第5章:絶対恋愛聖書

絶対恋愛聖書

とある学校。十六時。

 二人の学生が、誰もいない教室の一番後ろの窓際の席で机を挟んで向い合って座っていた。

 黒板側に座っているのは、茶色の短い髪を持ち、青いメガネをかけている男子高校生だった。

 真面目そうな印象のその男子高校生の名前は武田茂雄だ。

 その反対側には、綺麗な黒髪をポニーテールに結い、その顔には無表情が板についている、これまた真面目そうな女子高校生だった。

 名前は伊藤舞子、その女子高校生は"まいこ"と呼ばれていた。

「伊藤さん、僕の名前は二年四組の武田茂雄。よろしく! 突然だけど、佐竹さんのことを知りたいんだ。だから教えてくれ!」

 メガネの男子高校生、茂雄が唐突にそう切り出した。

「……あの、ごめんなさい、ちょっと待って。色々聞きたいことはあるけれど、まず、なんで私に聞くの?」

 伊藤さんと呼ばれたポニーテールの女子高校生、まいこが困惑の表情を浮かべながら問う。

「いや、さっき伊東さんに聞いたら、『さぁ? まいこなら知ってるんじゃないかなー? それじゃ、私は今日とんかつだからこれで! ばいばーい!』って言われて逃げられたんだよ。本当に変わり者だね、あの子は」

 茂雄が左手で肘を突きながら答えた。

「おい…」

 両手で頭を抱えて小さな声でつぶやくまいこ。

「ということで教えてほしいな、佐竹さんのこと。お願い!」

 茂雄が両手を前に合わせ、まいこに向かって軽く頭を下げる。

「そう言われても知らないんだけれど……。んー、……じゃあ逆に聞くけれど、武田くんは…えっと…佐竹さん…? だっけ…? その佐竹さんのことをどれぐらい知っているの?」

 まいこがいつもの調子で淡々と逆に聞いた。

「佐竹見鳥。一月十七日生まれ、十六歳。O型。左利き・身長百五十三センチメートルで体重は四十二キロ。クラスは二年三組の出席番号十二番だね」

 茂雄が笑顔でさらりと言い、続ける。

「腰まである綺麗なストレートの赤い髪の毛を、左右の耳の上で結んでツインテールにしている女の子なんだ。好きな食べ物はみかんで、嫌いな食べ物はお餅。あ、お餅が嫌いなのは三歳の頃に喉につまらせて窒息死かけたからで、みかんはこたつに入って食べるのが好きだから。五十二歳の父と、五十一歳の母と、二十二歳の姉と、十四歳の弟、そして佐竹さんの五人家族。お父さんは医者でお金持ちのとびきりかわいい女の子だよ! もっと聞きたい? 聞きたいよね?」

 屈託のない笑顔で、マシンガンのように矢継ぎ早に佐竹さんのことを説明した茂雄は、ずれたメガネを右手中指と人差し指で上げながら心底もっと質問してほしそうにまいこに聞く。

「そこまで知っててそれ以上佐竹さんの何が知りたいの…」

「え? なんだって?」

「……あ、いやなんでもない。うん、続けて」

 若干引き気味に答えたまいこに構わず、茂雄はぺろりと一度舌で自分の乾燥した唇を潤した。

「伊藤さんも知っての通り、小さな公園近くの大きな豪邸に住んでいる。成績優秀、容姿端麗の完璧超人で、学校では生徒会長をやっていて、テストはいつも学年一番。おしとやかな話し方が特徴で、みんなに優しくてすごく気が回るタイプで、みんなからは『みとりん』と呼ばれて愛されいて、猫派か犬派かといえば猫派で、家では猫を二十一匹も飼っているんだ。豆知識としてね、実はああ見えて、佐竹さんの特技は剣道なんだ。これは六歳の頃からしているものでね、なんでもサムライになりたかったみたいだよ。って話がそれたね。佐竹さんの生理周期は二十六日で、寝る時間は八時で、平均睡眠時間は――」

 得体の知れないものに向けられるような顔をしているまいこに気づかずに、茂雄はまだまだ続けた。その間、まいこは「へぇ」「そうなんだ」と定期的にリアクションをしていた。



 そして茂雄が語り始めてから一時間後。

「だいたい僕が知ってるのはここまでなんだけど、どう?他にも何か聞きたいことある?」

 自慢気に語り終えた茂雄が聞く。

「えー…うん。そうだね武田くん。一つだけ聞いてもいいかな?」

 まいこが右手を挙げて聞く。

「はい、伊藤さん!」

 茂雄が何やら嬉しそうな顔でまいこを指差す。

「佐竹さんって誰……?」

 まいこが最初から疑問だったことを口にする。

 茂雄は目を見開き、信じられないような顔をして、

「え?佐竹見鳥さんだよ!?知らないの?このクラスの。一月十七日生まれ――」

「あー……、大丈夫それ知ってる。さっき聞いたよ」

 再び最初から説明を始めようとする茂雄を遮るまいこ。

「私が聞きたいのはそういう『誰?』じゃなくて、『そんな人いないんだけれど』って意味なんだけれど」


「酷いよ、伊藤さん!!」

 間髪入れずに机を叩きながら茂雄は叫ぶ。そして椅子を引いて立ち上がる。


「伊藤さんだけじゃない! このクラスのみんな酷いよ!! 変だよ!! クラスメイトの顔を忘れるなんて!!」

 茂雄はすごく怒っている様子だった。メガネを取り、鼻をすすりながら、目をこすっている。

 そんな茂雄を見つめて、

「あ、え、いや泣かないでよ。でも本当に出席番号十四番は坂井さんだよ」

 まいこは困った声で言う。

「伊藤さんのバカ!!」

 茂雄は、そう勢い良く吐き捨てるとメガネをかけ、通学カバンを手に去っていった。

「なんだったんだろう」

 まいこはため息混じりにそう言った。

「……っていうか佐竹さんって本当に誰?」

 一人取り残されたまいこのそんな声が誰もいない教室に響いた。







 夕暮れの赤を張り付かせた空の下、茶色の短い髪を持ち、青いメガネをかけている真面目そうな男子高校生、武田茂雄が、黄色いマフラーをたなびかせ街を歩いていた。

 右手には『イマドキ!絶対恋愛聖書!〜男子高校生向け〜』という本を持っている。

 茂雄は黄色い付箋がしてある真ん中あたりのページを開く。

 そこには、

『物静かでミステリアスな女の子は、同じぐらいミステリアスな男子に弱いヨ!ミステリアス系女子をオトすには君自身もミステリアスに!』というハートで装飾された、大きな見出しの下には、『ミステリアス系の女の子との出会いは意味不明な理由で!ラッキーカラーは黄色!逆に赤い色は失敗する可能性高し!』や『架空の彼女をでっちあげて、相手の嫉妬心を煽ろう!』や『別れはインパクト重視で!』などの文章がところ狭しと並んでいた。

「はい、これで完了っと」

 茂雄は黄色い付箋に丸印をつけると、本を閉じて通学かばんに仕舞った。

「いやー、伊東さんにもらったこの本、すごくいいなぁ。絶対うまくいった」

 そして赤い空を見上げる。

 無言でしばし眺めたあと、

「帰ったらお礼の電話しよ」

 茂雄はそうひとりつぶやくと、少し足を早めた。

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