救世主の二重奏

 結果的に言うと、双太郎は鼻の骨を骨折し入院。

 そして、まいことみっちゃんも含むクラスの全員が二週間の自宅謹慎を命じられた。

 その二週間、まいこの自宅への謝罪訪問が途絶えることはなかった。

 学校側は、保護者向けの説明会と全校集会を開き、この事件を世間には公表せずに収めようとした。

 が、まいこの自宅のパソコンと、まいこ達のクラスの担任により、学校側のパソコンから、まいこの収集した"決定的な証拠の数々"がネットに公開されたことで、この事件は大々的に世間の白日のもとに晒されることとなった。

 それにより、当然隠蔽に及んだ学校側と加害者側が大いにバッシングを受けた。

 世間からのバッシングやマスコミの取材は元より、ネットの有志なのか、はたまた事件の関係者なのか、何者かによる完璧な情報収集でいじめの主犯格のグループはもちろんのこと。

 伊藤舞子、伊東未来を除くクラスメイトの全員が素性と個人情報を暴かれ、ネット上や現実世界に拡散された。そうなると当然、彼らは転校を余儀なくされ、本当の意味で異常なクラスは崩壊した。

 そして泉双太郎も遥か遠くへ引っ越して、街には一切姿を表さなかったという。


 そんな中、教育委員会の特別措置でまいこは市内の近くの中学に編入した。

 なぜかどうやったのか、みっちゃんもまいこと同じ中学に編入、二人は親友になった。

 そしてそれから一年の間に、この事件がきっかけになり、全国でいじめの告白率が大幅に上昇した。教師間、学校間のいじめへの問題意識も非常に高まった。

 結果、これらを受けたことにより、国内でのいじめについての議論やその具体的対策や厳罰化のための話し合いなどが全国各地で行われた。

 そうしてやがて、いじめは犯罪になった。

 いじめを正式に犯罪に分類し、年齢にかかわらず逮捕し、厳罰に処することができるようになるなど、具体的でより効果的ないじめ防止対策推進法が確立することとなった。





************************





 そして今年は事件からちょうど二年目。年始。冬。




 まいことみっちゃんは高校一年生になっていた。

 二人は、学校帰りの夕方に雪の積もった公園に立ち寄っていた。

「まいこー、なんでここに寄り道?」

 みっちゃんが興味深そうに聞く。まいこが自分からこんなアウトドアな寄り道を提案するなんてことは今までなかったためだ。

「知らない連絡先から、『この公園に来てください。話したい事があります』っていう文面が届いてたから来たんだけど」

 と、まいこはスマートフォンの画面を見せる。

「おーホントだ。なんだろ、告白かな? 告白かな? うひひ、まいこかわいいもんね!」

 みっちゃんは目を輝かせて笑いながら言った。

「ええ、告白? …だったらど、どうしよう」

 まいこが顔を赤らめて本気で取り乱してるふりをして、すぐに真顔になった。

「なんてね、そんなわけないよ。そもそも見当がついてないなら、私が知らない人が待ってるところに行くと――」

「うひゃー、今年も雪降ってるねぇまいこ! ほらほら!」

 みっちゃんはまいこの話を途中で切り、白い雪のじゅうたんが広がる地面へと飛び込むなり、手足をばたつかせ、楽しそうにもがく。

「あははは! 冷たい! 冷たいよまいこ! ほら!」

 急に起き上がり、赤い手袋を装着した手で白い雪をすくってまいこの放り投げ撒き散らす。

「わかった。冷たい冷たい、冷たいよみっちゃん、すごい冷たいから」

 まいこはかかった雪を払いのけながらかからない場所まで逃げる。

「まてまてまてー! まいこまてー! 雪合戦だー!」

 雪を両手いっぱいにもち、みっちゃんがまいこに向かって走り寄った。

「ちょ、寒いのとか冷たいの嫌いなんだって私!」

 まいこは、後方のみっちゃんのほうに視線を飛ばしながら、逃げる。

 すると、誰かにぶつかった。

「あ、すいません」

 紺色のブレザーを着こなす男子にぶつかり、謝られた。

「こちらこそ、ごめんなさい」

 まいこは相手の顔を見て深々とお辞儀する。

 まいこの黒髪ポニーテールが音もなく横にずれる。



「……伊藤さん?」

 男が驚いた顔で名前を呼ぶ。

「…泉くん」

 まいこが呼び返す。

「どしたのまいこー! おお、泉くん!? もしかして泉くん!?」

 おいついたみっちゃんも笑顔を浮かべ、呼ぶ。

「あ、……ああ、……来てくれたんだ……!」

 双太郎は手に持っていた荷物を構わず放り投げると雪に膝をつけ、額をそれ以上に雪につけ、土下座した。

「本当に……ごめんなさい」

 双太郎は心から謝罪した。

「謝って許されることではないことはわかってる。俺があの日、二年前にしたことはこんな謝罪程度じゃ許されないことは重々承知だ。だけど俺にはこうして土下座する方法しか浮かばなかった。許されなくてもいい、懺悔させてほしい。伊藤さんには、助けてもらったのに。伊藤さんは、救世主だったのに。恩人だったのに。裏切ってしまった。俺は、俺は俺は、俺は大切な人を裏切ってしまった。俺はずっとこの二年間思い悩んできた、怖くて謝りにいけなくて、俺はずっと、どうやって謝罪の気持ちを伝えていいのかわからなくて。今まで逃げてきた。でも、言い訳するようだけど。ずっとずっと謝りたかった。だから今日、二年ぶりに帰ってきて俺は本当の意味で自分の大罪と向き合うことに決めたんだ。今になったのもすべて、俺の心の弱さが原因だ。ごめん。申し訳ない。本当に申し訳ありませんでした……本当に……!」

「この程度で許してもらえるなんて、……思ってない。今更謝られても困るかもしれない。それでも……、……それでも俺は謝らずにはいられないんだ。俺はずっとずっと弱くて脆いから、こんな謝ることしかできない。あの時はごめんよ、本当にごめん、ごめん、ごめん。ごめん、ごめんなさい……そして、そして……」


 双太郎は叫ぶように、魂から心から、声をひねりだすかのように謝罪した。

 それをまいことみっちゃんは黙って全部聞いていた。

 そして、双太郎が深呼吸し、やや間を開けて、


「そして、ありがとう」


「俺をいじめから助けてくれて、もう人間じゃなくなってた俺を救ってくれて…。…君は、君は君は本当に俺の救世主だ」

 双太郎は涙声で言うと、深々とさっきよりずっと雪に額をこすりつけた。

 涙を雪へと染み込ませ、ずっとずっと、土下座していた。







「そっか」





 そう言うとまいこは土下座する双太郎の前に立った。

「顔をあげて泉くん。救世主。その言葉で私は十分だよ」

 まいこは息を吐く。白い息が空に消える。

「その言葉だけで、いじめられたかいがあったというものだよ」

 そのまいこの言葉を受け、顔をあげた双太郎の涙目には、綺麗でお上品な笑顔を浮かべたまいこが写った。

「私も、あの時は蹴って殴ってごめんなさい! あの時は死んで欲しいなって思ったけど今は全然そんなことないよ!」

 みっちゃんは深々と頭を下げ謝罪した。

「いや、いいよ伊東さん、俺あんな昔のことなんて気にしてないし、なにより食べ物を粗末にした俺が悪いんだ。本当にごめんなさい…!」

 と、双太郎はみっちゃんのほうに土下座をした。

 まいこは双太郎の前でスカートを気にしながらしゃがむと、

「ってことだよ。私もあんな昔のことなんて気にしてないからさ。過去は過去だ。私は今が楽しいからいいよ。そして、こうして時を経てでも謝りに来た君は許された。泉くんは罪と向き合えたんだよ。もう二年も悩んでくれていたんだね。いろいろ考えてくれてたんだね。それで十分だよ。それが十分なんだよ。泉くんの罪はたった今精算されたんだ。反省して、後悔して、思い悩んで、それでここに辿り着いた。今の泉くんはあの時の泉くんとはもう違うよ。遥かに高みに、遥かに立派になったんだ。だから、気にせず思うままにこれからも、反省を活かしながら進んでよ、泉くん」

 まいこが双太郎の頭を軽く撫でた。

「あ、でも、私が言うのもなんだけど、いじめにあったらちゃんと大人に言うんだよ。大人や周りに。泉くんの味方はすぐそばにいるんだから、一人ぼっちにならないでね」

 と優しく付け足す。

 顔に涙を溢れさせ、言葉も出ない様子の双太朗を見つめ、何かを決したまいこは立ち上がる。

「寒いな。…そろそろ帰ろっかみっちゃん」

 通学かばんを持ち直し、みっちゃんへ帰宅を提案する。

「えー雪合戦は?」

 みっちゃんがかばんと制服についた雪をぱたぱたと払いのけながら言った。

「…明日でお願いしてもいい?」

「だめ」

 みっちゃんは即答した。

「えー…」

「やだやだやだ今がいい今がいい今がいいよー!」

「あ、ごめん雪が積もってて聞こえない」

 まいこはそれを軽く聞き流し、

「それじゃあね、泉くん」

「まったねー! 泉くん!」

 二人は振り向き、双太郎に別れを告げると、白い雪のじゅうたんに小さな足あとを刻みながら進んでいく。

「そういえばみっちゃんってさ」

 まいこが歩きながら切り出す。

「んん? どしたのまいこ」

 みっちゃんは首を傾げる。

「私の救世主だったんだよね」

 まいこはそう言い、無表情でみっちゃんを見つめた。

「あのとき、みっちゃんが太陽のような笑顔を振るまいてくれたから、ちょっとだけ私の心は癒やされて救われた。だから私は"最後まで"頑張れたんだよ」

 足を止め、みっちゃんへと体ごと向き合う。

「だから、ありがとね。みっちゃん。大好きだよ」

 いつもの無表情を笑顔にかえ、心の底から、まるでみっちゃんの真似をするようにまいこは笑ってみせた。

「……む」

 まいこの笑顔に少し見とれたのか、動作が一瞬止まる。そしてはっとして、いきなりうつむくみっちゃん。

「おりゃ」

 そして、みっちゃんは唐突にしゃがむと雪を手早く固める。そしてその顔が真っ赤に染まっていたのを気取られるのをごまかすかのようにまいこへ向けて投げつけた。

「ちょ、ちょっと、雪合戦は明日でしょ」

 と、淡々と言いながらまいこも負けじと投げ返す。

 双太郎は直立不動で見送った。

 そうして、雪を投げ合いながらも前へと進む楽しそうな後ろ姿が見えなくなるまで。





「二人の救世主……」

 目の前に残る二人分の白い足あとを見つめながら、公園で一人の男がぽつりと言った。

 頬を使う涙を拭って、すっかり晴れた空を見上げる。

「ありがとう」

 そう強く言うと、足元の溶け出す雪を踏みしめ遥か前を見据える。

「うん、俺も進もう。前に、進もう」

 そんな決意の言葉は、暖かく白い息と共にそっと空に昇って、それから、冷たい白に消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る