救世主の二重奏:カウントダウン
泉くんは男子の中では比較的華奢で小さな体躯をしていた。童顔に分類されるであろうかわいい顔をしていた。
そんな、転校初日に見た泉くんは、被害者だったことはあいさつした時点でわかった。なぜなら教室がざわめく中、彼だけが明らかに孤立していたからだ。
私の想像通り、泉くんは女の子に二回ぐらいビンタをされて、お母さんお手製であろうお弁当をゴミ箱に入れられていた。
涙も流さず、いつものことのように受け流す、半ば諦めが見えたあの死んだ黒い泉くんの目が壮絶ないじめの日々を語らせてくれたようだった。
このクラスではそのクラスメイトを、泉双太郎という人間を、"ストレス解消ロボ"と呼んでいた。
いつから泉くんがいじめられていたのか、どうして泉くんがいじめられていたのかはわからないけれど、さぞ辛い辛い日々だったのだろうな。というのはその諦めきった表情と、悟りきった目から容易に想像できた。
弱り切った泉くんを、最高なんだと言って、見てみぬふりどころか、クラスで一致団結して盛り上がるあの異常な光景を、私は目の当たりにした。
異質だった。異様だった。狂気そのものだった。
私は、耐え切れず自分の意見を言った。私のいつもの悪い癖でズバズバと言いたいことを、思ったことを言ってしまった。
これは悪手だったようで、私は転校初日からクラスのすべてを敵に回してしまった。
このクラスにおいて異質なのは私だったようだ。
このクラスの雰囲気からして当然、異端者の私はいじめられるだろう。覚悟はしていた。せめて泉くんのいじめの半分でも肩代わりできれば御の字だろう。
次の日、当然のように私はいじめの洗礼を受ける。
声をかけられたかと思いきやいきなりお弁当を払いのけられ、地面にちらばった中身を踏み潰された。
それをやったのは、なぜかわかないけれど、いじめられていた泉くん自身だった。
泉くんにお弁当箱を払いのけられたあの日、私は泉くんの後ろで邪悪な笑みを浮かべるクラスの中心人物達を見た。そして思った、そして納得した。
「多分泉くんはあいつらに無理やりこういう醜いことをさせられている」と。
そして、得体のしれない私をいじめるため、泉くんを利用するあいつらをどうにかしようと、私へのいじめを強要する形で、未だに泉くんをいじめるあいつらをどうにかしようと、私はとある方法を思いついた。
そして、実行しながら私は毎日のようにいじめられた。
最初は泉くんだけだったけれど、いじめの加担人数は徐々に増えていった。最終的には、クラスの二十九人、いや泉くんも入れて三十人。私に様々なことをしてくる。
靴隠し、体操服隠し、笛隠し、机の中にいたずら、教科書に落書き、一人清掃作業。さらには、お弁当をダメにされたり、水をかけられたり、いきなり暴言をはかれることや、わざと聞こえるように悪口を言われたり、上げるととてもキリがないような内容のいじめを毎日毎日受けた。
酷い日は帰り道にクラスの男子に襲われそうになったりもしたけれど、それは対策をした。その次の日から、帰りの時間をずらし、人通りの多いところを歩くことでうまく回避できた。対策に問題はなかったようで、その日から今までで襲われそうになったことはない。
さっき挙げたようないじめの数々は、たしかに辛かったし、苦しかったし、痛かった。
正直言うと、誰かに助けて欲しかった。救世主を期待した日もあった。
当然、泣きそうになった。けれどそんな日は、その場では一切素振りを見せず、家で一人泣いた。
それで泣いて泣いて、すべてを流したから。だから多分、次の日からの私は正常でいられたんだと思う。
泣いたから我慢できたし、耐え切れたんだと思う。
それに、私がされたことなんて、泉くんがこれまでにされてきたであろうことに比べればまだまだ甘っちょろいものだろう。
泉くんはこれに耐えてきたんだ。と思うと不思議とすべてを無表情で耐えることができた。
私がいじめに耐え続けること、約二ヶ月。終業式の日。あの日はとびきり寒かった。
泉くんは、主犯格のグループと親しげに話していた。
そして、私はその寒い寒い日に泉くんに冷たい水を頭からかけられることとなった。
本当に冷たかった。本当の本当に冷たかった。
水もだけれど、それよりも泉くんの心が、目が本当に冷たかった。
泉くんは、最初からあの人たちの仲間だったのだろうか。
それとも、無理やり私をいじめているうちに、あの人たちの仲間になってしまったのだろうか。
「もういじめられてないんだね、よかったね」
何も言わずにリアクションもとらないつもりだった。
でも言葉がふいに口をついた。それは泣き言でも恨み言でもなく、最悪にも皮肉だった。
被害者である泉くんにだけは、皮肉だけは、冷たい言葉だけは言わないようにしていたのに。気をつけていたのに。
私は、被害者の泉くんに冷たい言葉をぶつけてしまった。
言ってしまったがもう遅かった。どうしようもなくなった私は逃げるように教室を去った。
逃げて逃げて逃げた。ひたすらに逃げた。何もかも投げ出すつもりで寒い寒い道を、家まで駆け抜けた。
濡れた服は身を切り裂く風によってより一層冷たく、凍える私を冷やしていった。
次の日は涙と共に少しだけ熱が出た。
そして同時に決めた。『三学期にこのクラスを破壊する』と。
そして始まった三学期目、昨日。新年早々当然のごとくいじめの洗礼を受けた。
私の体育館用の靴は、私がお手洗いに言ってる間に水浸しになっていた。終業式の日にも似たようなことをされていたのを完全に失念していた。
さすがにこれははけないので、はかずに体育館へ行った。
一度濡れた靴をはいたせいで、タイツから感じる体育館の冷たさは終業式のときより過酷だった。
そして始業式が終わり教室。担任の先生からの伊東さん復活の報。
伊東未来さん。イトウ。私と同じ名字だ。漢字は違うけれど。
伊東さんも狂っているのだろうか?
あの人達と一緒に残りの三学期間、私をいじめてくるのだろうか?
まぁ狂っていたとしても、いじめに加担してきたとしても何も問題はない。明日、このクラスは崩壊するのだから。私は伊東さんにいじめられることはない。
あと少しだ。私は自分を奮い立てた。
そして今日。伊東さんが復活し、伊東未来という人間を目撃した。
伊東未来という女の子を目撃する前は、この人もこのクラスと同じかな? と少し危惧していたのだが、伊東さんは違った。
他の人たちとは違った。心の冷たいクラスメイトとは違った。顔に嘘の笑みを浮かべるクラスメイトとは違った。
心に暖かさが、顔に本物の笑顔があった。
食べるのが何よりも好きで、笑顔を絶やさない、話し方から何まで、穢れを知らなそうな本当に良い子だった。
裏表などないかのようなキャラクター性で、クラスの空気が少しだけ柔らかくなっていた。
その笑顔は太陽のようで、私が持ってないものだった。次々表情をかえ、たどたどしく愛くるしく小さな体全てを必死に動かし、相手へと感情を表現するその様を羨ましく思った。
伊東さんはその短時間で、私の心を癒やしてくれた。
だから私は少しに手を伸ばせる。だから私は最後まで頑張れる。
そして、新参者の伊東さんにも当然このクラスの特殊性が語られる。
来る。決定的な証拠が、来る。
このクラスのことが語られた。私の存在、立ち位置についてもだ。
これは自白にも等しいことだ。
「"クラスの和を乱したから仕方なくみんなで教育しているんだ"」
決定的な証拠だった。私はこの時を待っていた。
うまく証拠は手に入れつつ、伊東さんを凝視し、分析に入る。
本当に裏表がない。私のトレードマークのポニーテールを引っ張られたのを見た彼女は多分怒っていた。
説明を聞く度にその笑みは消え、時間が進むたび声色は冷たさを増していった。
もうその時点でわかった。彼女は確実に異常者ではない。
そして異常者ではない人が、この惨状を見れば何かしら起こるはず。と、考えていた。
彼女は何かしらのアクションをしそうだった。あの人達と同調することはないはずだ。
黙って先生に言いに行くか、それともここで泣いて何かを訴えるか。どっちにしろその騒ぎに乗じて私はうまく計画を実行する。
そう思考を巡らせていると、彼女は驚くべきアクションを起こした。
泉くんを物理的に殴った。泉くんも男子にしては華奢とはいえ、小さな伊東さんよりも遥かに力はあったはずだ。にも関わらず文字通り殴り倒した。
私が泉くんにお弁当をかけられたことによって憤慨してとんでもない力でも出せたのか、はたまた彼女自身見かけによらず武闘派なのか、伊東さんは私の予想など軽々超え、男子中学生が衝撃で倒れるような物理攻撃をした。
食べることがなによりも好きな彼女だ。もちろん怒るだろう。わかる。
しかし、ここまで怒るとは、殴る蹴るをするほど怒るとは、一ミリも思ってはいなかったけれど。
とにかく、彼女、伊東未来というジョーカーが現れた。彼女は紛れもない私の救世主だ。
叫びながら泉くんへ蹴りを加える彼女。他のクラスメイトは誰一人として止めには入らなかった。
萎縮しているのか、それともあれだけ太陽のような笑顔を振るまいていた伊東さんが豹変したのに恐怖しているのか。それは定かではないけれど。大きな騒ぎだ。扉が閉まっているとはいえ、ここは扉側最前列。
当然、外には聞こえるだろう。
いつのまにか扉がそっと開けられ、廊下から野次馬が静かに集まって覗きこんでいた。
このクラスにまともな人間がきた。そこには"人間"がいた。
珍しく人間が来ていたのだ。このクラスに。
場は整った。もちろん、ちゃんと例の物も持ってきている。
音声証拠だけでは証拠不十分とみなされる可能性も考慮して、私の転入した次の日から今までの日記も持ってきた。
証拠は揃った。そして、これだけの目撃者が居る。
学校がこれを隠蔽する可能性は低いだろう。
もし、学校がこれを隠蔽しても、私はネットにこの証拠をばらまく。
そのために自宅のパソコンにバックアップはおいてある。
隠蔽されるされないにしろ、今日でこのクラスは終わりだ。
私は、証拠収集の機械のスイッチをオフにする。
崩壊へのカウントダウンは始まった。
あとは――
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