馬車

 月明かりの中、パックはもくもくと歩みをとめず旅を続ける。

 頭の中には、ミリィという女の子のことでいっぱいだ。

 同じ洞窟の、別々の箇所で眠っていた二人。

 いったいぼくらはどういう関係なのだろう?

 ミリィ……。

 そっと呼びかけてみる。

 その途端、悲哀がするどく胸にこみ上げてきた。

 どういうわけか、その名前を聞いた瞬間、どうしてもその相手に会わなければならないという強い思いに支配されたのである。ヘロヘロがその名前をうっかり漏らした瞬間、ただならない気持ちが、パックに襲い掛かってきた。

 パックは地面をついてきている自分の影を見つめた。

 影に尋ねても、答えは返ってこない。

 そのうち、背後からからからという乾いた音が近づいてくる。

 ぱかぱかぱか……という規則正しい音がそれにかぶさっている。

 ふりむくと、ちいさな明かりが左右に揺れながら近づいてきた。

 なんだろう。

 やがてそれが馬車の灯火であることに気づいた。

 馬車の窓からひとりの老人が顔を突き出し、パックを見おろしている。

 老人はひと声叫び、馬車を御している御者に声をかけた。

 どうどうどう……。

 御者はたくみに馬を御して、馬車をパックの側で停車させた。

 老人はじろじろと無遠慮な視線でパックの全身を眺めた。御者が気を利かせ、馬車のランプを外してパックの全身を照らし出した。ヘロヘロはランプの光が照らし出す寸前、あわててパックの背中にまわり、バッグに逃げ込んでいた。

「ドッグテールを倒したのはきみかね?」

 しゃがれた声で、老人は話しかけた。

「ドッグテール……なんですか?」

「犬の首に、蛇の身体を持った魔物だよ。道で、あいつがふたつに身体を切断されて死んでいるのを見つけてびっくりしてね……お前さんが殺さなければ、わしらがあれに襲われているところだった」

 パックはうなずいた。

 気がつくと、じぶんの服があのときの返り血でよごれている。

「名前は?」

 パックが答えようと口を開きかけた瞬間、老人は笑顔になって言葉を重ねた。

「ああ、失礼した。まずじぶんから名乗るべきだった。わしはダルリ村の、フラン・オードというものだ。こう見えても村長をつとめておる。今夜はとなり村のツラリ村での会合があって、その帰りというわけだ」

「ぼくはパックといいます」

「パック……なにかね? 苗字があるだろう?」

「パックだけです。それ以外、知りません」

 ふむ?

 オードは眉をあげた。

「まあいい。とにかく、あの魔物を倒してくれたのだから、あんたはわしの恩人というわけだ。どうかね、歩いていくのは疲れるのじゃないのかな。よかったら、乗っていかんか?」

 ドアを半開きにして、オード老人は笑顔を見せた。

「有難うございます」

 パックはためらいもなく馬車に乗り込み、オードの真向かいの席に座った。御者が馬に声をかけ、ぴしりと鞭を空中で鳴らした。

 ぶるるる……馬たちが鼻を鳴らし、かつかつと蹄の音を響かせふたたび馬車は動き出す。

 やわかな革のシートに座り込んで、はじめてパックは自分がひどく疲れているのに気づいた。

 オードはにこにことほほ笑みかけてくる。

「しかしあのドッグテールを、よく倒したな。よほど剣の腕がいいんじゃろう」

「ああいった魔物はよく出るんですか?」

「前はあんな魔物は存在しなかった。わしの子供のころは、人々は旅をするのも、身を守る必要すら感じなかった。しかし五十年くらい前のことか……いきなりああいった魔物が出現するようになった。ドッグテールのほか、さまざまな魔物があらわれ、人間を襲うようになった。いったいなぜなのか、判らん。それよりよかったらきみのこと……パックと言ったな。話してもらえんだろうか?」

 ええ、とパックはうなずき、洞窟で目覚めたときのことから話しだした。

 ようやくパックが話を終えると、オードの顔に真剣な表情が浮かんでいた。

「そのミリィという娘だがね、十日前わしの村にやってきたよ」

 え、とパックは弾かれたように上体を浮かせた。

 おっと! と、オードはパックの勢いにのけぞった。

「そ、それでミリィという女の子は?」

「慌てるでない。残念だが、そのミリィという娘は一晩わしらの村宿で休息してすぐ旅立ったよ。街道をたどっていったから、たぶんつぎの宿場町に向かったのじゃないのかな」

 そうですか……と、パックはシートに腰を落ち着かせた。

 そんなパックを、オードは優しく見つめた。

「お前さんの言うことが確かなら、ミリィという女の子とあんたには何か不思議なつながりがあるようじゃな。いったい、どんな理由があるのじゃろう」

 わかりません、とパックは首をふる。

「休みなさい。馬車で行けば明け方までにはダルリ村へはつく。あんたはひどく疲れているようじゃな」

 うなずいたパックは、狭いシートに倒れこんだ。

 その瞬間、深々とした眠気が襲ってきた。

 ごとごとという、車輪の振動が心地よい。

 すやすやとした寝息を立て、パックは眠り込んでいた。

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