八月十一日(後)
さて。
多くの謎は明らかになったわけだけど、ひっかかる点がいくつか残っている。
その謎を解き明かすことができれば、今回の事件の真犯人の姿が現れそうなものだけど――。
「あの、佳久さんって、推理小説とかお好きですか?」
「うん? 好きだけど」
「はぁ。そうですか……」
横でこまちがはぁとため息をつく。
「妙に生き生きとしておられるような気がするので」
「そうかな?」
自分ではそんなつもりないけど。
「佳久ぁ、警察の方が来たわよ」
「はいはい」
「……やっぱり、楽しそうな気がするんですけどね」
こまちはもう一度ため息をついた。
玄関まで足を運ぶと、若い警察官の方が待っているのを見かけたので、僕は一礼する。
「小路満さんの件で、話を伺っています。村の方には一件一件伺っていますので、よろしければご協力いただけないでしょうか」
「知っていることは全てお話します。それから、こちらからもお願いしたいことがありますので、後でお話します」
「それでは――」
警察との話でわかったことは――。
バルコニーの手すりの強度が不足していたこと。
満さんがバルコニーへと出て手すりにもたれかかったところで転落したこと。
頭を強くうったことが死因であること。
そして、青年団の男の一人が、満さんから事業資金を借りていたこと、だった。
僕が警察に話したことは、六日に満さんの家にパーティで呼ばれたことと、青年団の男達とのやりとりについてだ。
「共同体を復活させる?」
「えぇ。意図を確かめたら、そんなことを言っていましたよ」
これは日記にも書いてあったから間違いない。
窃盗や放火ですら犯罪なのに、さらに人殺しまでやるかって話なんだけど。
「うーん」
見たところ、警察は青年団の男達をまず疑っているようだ。
「確か、彼らは以前の事件の際には、アリバイがあったのですよね? 今回はどうなんですか」
「いや、それが……今朝から捜索しているのだけど、行方不明でね」
「行方不明?」
どういうことだ。
「もしかしたら既に村の外へ逃げ出したのかもしれない。だったら、厄介なことになるなぁ」
今まで逃げも隠れもしなかったのに。
「あぁ、それで。君がさっき言っていた、お願いしたいことってなんなのだい」
「はい。電話の通信記録を調べていただきたいんです」
「電話?」
僕は電話の前まで案内する。
「昨日の昼、小路満さんと称する人物からここに電話がかかってきています。僕に用があったそうですが」
「それで、君は行かなかったのかい」
「あ、まぁ、デートだったもので」
よくよく考えれば、僕に電話がかかってきたというのは、僕にも疑いの目が行きかねない事実だ。
「で、その僕への電話が、どこからかけられたのか調べてほしいんです」
「どこからって、それは小路家じゃ」
「おそらく違いますよ」
ずっと僕は昨日の電話がひっかかっていた。
どうして、たいして親交もない僕に電話がかかってきたのか。
「母さん、昨日の電話は本当に満さんからだったの?」
「え? そう名乗っていたわよ」
「じゃぁ聞くけど、うちの家に今まで小路さん方から電話がかかってきたときって、誰がかけてきてた?」
「それは……」
母さんが固まる。
「小路先生や満さんご本人から電話ががかってきたことなんて、一度もないはずだよ。事務所の人とかお手伝いさんを必ず通していたはずなんだから」
「でも、満さんが君に内密に連絡した可能性もあるんじゃないのかい」
「それは僕と満さんの間にそれだけの信頼関係があれば、の話なんです。無いから僕は疑っているんです」
「うーん……」
警察の方はしばらく考え込んだ後。
「わかった。一応調べてみる。それで、満さんの昨日の行動とも照らし合わせてみよう」
「ありがとうございます」
正直言って自信はない。これは僕のある“仮説”を前提にしているからだ。
もしかしたら、満さんは本当に僕になにか相談したいことがあったのかもしれない。僕は親しくないと思っていても、満さんが僕のことをどう評価していたかなんてわからないからだ。
そうだったらそうだったで、作戦を考え直すだけだけど。
「それじゃ、警察の方も帰ったし、ちょっと出かけますか」
さすがに今現場へ行くのは無理だろうから、それは明日にあるであろうお通夜のときにするとして。
今は――。
蓬栄神社は季節はずれの多くの参拝客で賑わっていた。
ついにお告げによる死者まで出たのだ。いよいよ村人達は、神様の怒りに触れたと脅えているのだろう。
本当は、神様なんて、怒っちゃいないのに。
「…………」
そんな村人達を、夏穂姫様はどんな気持ちで見つめているのだろう。
怒りか。哀れみか。呆れか。慈しみか。それとも。
「それで、佳久さんは、どうしてここに来たんですか?」
「あ、うん。ひとつ日記に書いてないことで、思い出しちゃったことがあって」
それは謎を解く鍵か、ただのノイズか。
「最初にあの男達に会ったときなんだけど、拝殿から右手の森へと消えていったんだ」
「右手の森ですか」
そこでなにか話し合いでも行われていたのかもしれない。
「あそこにはなにもなかったはずですけど」
「外からの出入りは可能なんだよね」
「はい。それは可能だったはずです。でも、昼間でもほとんど日が差さなくて、あまり人は近寄らない場所ですよ」
「だったら、秘密の会談にはちょうどいいね」
もしかして、「お告げ」もそこで作られていたのだろうか。
だとすると――。
「…………」
いや、待てよ。
「ねぇ、こまち。僕、死体とか見るの、ほんとダメなんですよ」
「どうしたんですか、急に」
「さっきからカラスがやけに鳴いていましてね」
すごく嫌な予感がする。
「そして幸か不幸か、今そこに先ほどお話してた警官を見かけましてね」
「もしかして」
「僕の直感が当たってないことを祈る」
たぶん当たってるんだろうなあ。正直それは勘弁してもらいたかった。
いくら親しくないとはいえ、人が死ぬのは、やっぱり心が痛むから。
一応、第一発見者ということで、僕達は駐在所にまで出向いて事情聴取を受けた。
こまちについては、東京からやってきていた恋人ということで、ここでもごまかしておいた。
「死亡推定時刻は昨晩のうちだとのことです。小路邸で犯行に及んだ後、自殺したのでしょうかね」
森の中では、例の男二人が首を吊って死んでいた。
一応、例の青年団の二人であるか間違いないことを確かめるため、僕も顔だけは目にしたけど……正直思い出したくない。これこそ、明日になれば綺麗さっぱり忘れたい記憶だ。
「実はあのあといろいろ調べて、新しい事実がわかってね。この男の一人は、建築会社に勤めていまして、最近、小路邸の改装工事を請け負っていたと」
着々と証拠がそろってきていた。
「まぁ、まず間違いないでしょうって話。いや、あまり、捜査状況を他人に話すべきではないのだけど、ほら、君はね」
村の中も狭いので、僕の噂も当然知っているだろう。
あまり学歴を鼻にかけるのは好きじゃないけど、今回ばかりは利用させてもらうことにする。
「ただ、一点ばかり気になることがあって」
「なんでしょう」
「君が言うとおり、電話について調べてみたんだけど、確かに君の読みどおり、発信元は小路邸でも事務所でもなかった。満さんはその時間には小路邸に在宅されていたそうだ」
ということは、やはりあの電話は満さんがかけたものではなかったということになる。
もう、母さんってばしっかりしてくれ。そりゃ、変声機とかを使っていたかもしれないけど。
「問題はその発信元なんだ。それが、宝瀬中学校の公衆電話でね」
「中学校?」
なんでそんなところが。
「いや、全くわからない。公衆電話は購買の前にあるけど、夏休み中だから購買は閉まっていて、誰がかけたのかはわからない」
おまけにね、とその警察官は付け加えた。
「当日はちょうど野球部の練習試合が行われていて、父兄が自由に出入りできていたということなんだ。だから中学校とはいっても、誰でも電話をかけることは可能だったんだよ」
「うん、野球部?」
「どうしたんだい?」
「いや、なんでもないです」
そうは言うものの、少し気になった。
「念のために聞いておくけど、その時間君は」
「立岡のホームセンターへ花火を買いにいっていました。防犯カメラに映っていると思います」
「あ、いや、別に君を疑っているわけじゃないからね」
宝瀬村の警官の方は紳士的でありがたかった。小さな村だし、住民との間に摩擦を起こさないようにしているのかもしれない。
でも、敵に回したくないと思わせることって大事だね、やっぱり。
* * *
駐在所からの帰り際。
「今夜も僕の家に泊まっていくの?」
「えぇ、そのつもりですけど……」
近くの森で首吊り死体があったとなれば、さすがに帰りづらいだろう。
「それに……佳久さんになにかあったら嫌ですし」
「事件の容疑者は死んだというのに?」
「…………」
ふるふるとこまちは首を横に振った。
「それは……佳久さんもそう思っていないでしょう?」
「うん。それに、真犯人は後ひとつ、やり残したことがあると思う」
こまちが言っていたことからすれば。
「前の世界の僕は……小路邸で死んだんだよね」
「はい」
「事件と関係なく満さんに呼び出されて、たまたま現場を見たから殺された、なんて偶然すぎると思うんだよね」
「私も……そう思います」
今、僕達は手をつないで歩いている。
お互いを離さないように。
「おそらく満さんと僕を殺すことが真犯人の最終目的だった。それで、前の世界では見事ダブルプレーに成功したわけだ」
だとすると、あの二人には僕を殺す動機は全くない。
確かに険悪なムードが漂ったことはあるけれども、「殺す」という究極の手段にまで出るようなことは一切なかったといってよい。
だから、今日はまず電話の件を突っ込んだのだ。おそらく、あれは犯人側から僕を小路邸へと向かわせる罠だったのではないかと。
「でも、佳久さんを殺す動機がある人なんて、この村にいるんですか?」
「正直、僕を嫌っている人ならごまんといる。でも、僕を殺したいと思う人なんて、まずいないと思う」
僕がそう思っているだけで、向こうは違うかもしれないけど。
でも、殺意を抱かせるほど恨まれるような行動を僕はした覚えがない。
東京の大学へ行ったから? 無駄に小賢しいから? そんなのが殺意になってたまるか。
「神様に誓って、僕は悪いことしてません」
「はい。私もそう思いますよ」
よかった。本物の神様が認めてくださった。
「とにかく、明日はあの青年団二人の身元について調べてみようと思うんだ。それで、あとはお通夜へ行くことになると思うから、そこで情報収集かな」
明日も大変な一日になりそうだ。
「晴れて記憶障害が治って、ようやくこまちといちゃいちゃできると思ったのに。世の中上手くいかないなぁ」
「記憶障害、もうほとんど治ったんですね」
「うん。家を出る前に日記を見直したけど、ほとんどばっちり思い出せた」
満さんが亡くなったことで、さらに多くの村人の信仰心が集まったからだろう。
ただ、満さんを犠牲にして、僕の記憶が戻った、なんて考えたくなかった。
「なんだろう。根拠は全くないけど、上手くいく気がするんだよね」
でもそれは、過信でも妄信でもなく。
「こまちと一緒なら、どんな苦難でも乗り越えていけそうな気がする」
握っている手の指を強く絡めあう。
「本当は……私の苦難なんですけどね」
「でも、僕もターゲットなんだから一緒だよ。それに、朝、こまちは僕を巻き込みたくないって言ってたけど、初めから僕が標的になっていたんだったら、どだい無理な話じゃない」
「それは……そうですけど」
「むしろ、こまちがそばにいてくれたおかげで、僕は九死に一生を得たんだ。だから、堂々と僕を頼ってくれたらいいよ」
一度は死んでいたところを時間を巻き戻してもらい、同じ運命にあわないように誘導してもらったんだから。
「神様が人間を頼るというのも変な話ですけど……でも、好きな人を頼るのは、いいですよね」
「いくらでもどうぞ」
今まで散々、こまちに甘えて頼ってきたんだ。少しくらいお返しさせてもらわないと、割に合わない。
「さて、着いたけど……あ」
僕は固まる。
「どうしました?」
「ごめん。心の準備が少し必要かもしれない」
それは、考えればわかることだった。
「これから警察官よりも殺人犯よりもある意味恐ろしい方と対峙するので、心して」
「えっと、それはどういう」
困惑するこまちを置いて、僕は地獄への扉を開く。
「ただいま! そして風のように僕は去り――」
「おかえりなさい、兄さん」
がしっと両肩を捕まえられた。
笑顔が怖い。
「やぁやぁ、これは靖史様ではないですか。ご機嫌いかがですか」
「ご機嫌ですか? 兄さんほどの高い教育を受けている方は、一目見ただけでわかるのではないでしょうか」
「すみません。人間の機微についてはまだまだ勉強中なのです」
靖史の合宿がいつまでだったか、僕は知らない。
でも、常識的に考えて、村の中で殺人事件があって、その被害者が村一番の名家の御曹司となれば、合宿を切り上げる事態になってもおかしくなかった。
靖史はほぼ間違いなく、明日の通夜には参列することになるだろうから。
「そうですね、まずは、そこの――」
靖史は僕の後ろにいたこまちを見て表情をゆがめた。
あぁ、そうなるだろうと思っていたよ。
「あなたは……いや、そんな馬鹿な」
「いや、本当、なんと申し上げたらいいのやら……ん?」
あれ。靖史との会話がかみ合っていない気がする。
そんな空気を察してか、こまちは間に入ってきた。
「はじめまして、窪田こまちと申します。佳久さんとは東京の大学で知り合いました」
ぺこりと一礼。
「……はい」
んん!?
「しばらくご厄介になっていますけどよろしくお願いいたします。お盆前には帰りますので」
「そうですか。なにもないところですが、ごゆっくりどうぞ。愚兄をどうかよろしくお願いいたします」
そうとだけ言って、靖史はそそくさと居間へと消えていった。
前から泥棒猫がどうのって言っていたけど、実際に目の前に彼女さんが現れたら認めてくれたみたいだ。兄としてはそれで助かるけど。
「佳久さん……」
こまちは僕の腰の辺りのシャツをつまんだ。
「うん?」
「私、とんでもないことをしてしまったのかもしれません」
「えっと、それはどういう」
「…………」
それ以上はこまちはなにも言わなかった。
「それじゃ、電気消すね」
「はい」
二人で過ごす、二日目の晩。
さすがに今日は“そういうこと”をする気分にはなれなかった。
「佳久さん、お願いがあるんですけど」
「うん、こういうことかな」
ぎゅっと、僕はこまちを抱き寄せた。
こまちのあたたかい体温が僕の体と心を癒していく。こまちにとっても、そうだといいな。
「私、まだなにも言ってないですよ」
「以心伝心。なにも言わないのに、わかるって、素敵じゃない?」
「もう。佳久さんったら」
くすっと笑みを浮かべたこまちがかわいくてしかたがない。
「そういえばさ、こまちって、どうして僕のことを好きになったの?」
僕はいままで散々こまちに助けられたけど、僕のほうはこまちを惚れさせるような活躍をした覚えがない。
もしかしたら、前の世界の僕が大活躍したのだろうか。だとしたら、自分のこととはいえ、少し複雑かも。
「好きになるのに理由って要りますか」
「いや、それもそうだけど」
「佳久さんと同じですよ」
こまちは目を閉じた。
「人から見捨てられることって、やはりきついんです。ただでさえ私達は、人々に信じてもらえるのが当たり前の存在なんですから」
人と違う時間を生きる神様が感じる孤独感はどれほどのものだったのだろうか。僕には想像することができない。
「だから佳久さんと出会って、いろいろとお話をして、一緒に時を過ごして――私は一人じゃなかった。一緒に感情を分かち合える人がいた。そして、その人はすごく優しくて。私のことを大事にしてくれて」
好きにならないわけないじゃないですか。
小さな声で彼女はぽつりと漏らした。
「でも、もう大丈夫です。私は寂しくないですから」
こまちは腕を僕の背中へと回した。
「佳久さん。大好きです」
「僕もこまちのこと、大好きだから。絶対に離さないからね」
「……はい」
目があった僕達はどちらからともなく唇を重ねた。
永久に離れないという約束の証を。
今夜はきっと、幸せな夢を見ることができるだろう。
そして、目が覚めたら。幸せな未来が待っていますように。
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