少女の旅立ち
洞窟の奥は暗かった。
歩くと、下り坂になっていて、ミリィの足ははやまった。
どのくらい下ったろうか、空気がやがてひやりとしたものに変わっていた。
ぞくぞくとミリィの背筋に寒気がはいのぼる。裸でいることを強く意識する。
なんだろう、なにがあるというのだろう?
次第に彼女の足取りは遅くなる。じりじりと小刻みに足を動かし、用心深く進む。
──来てはいけない!
──帰れ!
いきなり、ミリィの頭の中でこのような命令が聞こえてきた。耳に聞こえる声ではなく、心の中に直接ひびく強い命令がミリィの足をとどめた。
「だれ? だれなの、あたしに命令するのは?」
ミリィは闇に向かって叫んだ。頭髪がちりちりと逆立つ感触がして、恐ろしさにミリィは震えていたが、それでも正体を知ろうという欲求に踏みとどまっていた。
──帰れ!
ふたたび、さらに強い命令がミリィを揺り動かした。それは厳然たる衝動で、ミリィはもはやそれに抗することは不可能になったことを悟っていた。
くるりとふりむき、走り出す。
──帰れ、帰るのだ!
──二度とここに足を踏み入れてはならぬ!
その声に、ミリィは両手で耳をふさいでいた。
わあわあと恐怖に喚きつつ、ミリィは入り口に戻っていた。
スライムが待っていた。その側にミリィはがくりと膝を落とし、喘いだ。
「だからおよしなさいと申し上げたのです」
ミリィは顔をあげた。
「いったい、あそこにはなにがあるの? 教えて!」
スライムはかぶりをふった。
「わかりません、知らないのです。ただ、禁じられた場所であることは判ります。もう、あそこへいらっしゃらないように……」
念を押されなくとも、ミリィは二度とあそこへ足を踏み入れる気力をなくしていた。がくがくとなんどもうなずくと、彼女は立ち上がった。
「案内して……」
どうぞ、とスライムはミリィをもとの通廊へとみちびいた。
やがてスライムは洞窟の横にあいた小部屋にミリィを案内した。
さきほどの浴槽のようなものが置いてあり、脇にいくつもの桶がならんでいる。
浴槽にはあたたかな湯が沸いていた。
湯の中に手をいれると、ちょうどいい湯加減である。
「どうぞ、その溶液を洗い落としてください。身体を拭いて、あなたさまが外へ出られるための服を用意しましょう」
いったいいつの間に風呂の用意をしておいたのだろうか?
ずっと眠っていたのに、ミリィは風呂のことも知っているし、スライムの言葉も理解できる。だが疑問は浮かばなかった。それが自然だと思っていたからだ。
ミリィはスライムに指示されたように風呂に身体をしずめ、身体についたねばねばとした溶液を洗い落とした。身体を拭くと、スライムが彼女のために用意したと言う服をもってあらわれた。
簡素な下着。鮮やかなオレンジ色の上着。黒いタイツ。腰をしめるための革のベルト。やわらかで、ふかい緑色のフードつきのマント。膝もとまで覆う革靴。
それらをスライムは手際よく着付けてくれる。
最後に渡されたのはしなやかな革の鞭であった。
顔に疑問が出たのだろう。スライムはしかめつらしく答えた。
「外はいろいろな意味で危険がまっております。その鞭は魔法のちからがこめられた武器であり、さまざまな用途に使える道具でもあります。どうぞお気をつけください」
鞭を腰のベルトに結わえると、ミリィの外出のしたくは完成した。
「それからこれを持っていってください」
スライムはミリィに肩からさげるカバンを手渡した。
中をのぞくと、何日間ぶんの食料や、ずしりと重い金袋がはいっている。
「食料は大事につかえば十日はもつでしょう。十日もあれば、近くの人里に出ますから、そこで宿に停まるか、食料を補給なさってください。そのための金を用意しております」
「いろいろ有難う」
ミリィが礼を言うと、スライムは全身を震わせた。
「いいえ、これがわたしの使命なのですから。それも今日で終わりになりました。どうぞごきげんよう。ミリィさまのお幸せを祈っております」
ええ……と答えたミリィはしばらく立ちつくした。
と、だしぬけにミリィはスライムに覆いかぶさり、ぎゅっとその原形質の身体を抱きしめた。
「あなたのことは忘れないわ!」
スライムは興奮したのか、体色を真っ赤に染めた。
抱擁がおわり、ミリィは決然と立ち上がり、歩き出した。
ほのかな明かりを目指し、歩いていく。
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