救世主の二重奏:亀裂

 今年も、いつもどおりの朝礼が終わり、しばしの時間。

 さぁて、今年はどんな教育をしようかな。と俺がそう思って計画をしていると

 クラスメイトは伊藤さんには目もくれずに、伊東さんへアニメやドラマでよくある転校生への質問タイムのような、言うなれば退院明け質問タイムに入った。

「なんて病気だったの?」だの、「手術どうだった?」だの、「SNSはやってるの?」だの、様々だ。

 この調子で、復帰してきた休み時間のすべてで質問攻めにあっていた。

 その間、伊藤さんの教育は行われなかった。

 昼休みに伊東さんに教育を実演して見せてやるためだ。いわばサプライズというやつだ。


 たくさんの質問攻めにあっていたが、伊東さんは全然答えられなかった。

 どうやら頭の回転は良くないようで、己の情報処理能力を超えたらしい。

 終始「えっと、えっとね!」と言って質問に追いつけていない様子だった。後半はもう「あわわわわ」と涙目になっていた。

 それらの質問の中で、かなり軽くだが、伊東さんの情報がわかった。

 彼女は食べることが何よりも好きなのだ。特に好きなのは食べられるもので、食べ物はお腹いっぱい食べるのが幸せだそうだ。何言ってるのか全く分からないが、食べることだけは好きらしい。

 クラスの皆が口をそろえて「お見舞いに行けなくて残念だった」と言っていたが、お見舞いへ行けなかったのはなんらかの理由で"お兄ちゃん"が面会を全て断っていたという。

 他の質問については、もはや返答が意味不明で、答えが答えの体を為していないものばかりだったので割愛する。


 そして、復帰してきた日の、彼女の二年生初の昼休みのことである。

 いろんな話題がある程度続いたあと、主犯格の男がこのクラスを紹介した。

 一致団結していて仲がいいだとか、揉め事が一切ない世界一のクラスだとか、すばらしいクラスのエピソードや、素敵なクラスメイトの紹介から始まった。

 伊東さんはそれら全部に頷き興味深そうに聞いていた。

「そっかー! すっごく楽しいクラスなんだね!」

 と、最後の説明が終わったときに無邪気な笑顔を顔いっぱいに作りながらそう言った。

「いいねーみっちゃん! 相変わらず元気でかわいいぜぇ!」

 と、阪南が言うと教室が、盛り上がる。

「まーまて皆の衆! しずまりたまーえ!」

 なだめるリーダー箕面一弥。そして静まる教室。

「このクラスには一つ特殊な部分があるんだけど、今から説明するから三学期という短い間だけど、よく覚えていってくれよな」

 と箕面は、前置き。

「まず、このクラスにはとある生き物を飼っているんだぜぇー」

 そう言った。まぁ、普通に伊藤さんのことだな。

「え? ほんと? ほんと?」

 そう言って伊東さんは目を輝かせながら教室を見回す。

 まぁニコニコと笑顔が咲き乱れる周りの人だかりでろくに見えないのだろうが。

「そんなものないよ、いないよ。どこどこどこ?」

 見回すのを諦め、しばし考え込んだあと言う。

「はいはい! 答えは伊東さんの後ろでぇぇす!」

 一人の女子中学生が、主犯格の男により、指を刺された。

「え? どういうこと?」

 伊東さんが椅子ごと振り向き、伊東さんを見つめる。

 笑顔の花の中に佇むのは、一輪の無表情の花だ。

「この人はな、伊藤舞子さんっていうんだ」

 俺は言われる間もなく立ち上がり、伊藤さんの近くに俺が立ち、そう言った。

「十月に転校してきてな。さっき言ったような素晴らしいクラスの和を乱したから仕方なくみんなで教育しているんだ」

 俺は説明しながら伊藤さんのポニーテールを引っ張る。

「…っ」

 掴まれた伊藤さんが少しだけ痛みを混ぜた息を漏らしながら、俺を黒い瞳で見つめる。

 いや、これは睨んでるのか? 少し瞳が潤んでいるようにも見えるが、基本的に無表情なのでちょっとわからないな。

「まぁ、数ヶ月かけてみんなで教育したんだが、まーだ反抗的なんだよなぁ。今学期からはもうちょいハードにすっかなーと考えてるんだが」

 主犯格の男が、伊東さんのすぐ近くでそんなことを言った。

「へー」

 伊東さんは無感情で生返事。

 声色は冷たく、なぜかその顔からは先ほどまでの太陽の如き笑みが消えていた。

「まぁ、どんな感じかちょっと見てみー、なんかインスピレーション湧いたら感想お願いな!」

 箕面は爽やかな笑顔を伊東さんへ向ける。

「おい、やれ」

 伊東さんへ向ける声とはうってかわって低いトーンで、箕面は俺へ命令する。はいはい、はいはい、わかってますよ。



「いいかい伊東さん、教育っていうのはこんな感じなんだよ」

 と、伊藤さんの通学カバンから、伊藤さんが毎日持ってきている伊藤さんの黄色いお弁当箱を取り出す。

 いつも無抵抗な伊藤さんが俺の腕をつかむ。俺は驚いて少し動きが止まる。

 が、すぐに動き出す。そして冷静に思うのだ。なんだこいつ、そろそろ心が折れそうだから妨害する気か。と。

「おーいおい、なんだよなんだよ、おとなしくしとけーって」

 貝塚が、妨害を妨害する。

「サンキュー。はいこれをー」

 俺は黄色いお弁当箱を手にとって、妨害をやめて貝塚が引くのが見えたところで、

「こうします」

 座りながらこっちを見据える伊藤さんの頭からかけた。

 伊藤さんは頭からお弁当まみれになる。

 たまらず、うつむく伊藤さん。沸く教室。

 表情は全く見えないが、さすがにこれは堪えただろう? どうだ?

 弁当の残骸が目や鼻にでも入ったか? どうだ?

「まー、こういう教育の仕方なんだけど、伊東さんはどう思…ぶっ」

 伊東さんへと振り返った瞬間、俺の鼻っ柱あたりに刺さるような痛みが走った。

「…ぎあっ…ぐっああ…」

 こんなに顔面に痛みを感じたことはなかった。だから、

「…な、なななな、なにするんだよ!!」

 痛みで少しもがいたあと、俺はあわてて自分を取り戻す。

 どうやら、俺は殴られたようだ。顔面を、それもグーで。

「なにするんだよ伊東さん!!」

 俺は倒れ、殴られた鼻を押さえながら、右拳を握りしめる伊東さんに言う。

 先ほどまで、騒がしく歓声が沸き起こっていた教室はすっかり静まり返っていた。

 静かな空間に伊東さんの荒い息が響く。

「…君、君なにしてるの!? …ねぇ! なにしてるの?」

 伊東さんは叫んだ。

 伊東さんのすぐ後ろの箕面は目を丸くして鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。

 他のみんなも、驚いたのだろう。

「それ、手作りのお弁当だよ!? 伊藤さんのお弁当なんだよ!?」

 耳をつんざく甲高い声。伊東さんの涙声の叫びが俺に刺さる。

「それを、それを、それを!!! それを! お前は!!」

 そう喚いた伊東さんが俺の脇腹あたりめがけて蹴りを放つのが見えた。

「ぐふっ…やめ……て……、あぐぅ…」

 俺は必死に腹を守るため、とっさにうずくまる。もう思考が定まらない。痛い。痛い。痛い。

「食べ物を粗末にするな!! なんでそんなことをしたの!? なんでなんでなんでなんで!?」

 痛い、痛い、もうやめてくれ。

「伊藤さんに謝れ!! 謝れぇ!!」

 痛みが脳みそすらも支配する。伊東さんの一言一句すらも痛みに感じる。

「何が教育なの!? ふざけないでよ!! 死ね!! お前なんか死ね!!!! 伊藤さんに死んで詫びてよぉぉ!!!!」

 叫ぶ、感情のままに涙と共に叫び狂いながら、容赦なく背中に痛みを浴びせてくる。

 痛い。くそ、なんだ超痛い。なんだ、痛い。

 心も体もだ。他の奴らは何してる!? クソ…。

 断続的に続く体への衝撃は、小さな女子の脚力とはいえ、貧弱な俺には非常によく効いた。その小さい体のどこにこんな力があるんだよ。クソックソクソッ。


 意識が薄れる。沈みゆく意識の中、俺の思考は深く、深く、沈んでいく。

 どん底だと思っていたが、さらにその底へと沈んでいく。




 ――報い。




 くそ。


 ああ。


 そうか。これがそうか。これが報い、なのか…。

 これが彼女への教育の代償なのか。そうか、それなら仕方があるまい。


 俺はやりすぎた。俺は罪を重ねすぎた。

 俺は、もう手遅れと諦め、全てを許容した。

 箕面の命令だから。主犯格グループの命令だから。やらないと次にまたいじめられるのは俺だから。そうやって、全てを正当化した。

 そうやって、伊藤さんをいじめ続けた。

 認めるのが怖かった。自分がまちがっていたことを。

 いつしか自分が奴らと同じになってしまっていて、手の施しようもないクズの一員になってしまったことを。

 被害者側から、加害者側へと変わってしまったことを。

 心が折れない伊藤さんを見てバケモノと思ったそれは、自分の弱さのせいだということを。

 いじめられていた痛みを辛さを苦しみを、全て忘れていたことを。

 認めるのが怖かった。全部全部、全部だ。


 これが辛さか。人の辛さか。

 これが痛みか。人の痛みか。

 これが伊藤さんの辛さと痛みなのか。

 俺は忘れていた。かつて自分がそうであったことを。そう感じて苦しんでいたことを忘れていたのだ。

 そうか。そうなのか。そうだったのか。俺は思い出した。もう全部思い出したんだ。


 そして、わかった。


 そうだ。俺は罪を重ね、自らクズのどん底へと沈み、もはや俺の力では、己の弱い意思などでは収集のつけられない状態にあったのだ。

 そんな俺を止められるのは。そんな俺を救ってくれるのは。

 俺をいじめられるという苦しみから解放してくれた伊藤さんだ。

 そうだな。俺は、俺はこうやって、誰かに止めて欲しかったのかもしれない。

 ならば、俺はここで罰を受け、死ぬことすらも厭わない。

 ごめんな。伊藤さん。ごめんな。伊東さん。

 俺というクズはここで罰せられるべきなんだ。

 どう謝っても許してもらえないような人間なんだ。だからここで罰せられ、死ぬべきなんだ。

 俺は許しなどいらない。もう一度、なんてそういうものはいらない。

 俺は、俺は、俺という悪が滅びさえすればそれでいいのだ。

 この物理的な痛み。この痛さすら、最後にこうやって、俺というクズな人間を罰してくれることの喜びにさえ感じる。




「待って!」




 どこからか大きな声がした。それはいろんな感情が入り混じったかのような、強い強い声だった。

 そして、蹴りが止んだ。蹴られた箇所の痛みを改めて実感させられた。

 誰だ? あの声は。…もしかして伊藤さんか? でも、伊藤さんがあんな感情的な声をだすとは思えないが。

 俺が痛みに耐えるため閉じていた目を開ける。

 倒れこむ俺と、さらに追加の蹴りを入れようとする伊東さんの間に割って入っていたのは、お弁当の残骸まみれの伊藤さんだった。

 は? なぜ? なぜかばう? 意味不明だ。いいや、今みたいに意識が明瞭でなくとも、冷静でなくとも意味不明な行動だ。

 俺は加害者だ。クズだ。どうしようもない悪だ。

 だから今まさに罰を受けているところなのに。

 そして、伊藤さん。この人は被害者。…なのに俺を助ける?


「待って伊東さん、私は平気だから落ち着いて!」

 意味不明な行動をする意味不明な伊藤さんが意味不明なことを言う。

「はぁ、はぁ…どいてよ、どいてよ!」

 伊東さんが息を荒げながら涙声で言う。

「どかない、どかないよ。この人は、この人はね」



「元は被害者なんだ」

 

 

 そして――

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