6x6 (Six times Six)

戸城 樹

6x6 (Six times Six)

 ヤシカフレックスの正方形の薄暗いファインダーには、もう彼女は映らない。


 当たり前の風景を逆像で映すファインダーから顔を離し、からっぽのキャンパスを見渡す。

 熱気を帯びた空気に混じって響いてくる踏切の音が、やたらと耳にまとわりつく。

 昼下がりの西武池袋線江古田駅にほど近い我が母校は、アスファルトの熱気によって陽炎のように揺らいでいた。じわりと汗ばむ午後の日差しを浴びながら、僕は友人を待っていた。

 もっとも、僕達が『友人』でいられるのは、今日で最後かも知れないが……



 ファインダーに映った『彼女』にまつわるアクシデントが発生したのは、ホンの3日前のことだ。夏休みとはいえ、グループ展の準備に忙しかった僕は、校内にいた。

 デジタル化の進行で撤去されるかと思いきや、どっこい生きてる学内の暗室で現像作業をしていた僕は、暑さで朦朧とする頭での暗室作業で、定着の工程をダイナミックにすっ飛ばしてしまい、貴重なILFORDの120フィルムを1ロール無駄にした。

 きょうび、撮影フィルムは貴重だ。入手性も悪く価格も高い120フィルムに至っては、一本1000円以上もする。貧乏学生に1000円は貴重だ。大学にほど近い名店、『麺や金時』のラーメンを食ってまだお釣りが出る程の額だ。お世辞にも裕福とは言い難い親の脛を齧っている身としては、その他生活に係る費用については自らの労働で賄う必要がある。先月の給料日に食べた金時の塩ラーメンの艶やかなスープの味を、おぼろげな記憶の中で反芻しつつ、酢酸の臭いが充満する灼熱の暗室を出ると、僕は喫煙所へ向かった。

 手持ちのKodac 400TXをカメラに詰める。尻ポケットをまさぐったが、生憎タバコは切らしていた。

 全く、何もかもが上手くいかない。

 セーラムライトの代わりにシャツの胸ポケットに刺さっていたボールペンを咥え、人気のない夏休みのキャンパスにレンズを向けた。無限遠からフォーカスを合わせていくと、そこに、『彼女』がいた。

かなりオーバーサイズの、マス目の大きい赤✕白のギンガムチェックのジャケットに、やたらとダブダブなのに裾のテーパーがきつく、丈も中途半端な、妙なシルエットと色落ちのジーンズ。海外のキャンディのような派手な色のフレームの大きな眼鏡。小学生のような幼い顔立ちと、その唇に銜えられた細いタバコ。全てがアンバランスな女だった。

僕は、夢中でシャッターを切った。


「モテなさすぎて遂に妄想を具現化するに至ったか、戸川」


 その翌日、事の次第を聞いた文芸学科の野宮は、失礼極まりない台詞を吐くと、カワサキのバイクのような鮮やかなライムグリーンのネイルに彩られた細く美しい指でポテトピザを千切り、おもうさま齧りついた。過去一瞬とはいえ野宮に好意を抱いていた事実は、その後二人でしでかした様々な悪事や若気の至りを経て、うやむやになりつつあった。人間的好意は変わらず持ち続けているが、今や『悪友』にカテゴライズされつつある野宮結衣に色っぽいイメージを描くことは、ある種タブーであるかのように感じられてしまう。いずれ野宮か僕に恋人でもできたなら、この心地よい関係にも見直しを図らねばならないだろう。

その事を思うのは、少しだけ憂鬱だった。


「定量化できれば世紀の大発見だな」


 憮然と僕は返す。


「まぁ軽口はさておき、だ。戸川よ、キミはちゃんと食事を採っているのか?」

「脳機能の障害による幻覚の線は僕自身疑わなくもなかったけど、ちゃんと喰ってるよ」

「昨夜は何を?」

「玄米粥」

「砥いでいない米は玄米ではないし、水盛りを間違えて炊いたご飯を粥とは言わない」

「なぜそれを知ってる?」

「キミの普段の昼食のチョイスを見れば、察するのは容易だよ。味噌汁くらいは作れるようになっておけ。自分の体の栄養を賄える程度の調理技術は、現代人の基本スキルの一つだ……と、話が逸れたな。芸大は天然養殖問わず変人揃いとはいえ、そんな素頓狂な服装の女は、とんと見かけたことがない。そして、キミの脳の機能も正常だと仮定したならば……」

「その部分が仮定とは、どういうことだ?」


 野宮は含み笑いを浮かべ、僕を上目遣いに見遣ると、言った。


「芸大怪異譚。私好みのネタだ」


 ファインダーの中の女の捜索は、開始30秒であっけなく終了した。

 野宮に、『彼女』に出くわした状況を説明する為、学科教室でヤシカのファインダーを二人で覗いたところ、果たしてそこに『彼女』は映っていた。


「あまりに簡単に見つかってしまうと、有り難みに欠けるな」

「お前の有り難みの所在など知るか。で、どう思う?」

「確かにこれは妄想幻覚の類ではないようだな。しかしこれは……」


 野宮はヤシカのファインダーとレンズの先の風景を交互に見て唸る。

 明らかに無人の風景。しかしファインダーには、切り取られた風景と共に、彼女が映っていた。どこにフレーミングしても、必ず。ただし、空や屋上からの遠景のようなシチュエーションでは映らなかった。あくまで、人が存在し得る風景の中においては、僕のヤシカには必ず彼女が映っていた。


「撮影はしたのか?」

「ああ。フィルムには写っていなかったよ」

「この手の存在は、目には見えずとも写真には写るというのがセオリーなのだが」

「そのセオリーとやらはわからんが……どうする?」

「キミはバカか? コンタクトするしかあるまい」

「どうやって?」

「わからんが、まぁともかく彼女のいる場所、ファインダーに映る風景に入ってみるしかあるまい。まずは言い出しっぺの私が行ってみよう」


 即断即決。そして即行動。いいぞ野宮、僕が女なら惚れていたことだろう。


「どうだ?」


 開け放たれた教室のドアの前、ノースリーブのフーデッドパーカーとホットパンツ姿の野宮が、長い手脚を駆使して様々なポーズを取る。その横には例の女。しかし、視線が絡むどころか、彼女の瞳が野宮を捉えることすらなかった。野宮もまた、ファインダー越しには見えていた彼女の姿を捉えられずにいた。


「だめみたいだな。野宮、彼女は見えるか?」

「いや、全く。少々安易だったかな。戸川、今度はキミが立ってみろ」


 へいへい、と、僕は野宮と入れ替わりに同じようにドアの前に立つ。一瞬、ふらりと目眩がした。暑さのせいだろう。

 顰めた目を、ゆっくりと開くと、大きな眼鏡の奥の、ビックリしたような瞳が僕を捉えた。


「あ……ど、どうも」


 この上のない間の抜けた挨拶に、彼女は怯えたようにコクリと頷いた。


「初めまして……だよね? 芸大の人?」

「そうだけど、あなたも?」


 初めて聴いた彼女の声は、見た目にそぐわぬ落ち着いた響きだった。


「うん、そうだよ。写真学科の3年の戸川。君は?」

「美術学科、3年の若宮トーコ。あっちのやたらデカイ女の子は、あなたの彼女?」

「いや、友達だよ。彼女は野宮。文芸学科の3年だ。彼女がみえるの?」

「ええ。というかアナタ、一体どうやって『コッチ側』に来たのよ?」

「コッチ側?」

「そう、『コッチ側』。あなたと私が今いるこの世界のこと。本来、アナタ達のような人は来られないハズなのだけれど……」


―――おーい。

―――おーい、戸川ーーー!


 遠くから野宮の声が聞こえる。近くに居るはずの野宮の声が、なぜだかとても遠い。


「呼んでいるみたいよ?」

「ああ。野宮には、僕達の声は……」

「聞こえていないでしょうね。本来、見える事だってあり得ない世界だもの」

「それって、死後の世界、ってやつ?」

「少し違うわね。うーん……そうねぇ……」


 トーコは少し考えこんだ後、いい事を思いついたとばかりにうんうんと頷くと、僕の顔を見上げ、言った。


「明日、私とデートなさい。そしたら、教えてあげるわ」


 首を傾げ、ウィンクをするトーコの姿が、急速で遠ざかる。後頭部に強い衝撃を受けた僕の意識が、ゆっくりと闇に溶けていった。



 AM11:30。駅近くの細い通りにある書店の並びのカレー屋で、ラッシーをストローで吸いつつ、僕はぶっくりと腫れた後頭部を撫で、傍らにいる野宮をじっとりと睨む。


「だから、悪かったと言っているだろう! いい加減女々しいぞ戸川」

「…………」


 昨日、トーコからデートの誘いを受けた直後に僕の意識を刈り取ったのは、誰あろう野宮だった。


「いや、良くないものに魅入られて連れて行かれるなどというのは、よく聞く話じゃないか。心配したんだぞ!」

「それは聞いた。問題はそのシチュエーションでのお前の行動だ、野宮」


トーコのいる『あっち側』に行っていた間、僕は一人芝居の練習をする役者のようだったという。何度声をかけても反応せずに一人芝居を続ける僕を、さすがにマズイと思った野宮が取った行動が、ヤシカのフレーム外に僕を『すっとばす』ことだった。プロレスファンの野宮のラリアットを喉元に食らった僕は、野宮の目論見通りヤシカのフレームから外れた。長身の野宮の腕から繰り出された伝説のレスラーの必殺技は思いのほか綺麗にキマり、吹き飛ばされた僕は、したたかに教室の壁に後頭部を叩きつけられたという訳だ。


「だが、非力な私が動かないキミをカメラのフレーム外まで担ぐというのは、更に現実的ではない選択だぞ? 私は、次善の策だったと思う」

「……カメラの方を動かせばよかったんじゃないか?」

「!」

俯いた野宮の耳が、みるみる朱く染まっていく。紙のように白い野宮の肌は、体表面の血液の巡りが実によく見える。この分だと、野宮の顔は更に真っ赤だろう。

「もしかして、気づかなかったのか?」


こくり、と頷いた野宮を見て、これ以上の追求は無意味と判断した僕は、昨日の教室での出来事についての話を切り出した。


「それで、僕が『あっち側』に行っていた間のトーコの声は、野宮には全然聴こえていなかったんだな?」

「ああ、キミがカメラのファインダーに映って、彼女と話し始めた瞬間から、聞こえたのはキミの声だけだったよ」

「ファインダーの中はどうだった?」

「キミが彼女と何やら話しているのが見えたよ。やけに楽しげだったな……」

「得難い経験ではあったよ」

「で、何故そこからデートになるのだ?」

「知らん。言い出したのはトーコだし、その意図を問いただす前に、野宮にリングに沈められたからな」

「くっ……で、彼女が指定してきたのがココなんだな?」

「ああ」

「そうか……それで彼女、名は『若宮トーコ』と名乗ったのだな?」

「ああ。それが、どうかしたか?」

「いや、ちょっと引っかかってな……若宮……ワカミヤ……」

「今日は、やめておくか?」

「いや、約束をしたのであろう? 女との約束を反故にするような男は、割と最低だぞ。戸川よ、準備はいいか?」

「おう、どんとこい」


 野宮がヤシカのファインダーを開く。

 ふらりと目眩を感じ、頭を振ると、隣にトーコがいた。


「そっか、『トキ』はもうなくなっちゃったんだねぇ……」


 トーコがぽつりと呟く。そういえば聞いたことがある。僕達が入学する何年か前まで、ここに江古田最古の喫茶店があったらしい。


「トーコが居た頃はここ、喫茶店だったんだよね?」

「うん。みんなでよく来た喫茶店が、ここにあったんだ。大盛りのナポリタンを、みんなで食べたっけ……」

「トーコはさ、霊とかそういう存在なの?」

「あは、結構ストレートに訊いてくるね、キミ。うーん……そんなもののようでもあるけど、ちょっとニュアンスが違うのよねぇ……」

「なんだか歯切れが悪いね」

「『コッチ側』の世界は、別に死者だけの世界ではないのよ。ここはね、終わってしまった世界」

「終わった世界?」

「そう。生者にせよ死者にせよ、人は生きた時間の中で、必ず悔いを残す。『あの時ああしていれば良かった』、『あの時あっちを選んでいれば』ってね。そんな強い強い悔いが、人の形になって吹き溜まっている場所が、『コッチ側』の世界なんだ」

「トーコも、何か悔いがあるの?」

「あるよー、特大のがね。ワタシ達は、本体が持ってる悔いが解消されない限り、ココにずっと縛られる。いつまでも、いつまでも」

「待って、さっき『生者にせよ死者にせよ』って言ってたけど。じゃあ、死者が本体のヤツは……」

「自力で解消することができない以上、永久にココに居るしかないわね。ワタシの『本体』も、既にこの世にはいない」

「それって……」

「ああ、心配しないで。アナタがどんな想像をしているのかわからなけれど、ココで暮らすのもそんなに悪いもんでもないわ。ただ、『本体』がもう居ないのにワタシだけこんなトコに居るのもなんだか具合が悪いじゃない? だから、あなたに協力して欲しいの。『本体』がもう死んじゃってる以上、こんなチャンスが巡ってくることは、多分この先もうないだろうから」

「OK、で、僕は何をすればいい?」

「あら? 昨日言ったじゃない。デートよ。ワタシと、デートして欲しいのよ。もう少しだけ、ワタシに付き合ってくれる?」


 トーコに促されるままに立ち上がり、店を出る。野宮、すまないが支払は任せた。

 

 『お志ど里』の横入口を左手に、景品交換所とイスラエル料理店とバーを抜け、線路沿いを歩く。僕達の右手を、西武池袋線の『銀河鉄道999』のラッピング車両が通り過ぎる。


「あ! 鉄郎とメーテル!! 今あんなの走ってるんだ!!」

「見たことなかったの?」

「ワタシ達は、それぞれの時代の牢獄に囚われてるようなものだからね。基本的には『本体』が生きてた時代を永遠に反芻し続けることしかできない。だから、ワタシ達はみんな、新しいモノに飢えてるよ」

「そっか。今は区役所に住民票取りにいくと、銀河鉄道999の主要キャラと、練馬区のキャラクターの『ねり丸』の透かしが入った状態で発行されるよ」

「やだ、さすがにそんな子供騙しの冗談、真に受けないわよ」


 いや、冗談ではないのだけど。

 芸大側に戻る踏切を渡り、市場通り商店街を散策する。


「市場も、もうなくなっちゃったんだね」

「何年か前に解体されたらしい」

「そっかぁ……お豆屋さんで売ってたお煎餅、おいしかったんだけどなぁ……あ!これはまだあった!」


 トーコはたいやき屋の横のおもちゃの乗り物にテンションを上げる。


「100円、入れる?」

「んー、いい」

「そっか」


 他愛もないやり取り。意味などない街歩き。トーコの指先が、僕の左手の小指を摘む。

 一瞬、彼女は立ち止まり、後ろを振り向いた。僕達を見続けているカメラを確認するかのように。


「ん?どうした?」

「なんでもなーい♪」


 浅間神社を過ぎ、駅の芸大側の出口まで来た。

 このまま歩けば、芸大に着く。


「もうすぐ芸大だぞ」

「そうだねぇ」

「デート、するんじゃなかったのか?」

「ん? 今してるじゃん♪」

「いや、どこか行ったり、何かして遊んだりとか、しなくていいのか?」

「そういうのは、なーんにもできないよ。さっきも言ったように、ワタシはココに縛られてるからね。でも……」


 きゅ、と、一瞬トーコが僕の指を強く握る。


「悪くなかったよ。久しぶりに新しいモノ見れたし、初めて男の子とデートできたし」

「はじめて?」

「そ、初めて。ワタシの『本体』はさ、芸大出てすぐお見合い結婚したの。さして好きな人ではなかったけれど、どうしてもダメって程嫌いでもなかったしね。子供ができてからは、ジェットコースターみたいな日々の中、パレットもナイフもカチカチの絵の具が載ったままほったらかし。あんなに燃えていた日々が嘘になってしまったみたいで、物置の片隅の画材を見るたびに、過去の自分に責められてるみたいだった」


 信号を渡れば芸大というところまで、僕達は来た。


「あのさ……」


 きゅ。

 何か言おうと開いた口が紡いだ中途半端な言葉を遮るように、トーコの小さな手が僕の小指を包み込む。

 北入口からのびるなだらかなスロープを上り、ギャラリー棟を左手に、西門から校内に入る。大道具室の裏手で、トーコは足を止めた。


「ありがと。もう、いいや」


 トーコは、多分、これで消える。彼女の『本体』は既にこの世界には存在しない。なにより彼女自身、本来は存在しないほうが良い存在だ。けれど、だからといって割り切れるものではない。ホンのかすかなものであったとはいえ、僕とトーコには、縁ができてしまったのだから。


「そんな顔しないの」

「ああ……」

「野宮ちゃん、アナタもありがとうね。……って、声聞こえないか。よし」


 トーコは僕の手を改めて掴み直すと、ヤシカのレンズのそば(と思われる位置)ギリギリまで引き連れ、僕のTシャツの胸倉をぐいと掴むと、顔を寄せてきた。 トーコの唇が、僕の唇に触れ……


――――なぁぁぁぁぁぁ!!


 ……る寸前、野宮の雄々しい雄叫びが、聞こえた。トーコは僕を開放し、レンズの方角からぐいと『何か』を掴み、『こちら側』に引き込んだ。


「いたた……え? 此処は」

「初めまして、野宮さん。撮影お疲れ様でした」


スピーディに状況を把握した野宮が答える。


「『初めまして』じゃないよ、塔子おばさま」

「あら? 気づいていたの? 」

「うん、昨日の夜、ね。『若宮』って、塔子おばさまの旧姓だったよね。気づくのがちょっと遅かったけど」

「結衣ちゃん、よく思い出したわね」

「どうして? こうして私も『コッチ側』に来られるなら、もっと早く来て、私だって塔子おばさまと話がしたかった」

「あら、だって、デートの邪魔をされたくなかったんだもの」

「星野のおじさまに言いつけちゃおうかな」

「やーだー。あの人めんどくさいからやめて。結婚してからずっとあの人のお守りしてきたんだから、もういい加減開放されたいわ」


 姉妹のような、気のおけない友人のような野宮とトーコの話を、僕は温かい気持ちで聴いていた。ふと、野宮は黙りこみ、静寂を作ると、ぽつり、と一言、トーコに問いかけた。


「トーコおばさまの『悔い』って、なんだったの? こんな風に、何年も何年も心の一部が彷徨い続けてしまう程の後悔って、何だったの?」

「ん? だからデートだよ。ワタシ、男の子とデートって、一度もしたことなかったんだ」「え! ホントにそれがおばさまの『悔い』だったの?」

「そうよー。何かおかしい?」

「なにかもっと重要で、重大なことかと思った」

「利昭さんとの結婚を、後悔してるワケじゃないのよ? でもさぁ、ワタシ、ホントに心から『素敵だな』、『カッコいいな』って思う男の子とデートしたことって、なかったんだもん。ワタシ、恋って一度もしたことないまま結婚して子供産んじゃったのよねぇ……」「うーん……そのお相手に戸川じゃ、ちょっと荷が勝ちすぎだったかもね」

「あら? そんなことないわよ。戸川くん、素敵だと思うわよ、ワタシ」

「えー!」


 なんだか好き放題言われているような気がするが、全力で気にしないことにする。

 トーコは居住まいを正し、野宮に向き直ると、怖い程真剣な表情で言った。


「結衣ちゃん、自分だけは誤魔化しちゃダメだよ……ワタシみたいになっちゃうよ?」

「えっ!?」

「結衣ちゃん、自分でももうわかってるでしょ? 自分にだけは、嘘ついちゃダメ。多分ね、戸川くんも満更でもないはずよ」

「なっ! 塔子おばさま!?」

「欲しいものも、欲しい人も、うやむやにしてはダメよ。さて……そろそろのようだわ」

「行っちゃうの?」

「ええ。そもそもワタシ自体、本来存在しないほうが良いものだし」

 トーコは野宮の背を抱き、じゃあね、と言った。

 真夏の幻のような物語は、トーコの意味深な言葉と僕達の微妙な空気を残し、炭酸の泡のように弾けて消えた。



「とが……わ」


聞き慣れた悪友の声が、今日は少し硬い。真っ白なワンピースを着た野宮の頬は、少し紅潮していた。僕の予想は、多分的中する。僕達は、もう『友達』ではいられなくなる。


「……何があったんだ?」

「……似合わないか?」

「……いや、良く似合っている」


 にこーっと、文字通りの満面の笑みを返され、僕は面喰らってしまう。今日の野宮は、心臓に悪い。


「戸川」

「ん?」

「私の男になれ」


 告白。

 野宮らしい、唐突で、ぶっきらぼうで、直裁で、甘さの欠片もない告白。でも、それが気に入った。こいつになら、独占されてみるのも悪くないかも知れない。モヤモヤと悩んでいたのがバカみたいに思えてきて、自然に顔がニヤけてしまう。


「オーケー、わかった。じゃあ相棒、今日は何処へ?」

「デートをするぞ。この街を隅から隅まで、だ。昨日は塔子おばさまに見せ付けられたからな。倍返しだ」


 差し出す野宮の手を握る。少しだけ気恥ずかしい。少し早い鼓動は、それでも何故か心地よかった。


                                   fin

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

6x6 (Six times Six) 戸城 樹 @OZZY-ZOW

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ