救世主の二重奏:学級崩壊

「ここまでが十月に私が転入してきてからの、このクラスでの出来事だよ」

 伊藤舞子こと"まいこ"が今までの悲劇の説明を終えた。

「……。…うん」

 その説明を聞いた伊東未来こと"みっちゃん"は、扉あたりまで避難していた主犯格グループのリーダー、箕面一弥を冷たい表情で睨みつける。

 明るく温かみのあるみっちゃんから、冷たく暗い無言の圧力をかけられた箕面は、

「お、おお、おいおい!このクラスでいじめなんて、証拠はどこにあるんだよ!? ……そうだ、みんなにも聞いてみろよ。お前ら、このクラスにいじめなんてないよな!?」

 箕面は真犯人にありがちなセリフを並べクラスメイトに問う。

「当然ないにきまっている!」

「あたりまえだ! 俺達は潔白だ」

「このクラスはこの学校の中で一番のクラスよ!? そんなことあるわけないじゃない!」

「つーかいじめとかあったら普通止めるっしょ」

「いじめなんて事実無根だ」

「そうだそうだ! 証拠を見せろよ! 証拠をよ!!」

「証拠もないのに決めつけるとか最悪だぞ伊藤さん!」

「ホント最悪だわ、伊藤さん」

 口々に答えるクラスメイトで教室が騒然とした。


「うん。うんうん、そうだよね。普通そう言うよね」

 まいこが静かに口を開く。

 そこまでボリュームがなかった声にも関わらず教室が再び静まり返る。

「泉くんが口を割ってくれればいいんだけれど、それは最初から期待してなかったんだよ。そもそもの話、私が十月に引っ越してきた時点で、もうクラスの時間は半年を過ぎていただろうしね。泉くんはいじめをいつものことと捉えてる顔をしていたし、君たちがバレないように巧妙にやってたのかな? それとも泉くんが誰にも相談しなかったからかな? もし後者で、泉くんが誰にも相談していなかったとすると、泉くんは、親御さんに迷惑や心配をかけたくなかったんだろうね。自分がいじめられてるって思ったら心配させてしまうもんね」


 一呼吸置いたあと、


 「どうかな、泉くん」

 まいこは鼻を押さえながら座り込む双太郎に問う。

 双太郎は少し周りを見渡して、しばし考え、迷いに迷った様子で軽く頷く。


「そうだよね、私も後者だと思ってた。クラス規模のいじめなんて普通ならどう考えても誰かクラスメイトが大人に言うし、あの担任の先生の性格だ。聞いて止めないのはちょっと考えられないしね。だから、私も泉くんの考えのために、大変だったけど黙秘して耐えてたんだ。誰にも、一切素振りを見せずにね」

「でも、でもね、終業式のあの日でわかったんだよ。泉くんはもう被害者じゃない。泉くんは本当にもう被害者じゃないってね」

 すこし間を置いて。何かを決心した様子で、まいこは続ける。


「もういいでしょう。もうそろそろ沈黙を破っていいでしょう? 私は十分耐えた。十分我慢した。そして、耐える理由も我慢する理由ももう失った。だから今日このクラスは崩壊するよ。ストレス解消? 教育? 残念ながらそれはいじめだよ。そしていじめは犯罪だ。君たちは現実に帰る時がきたんだ。クラスぐるみでいじめを行うなんてね。そんな狂いきった行事は今日で終わりだ」

 と、まいこは制服のポケットから長細い携帯のような機器を取り出し、すたすたと自分の席に歩き、通学かばんから、ノートが五冊入った袋を取り出す。


「ボイスレコーダーとノート…? だよね?」

 みっちゃんが言う。

「そう、今日放課後先生に持って行こうと思ったんだ。これを見せて聞かせて、全てを終わらせようとしていたんだ。君たちは証拠はあるのかって聞いたよね? うん、証拠はね、ここに全部全部詰まってる。私へのいじめの証拠がすべて、だよ。冬休み中でたくさん時間はあったからね、今日のためにまとめておいた。伊東さんのおかげでちょうどたくさんのギャラリーがいるし、ここでちょっと暴露してみようか、このクラスの異常性を、このクラスの陰湿さを」

 ボイスレコーダーと日記を手にまいこは証拠を誇示した。


「お、おおおまえ! おまえええ!! それを今すぐ捨てろ!! すぐ捨てろ!!!」

 箕面が何やら怒鳴り声を上げているが、外の野次馬に

「うるせぇ」「おちつけよ」「静かにしろや容疑者さんよ」

 と、野次を飛ばされ、その場に押さえつけられていた。

 他の主犯格グループはというと、皆一様に絶望の表情で地面にへたり込んで黙っている。

 双太郎も鼻を押さえながら黙ってまいこを見つめ、加担していたクラスメイト全員、冷や汗をかき固唾をのむ。

 下手な動きをするとどうなるかわからない。皆まいこに恐怖していた。

 それらを見回したまいこが

「誰か先生呼んできてくれる?」

 野次馬の方へ向いて声をかけると、すぐに数人が走っていった。


「この日記の方にはいじめの内容、日時、全部を細かく書いておいたよ。その日ボイスレコーダーでこっそり録音しておいた方には、休み時間のクラスの音が全部詰まってる。私に吐いた暴言失言、この機械が全部覚えてる。そして、帰ってからこの日記にその日のいじめの内容をすべて余すことなく記録してある。今までの分、全部だよ。今日の分は残念ながらまだ書いてないけれど、ボイスレコーダーには、君たちが伊東さんに説明した決定的な音声が残っているから、日記を書かなくても信ぴょう性は十分かな?」

 ゆっくりはっきり語り終えたところにちょうど先生を呼びに行った野次馬が走ってきた。

「どうした? 何があった? 伊藤、なんか大丈夫かそれ!! ……お、おい泉!! お前も大丈夫かそれ!」

 暑苦しく汗を書きながら現れた四十代の体育会系の担任は、鼻から真っ赤な鮮血を垂れ流しながら、床にすわりこむ双太郎にそう言った。

「先生、突然で申し訳ありません。これを聞いてください」

 まいこは、ボイスレコーダーの、この昼休みの分を再生しようとする。


「やめてくれ! た、頼む、悪かった! 泉にも謝る! ほんとごめん!!」

 叫ぶ。箕面が力の限り叫ぶ。それは悲鳴にもよく似た叫びだった。

 押さえつけられていた箕面は、強引に包囲網を抜け、まいこの前に出ると、自らの額を汚い教室にこれでもかと擦りつける。土下座だ。箕面は無様に地に伏せ、まいこへ土下座をした。


「本当に申し訳ありませんでした! この通りだよ!! だから!!」


「…はぁ」

 深くため息を吐き、

「いいよ、顔をあげてよ」

 箕面の懇願する声を途中で切ったのは、当然まいこだ。


「後悔や懺悔や謝罪なんてそんなの後だよ。今は先生にこれを聞かせなきゃだめだ。君たちの罪はここで暴かれなきゃならない。このまま悠々自適に何食わぬ顔で三年生に上がれるとでも思ったかな? それはちょっと甘いんじゃないかな?」


 言葉を一旦切り、まいこは周りを見渡す。誰もが固唾を飲んで見守り、誰一人として音も発していない。


 そんな沈黙をまいこの足音が破る。


 そして、

「普通ならこのまま、二年生の頃の鬼畜の所業を隠してのうのうと暮らし、卒業後も幸せにあるがままに思うがままに生きるんだろうね。いいね、夢みたいだね。最高だね。狡猾で賢い君たちのことだ。ひょっとしたらまたこんな狂った空間を作り上げてしまうのかもしれないね」

 まいこはそう軽いトーンで言った。

 そのあとに、

「……でもね、残念ながらね、それは無理なご相談なんだよ」

 重みある低いトーンだった。その言葉は怒りが込められていた。二ヶ月間の復讐の声だった。その怒りは続く。


「君たちはやってはいけないことをしたんだ。私を怒らせたし、泉くんを傷つけたし、病み上がりの伊東さんを巻き込んだ。私は自分を救世主だなんて自称するつもりはないけれど、このクラスを救ってあげる。狂気とか、ダメな道とか、いじめの加害者とか、そういうのから救ってあげる。君たち風に言うならば"教育"だっけ? そう、これから君たちを教育してあげるよ。罪を犯したら、それ相応の代償を負って償わなきゃならないってことをね」

 吐き捨てるかのように言う。尚も土下座する箕面へと。絶望し、へたり込む主犯格グループへと。硬直したり、すっかり震え上がったり、今にも逃げようとするクラスの全員へと。

「そして知るといいよ。人の痛みが、苦しみが、辛さが、どんなものかってね。だから、どうかこれからは君たち皆、暗い未来を歩んでいってほしいな。この罪は過去になり、きっと君たちの未来の足を引っ張ることになるよ。罪を永遠に引きずりながら、これからの未来を歩いていくんだ。それが、非人道的な行いを平然としてきた君たちに対する報いなんじゃないかな」

 そう淡々とゆっくり続けたあと、まいこは涙を流す箕面の顔を見る。

「十分に、反省してほしいな」

 と吐き捨てた。

 箕面の顔は絶望に覆われていた。全てに恐怖する者の顔になっていた。

 氷のように冷たいまいこの黒い瞳に刺され威圧された箕面は、頭を垂れ、

「ゆ、許して…許してく…ださい…」

 言葉をどうにか絞り出すと、とうとう泣きだした。

「知ってた?」

 それをさらに冷めた目で見つめながらまいこは言う。

 地に伏せる箕面を見つめながらまいこは言う。

「罪には罰なんだよ。悪いことをしたら償わなきゃね。悪く思わないでね。私を恨んだり憎んだりするのは筋違いだよ。憎んだり恨んだりするなら、まず真っ先に、他でもなく自分を省みなよ」

 と、いつものように、これまでのように淡々と、無表情で。


「それじゃ、がんばってね」

 最後に上品な笑顔を周りに振りまき、そう付け足した。


 まいこが親指で再生ボタンを押す。


 クラス中に絶望が広がる。


 そして――






 異常なクラスは、一周年目前で崩壊した。

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