして、心に深く突き刺さる。


 胸が痛い――

 いや……

 この痛みは、痛いなんて言葉で言い表せるものじゃない……


『ごめんね』


 たった4文字の言葉が、こんなにも辛かったなんて……

 体がぐにゃぐにゃになって、溶けて無くなってしまうような――

 そんな感覚が僕を襲ってきた。


 もちろん、想いを伝えたことに後悔はない。

 ないけど……

 やっぱり辛いんだ……


 このまま消えて無くなることができたら、どんなに楽なことだろう……

 様々な感情が、僕の中で吹き荒れる。


 そのとき――


 えっ……!?


 不意に右手を包む、優しい温もり。


 これは……!?


 その感覚が、僕を現実へと呼び戻していく。

 僕は、慌てて顔を上げた。


 そこには――


 差し出したまま固まっていた僕の手を、そっと握るミサキの手があったんだ……


「ごめんね、ガク」


 ミサキは笑う。


「私の力じゃ、この指はほどけないよ」

「えっ? えっ?」


 ミサキは、固く握られたままの僕の手を指した。


「グーのままじゃ、手は握れないでしょ?」


 そう言って微笑むミサキ。


 それは、間違いなく今までで1番愛らしい笑顔で――

 その瞬間、僕の中の嵐はどこかに吹き飛んでいた。


「ミ、ミサキ、それって……」


 僕がミサキの意志を確認しようとしたとき――


「そこまでだ!」


 不意に、僕たちの世界を切り裂く低い声。


「うぐっ!?」


 次の瞬間、僕は床の上に倒され――

 そして、数人の男が、僕の動きを拘束する。

 それが警官たちだと気付くのに、そう時間はかからなかった。


「無免許告白の現行犯だ!」

「ガクッ!!」

「うっ……くっ!!」


 ミサキが、悲鳴のような声を上げる。

 警官は、そんなミサキを横目で見た後、僕に向き直った。


「ここまで騒ぎが大きくなった以上“告白の疑い”では弱いからな」

「な……ワザと僕に……!?」

「仕事なんでな……悪く思うな」

「くそっ……!」


 僕は何とか抜け出そうと必死にもがく。

 だけど、ガッチリと押さえ込まれた体は、全く動かすことが出来なかった。


「ジタバタするんじゃない!」


 若い警官が叫ぶ。

 その声を無視して、どうにか顔だけをミサキの方に向ける。

 僕の目に、母親に肩を抱かれるミサキが映った。

 その顔は、今にも泣きそうだった。


 ミサキ、ごめん……

 そんな顔しないで。

 僕には、ミサキを悲しませるつもりなんてなかった……

 ただ、気持ちを伝えたかっただけなんだ……


「そんな顔をしたってダメだ!

 言いたいことがあるなら署で聞いてやる!」


 僕の表情に何かを勘違いしたのか、警官はそう言って僕を無理矢理に引き起こす。


「おらっ、立て!」


 くっ……

 ここまでか!


 そのとき――


「お兄ちゃーん!!」


 不意に響き渡る、聞き覚えのある声。

 この声は……


「エリカ!?」


 僕は驚き振り返った。

 果して、それは紛れも無く妹のエリカだった。


「な、なんでエリカが!?」

「俺が連れて来たんだ」


 エリカの後ろから現れた者、それは……


「レイジ!?」

「タクシー代、結構かかったんだぜ」


 そう言って、彼はおどけるように笑った。

 不安を顔いっぱいに浮かべ、両手で胸を押さえるエリカ。

 いつもの甘い顔で、笑うレイジ。


 そんな2人の前に、1人の警官が立ち塞がる。


「あー、君たちは彼の知り合いかな?

 彼は今、無免許告白の罪で逮捕されたから……」


 そう言う警官を、レイジは片手で制した。


「……無免許じゃなかったら、どうする?」

「なに!?」

「お兄ちゃん!」

「あっ、こらっ!」


 エリカは、警官の広げた腕の下をくぐって走る。

 そして改札口に辿り着くと、身を乗り出して叫んだ。


「お兄ちゃん、これ――っ!!」


 その手には封筒と……


「恋愛免許証!?」


 そう、そこには1枚の恋愛免許証があったんだ。


「そ、それは……?」

「お兄ちゃんが、家を出たのと同じくらいに届いたの!」


 通常、恋愛免許証は本試験に合格した場合、即日発行となり、その場で渡される。

 でも僕は試験終了と同時に病院に運ばれたため、合格した場合は郵送で届くこととなっていた。


 でも、あんな状態だったし、確実にダメだと思っていた。

 合否の確認すら、する気になれないほどだったのに……


「そうなんだ……合格、してたんだ……」


 突然のことに、思わず体が震えそうになる。


「ガクッ! もう、お前は無免許じゃない!」


 遅れて改札口に到着したレイジが叫ぶ。


「バトンはしっかり渡したぜ!

 ゴールのテープは、お前が切るんだ!」

「お兄ちゃん、頑張れー!」


 エリカも手を突き上げて応援する。


 ありがとう……

 ありがとう、2人とも……


 僕は2人に微笑むと、押さえつけている警官に目を向けた。


「すみません……手、離してもらえませんか?」

「あ……ああ、す、すまない」


 僕の静かな声に気圧されたかのように、警官たちは慌てて手を離す。

 警官たちが離れたことを確認し、僕はミサキを見た。


「ミサキ!」

「うん!」


 ミサキはうなずくと、心配そうにしているお母さんの腕の中からそっと抜け出した。

 そして、こちらに歩を進め、僕の前に立った。

 

 ミサキを見詰める僕。

 僕を見詰めるミサキ。


「ミサキ……もう一度言うね」


 小さくうなずいた彼女は、次の言葉をじっと待っている。

 僕は、静かに口を開いた。

 

「僕は……ミサキのことが好きだ! ずっとずっと……好きだった!」


 周りには、たくさんの人がいる。

 だけど、時が止まったかのように、誰一人として物音を立てる者はいない。

 辺りを沈黙が包んでいく。


「ねぇ、ガク……」


 その沈黙を破って、ミサキが口を開いた。


「ガクは……私を特別扱いしたり、私から離れたりしない……?」


 僕の視線から逃れるかのように、目を落として言うミサキ。

 その体は、少しだけ震えていた。


 きっと、病気のせいでたくさん辛い想いをしてきたのだろう。

 周りから気を遣われれば遣われるほど、孤独を感じていたのだろう。


 ミサキは、ずっと頑張ってきたんだ……


 そう思うと、不意に胸が熱くなり――


 気が付くと僕は、震える彼女の手を握り締めていた。


「ガ、ガク……!?」


 ミサキの頬が染まる。


「変わらないよ……僕は変わらない」


 僕は、握り締めた手を目の高さまで掲げた。


「もしミサキが、不安になったら、こうして手を繋ぐ。

 ミサキの不安が消えるまで……僕はこの手を離さない!」

「ガク……」


 掲げた手の向こうにミサキの顔が見える。

 その頬には、涙が光っていた。


「ありがとう……ガク……」


 ミサキは、泣きながら微笑んでいた。

 その笑顔に、思わず僕の目頭も熱くなる。


「もう……なんでガクまで泣くのよ」

「な、泣いてないよ!」


 ミサキの言葉に、僕は慌てて目をこすった。


「でも……人の心を感じることができる……

 それがガクの優しさなんだよね」


 そう言って、ミサキは微笑んだ。


「ずっと……そのままの……ガクでいてね」

「約束する!

 この気持ち……たとえ何年経っても、ずっと忘れない!」

「ガク……」


 その言葉に応えるかわりに、ミサキは僕に体を預けてきた。


「少し……このままで……いさせて」


 腕の中に広がるミサキの温もり。

 不意なるその出来事に、思わず胸が熱くなる。


 喜びを――

 幸せを――

 僕は、ようやく手にすることができたんだ……


「ミサキ……」


 溢れ出す熱い想いに駆られ、僕はその名を呼んだ。

 ミサキは何も答えず、僕の胸に顔をうずめている。


 ……何かがおかしい。


「……ミサキ?」


 もう一度、名前を呼んだ。

 ややあって返って来たのは――


「ガ……ク……」


 今にも消えてしまいそうな弱い声と、浅く荒い息遣いだった。


「ミサキ……?」


 その様子に違和感と胸騒ぎを覚え、僕はミサキの顔を見た。

 瞳をとじたミサキ。

 額に浮かぶ大粒の汗。

 愛しいその顔は、驚くくらいに真っ青だった。


「ミサキ!? どうしたの!?」

「ゴ……メン……ね……ガク……」

「ミサキ!!」


 異変を感じ取った両親が、ミサキの元に駆け付ける。


「いかん、チアノーゼが出ている!!」

「は、早く救急車を!!」


 両親の叫びを引き金に、辺りは再び喧騒に包まれた。

 僕に抱かれたまま、もはや立つこともできないミサキ。

 全身の血が、一斉に引いていく。


「ミサキッ!! ミサキ――ッ!!」


 ようやく手にした幸せは――

 このてのひらから、いとも簡単に転げ落ちていった……

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