第二章

魔物

 日が翳り、やがて夕方になる。

 丘の向こうに、夕日がゆっくりと沈んでいく。

 夜が空を覆って、星が輝きだした。

 足もとに影が出来ている。

 空を見上げたパックは、さえざえとした青白い月が昇っているのを認めた。

 あの洞窟で十五年眠っていたせいか、まったく眠気を感じない。

 気温も震えるほど寒くはなく、むしろ昼間の暑苦しさから逃れることが出来て、旅ははかどるくらいだ。

 と、足がとまる。

「どうしたの?」

 肩にとまったヘロヘロがちいさく声をあげた。

 しっ! と、パックは手をあげヘロヘロを黙らせた。

 緊張が全身をつつんでいる。

 敵だ……。

 なぜかそう思った。

 右手が、腰の剣の柄にのばされた。

 鯉口をしずかに引き、身構える。

 ぐろろろろ……!

 奇妙な唸り声が右手から聞こえてくる。

 さっ! と、パックは剣を引き抜いた。

 きらり、と剣の刀身が月の光を浴びてきらめいた。

 ずばり!

 確かな手ごたえ。

 うぎゃあ……!

 魂消るような叫びを残し、血煙が舞った。

 その時、はじめてパックはじぶんが倒した相手を見た。

 ひくひくと奇妙な生き物が地面をのたうちまわっていた。

 蛇が胴体を寸断され、断末魔の悲鳴をあげている。

 その蛇の頭部には、あるべき爬虫類の頭部はなく、かわりに犬の頭がついていた。ばくりとおおきな口を開け、だらだらと唾液をほとばしらせ、犬の頭をもった蛇はぐねぐねと胴体をひくつかせ苦痛に身をよじっている。蛇の背中には犬の毛がびっしりと生えていた。

 血だまりの中で、蛇はぐいと身をおこし犬のふたつの目がじろりとパックを睨んでいる。

 月の光を受け、ふたつの目はらんらんと青白く光った。

 ぐわり、と大口を開け、犬蛇──というべきか──魔物は最後のちからを振り絞ってパックに向かってきた。

 ふたたびパックは剣を横に薙ぎ払った。

 ぎゃううん……。

 吹き飛ばされるように犬の頭が胴体からちぎれ、どさりと地面に転がった。

 それでもまだ生きているのか、ふたつの目は恨めしげにパックを見上げていた。

 どくどくと血潮が切断箇所から噴き出し、あたりに生臭い匂いがただよった。

 やっと魔物は息をひきとった。

 ふう……。

 顎にしたたる汗をぬぐい、パックは思わずへたりこんでしまった。

 魔物を倒した!

 じわりと勝利感がこみあげてくる。

 しかしなぜ、こんな生き物がいる?

 犬、そして蛇。

 どちらの生き物もパックは知っていた。その姿を一度も見たことがないのにかかわらず、思い浮かべることが出来る。しかし蛇の身体に犬の頭をした生物など、まるで記憶に浮かんでは来ない。

 ゆっくりと草で剣の血糊をふき取り、パックは鞘におさめた。

「びっくりしたねえ……外にはあんな魔物がいるんだ」

 ようやく、といった感じでヘロヘロが話しかけてきた。

 ああ、とパックは言葉もなくうなずいた。なんだか返事をするのも億劫だ。

「旅をつづけよう……」

 つぶやき、パックは立ち上がった。

「でもミリィは大丈夫だったかなあ。やっぱり魔物に出会っているのかな……」

 ぎくり、とパックの歩みがとまる。

「ミリィって、だれだ!」

 するどくヘロヘロに尋ねた。

 ぴくん、とヘロヘロは身を縮めた。

 するり! と、ヘロヘロはパックの肩から離れると、バッグの中へ飛び込んだ。

 パックはバッグを掴み上げ、怒鳴った。

「答えろヘロヘロ! ミリィってだれだ?」

 ぶるぶる……バッグが細かく震えている。

「駄目だよう……言っちゃだめって言われているんだ!」

 くぐもった声が、バッグから聞こえてくる。

 答えろよ! パックは荒々しくバッグをゆすぶった。

 しかしヘロヘロは答えない。じっとバッグの中で黙ったままだ。

「そうか、答えたくないならしかたがない。それじゃ、お前ともここでお別れだ」

 しばし沈黙。

「お別れ?」

 ちいさな声が聞こえてきた。

「そうだ。お前をここで放り出して、ぼくは旅を続ける。さっきの魔物は、ぼくの剣でやっつけたけど、お前はどうかな? お前なんか、ぱくりと一飲みで食われちまうだろうな」

 ぷるぷる……。

 バッグが激しく震えだした。

 パックはバッグを地面につけ、話しかけた。

「じゃ、お別れだな。元気でやれよ。魔物に出会わないよう、祈ってやるよ」

「ま、待ってよお!」

 情けない声が聞こえてきた。

「言うな?」

 うん……諦めたような声がして、にょろりとヘロヘロが顔を出した。

「魔物、いない?」

 ああ、いないよと答えると、ヘロヘロはするするとパックの肩によじ登った。

「ミリィっていうのはね……」

 ヘロヘロは話しだした。

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