第19話

「なにしてんだ?」

  その晩、補助グラウンドに着くと匡直は石灰を持ち出し地面に大きな細長の長方形を描いていた。終わるとその定規みたいな枠の中に呼ばれ、やや古びた作り物の細長い葉の束を渡されて恭はキョトンとした。紙や布、プラなど素材は様々だが1m前後の緑で細長いのは一様で、根元をまとめてくくってある。形状で言えば祖母のレモングラスを思い出させる。

「本物だと危ないからな。この枠内でそれを俺に当てられたらそっちの勝ちだ」「へ?どゆこと」

「いいから入れ」

(――フェンシングの試合みたいだな…)

 枠の形や大きさもピストに似ている。じゃあこれって剣代わりか?と草束を振りながら、戸惑いつつ中に足を踏み入れるとすぐさま開始の合図がきた。

「1セット20秒、いくぞ」

「え!?」

 構えた匡直につられ訳の分からぬまま草束片手に構え掛けた恭だったが、間髪入れず跳躍した匡直に頭上を宙返りされた上、着地途中で軽く背中を足蹴にされ前のめりになる。ほんの押す程度なのにずしりとした重みを感じて振り向くと、やはり両手両足首にウェイトバンドが、二重に巻いてあった。

 匡直がニヤッと嗤うのに思わずムッとして決めた。何だか知らないが――

(乗ってやるよ!)

 勢いのまま恭は上下左右と滅茶苦茶に草束を振り回す、ところを素早くぬって匡直が肩、胴体を手刀で小突く。屈んで足を掬う真似でバランスを崩された恭は、足をもつれさせながら枠の外へとはみ出した。スマホのタイマーが電子音を鳴らす――、

「休憩、」

 枠の内側に立ったまま匡直がしれっと言った。

「力を使うのもアリだぞ、むしろ使えよ、動くなとか止まれとか――」

「――…昼間の実験て…、」

 匡直は徐に頷いた。

「ただあのやり方――俺からだと万が一もある。かといって逆にお前に刃物を渡して本気で来いと言っても無理じゃないかと思った」

 確かに、いくら相手が匡直でも刃物、いや普通に怪我の恐れがある物では心理的ハードルが高すぎる。それでこの草束か?

「…けどさ、もー少しハンデもらえないか」

 中芯はしっかりめだが、こんなひょろい草束ではウェイト五重巻きだろうが微塵も勝てる気がしない。――いやこの草束はこっちが匡直の動きをコントロールするための、謂わばツールなんだから、勝つ必要ないのか?けど勝機の欠片もないのに本気で来いって言われても――…どうもしっくりこない、が匡直は恭の握るそれをアゴでしゃくって言った。

「それも含めれば充分だ。――次行くぞ」

って草だろ」

「準備は?」

「―――」

 暫くやってみるしかなさそうだと恭が頷くと、「始め」と再び合図がきた。

 とりあえず派手な動きを誘って疲れさせ、体が鈍ってきたところで勝負――のためには枠の端に追い詰めるか足元を狙ってジャンプさせるべく仕向ける。とにかく上下の動きに誘導するのがよさそうだ、

(とは思うけどな…)

 4セット5セット目と続けてもやはり全く歯が立たない。端に追い詰めるどころか簡単に脇に躱されるし容易に近づくことさえ出来ず、しかも躱し際ちょいちょい小突いてきて地味に癪に障る。

「止まッれッ!」

 おまけに声の大きさは関係ないとは思うのだが、手っ取り早く気持ちを込めるには、というよりどうしたって勝負事だと気合が入る。だがそれ故に息が切れやすく、またそこを見透かされ付け込まれるという―――

(充分だって、どこが!?)

 ハンデの意味が分からない。

(こいつ手加減すらしてるように見えないし、一旦中断させて――?)

 そう心で悲鳴を上げたとき、匡直の頬に汗が伝い落ちた。20秒毎に短い休憩を挟むとはいえ何セットも続けるのはそれなりにハードだが、何がハンデかと恭がキレたように、匡直の方は終始涼しい顔だった。だがそれはただ、恭が草束だのに必死になって見えてなかっただけだった。抑えているがよく注意すれば所々で呼吸が乱れている。でも単なる疲れとは違うある種異様な緊張――手加減なしというより動きが必要以上に機敏で、絶対に掠りもさせないという気迫、むしろ気負いか?

 タイマーが終了を告げた。

「…あのさ匡直」

 さりげなさを装って顔を隠すように汗を拭う匡直に恭は言った。

「疲労だけじゃないよな、それ?なんていうか、ストレスって感じするんだけど…」「…気のせいだ」

「いや変だって、余裕で躱してると思ってたけど必死だろ」

 喋りながら意識せず振った草束に匡直の体が心持ち引け、その視線を拾った恭は訝りつつ己の手元を見遣った。ただの造り物の草だ。

「………岸崎は、」

 観念したように水筒をあおり、全身の力みを解くようにゆっくりと息を吐きつつ匡直は言った。

「そいつが苦手だ」

「これって…?」

「かや――葉の両端がサンドペーパーとカミソリ刃を一緒にしたようになって…」

「!ああ中学のときの手ぇ切れるやつ―――」

 中学では運動部が毎年、保護者と校内や周辺の草刈りとゴミ拾いをする奉仕作業があった。恭らが1年のときは男子の面々が軍手に鎌で大人を手伝ったのだが、鎌の扱い方と一緒にかや(匡直に渡された草束の本物みたいなのを前に、細長で堅めで縁に触れると小さなノコギリ歯のようになっていて危ない――草の類だという説明と共に)で手を切らないようにとの注意が再三、色んな親からくどい位あったからか、ふざけてこれか?と触りケガする輩が続出する゛事件゛があって、翌年から女子が担当することになってしまったということがあった。

 騒動の際に岸崎がいたとはっきり覚えているのは、作業の途中で具合を悪くして介抱されていたからだ。

「――俺はやらかしたことあったから触んなかったけど、やたら言われると逆に、だよな」

「…ああ」

 幼いころ祖父母宅で、注意されたのにがっつり握ってしまい派手に手の平を切って大泣きした。紙で切ったみたいに鋭い痛みが後を引き、擦り剝くよりよほど痛かった覚えがある。見かけはススキっぽいが、鼻先で嗅がせてもらうと名前の通りレモンの香りで、もう一回嗅いでみたかっただけなのだが、植えた祖母はこの件で根から掘り起こしてしまったらしい。

 未だに申し訳ない気分になる恭である。

「相当痛いし、岸崎もか」

「――トラウマだ、誰にも喋るなよ」

「言わない言わない、けど俺よりエグそうだよなー」

 直感で痛さだけの単純なトラウマではないかもしれないと思ったから、敢えて軽めに流した。さっきの匡直の様子からして無闇に踏み込めることではなさそうだった。

「でもさ、なんでこんなの持ち出すんだよ?負荷は負荷でも心理的ダメージだろこれじゃ」

 草束が揺れただけで匡直の体がまた引けた。

「お前に持たせる威力無しの武器に、どうこちらが真剣になれるか考えた結果だ。ストレスでより消耗し易いのが難点で、(守るという)使命に反するが背に腹は代えられない、これ以上悠長にしてられるか」

(―――不甲斐なさすぎだろ俺)

 なぜ気づけなかった――。

 思うように成果が出ない中、匡直の焦りは当然だった。

「岸崎の方は大丈夫なのか?」

 どうあっても結果を出してみせると拳を握り締める。

「記憶は厳重に封じる」

「分かった、じゃ続け――」

(あれ待て、――逃げてるんだよな匡直は)

 必死に逃げる相手に『止まれ』だの『動くな』って受け入れ難い筈だ、だったら―――

「どうした?」

「いや、始めよう」

(イチ、ニ、サン、ヨン――)

「匡直避けろッ!」

 待ち構える匡直に恭は草束を思い切り振りかぶり、振り下ろすと同時に叫んだ。

「――!?」

 何が起きたと瞬きする。目の前にいた筈の相手が掻き消えていた。

「驚いた…」

 声に振り返った恭の数歩先にやや惚けた表情の匡直が立っていた。

「上手くいった…んだよな?」

「いった」

 重しのハンデがありながら目で追えぬ速さで躱せたのは、恭が放った言葉が後押しとなって動作がより加速されたからだ。この場合制止よりむしろ、加勢する言葉の方が有効だと考えたのが的中した。だがこれはいけると喜べたのは束の間で、同じことをしてる筈なのに二度三度とは続かなかった。変化を付けた方がいいのかと、途中から1回毎に『跳んで避けろ』といった条件を加えてみたり、意表を突いて『後方抱え込み2回宙返り3回捻り』などと突飛な言葉を挟んでもみたが微かな手応えすら無い。

「最初と何が違うんだよ!?」

「…分かれば苦労するか」

 匡直も見当がつかないようで困惑顔だ。

「――ひとつ分かるとすれば」

 恭は苛ついて答えた。

「わかってるって、強い意志とか心とか、全然必死にやってるし」

「――休憩だ」

 ともあれ切り替えようと一息ついて再び試し、その内に葉のダメージのせいか匡直の動きが目に見えて鈍ってきて、恭はついに葉先を肘に掠めさせたが到底喜べる場面ではなく、力尽きたのはこちらが先だったが、匡直は呼吸がなかなか整わないと思ったら、唐突に動けなくなりへたり込んだ―――。


(どうか結果が出てくれ――)

 祈る気持ちで恭は引かれた白いラインを消す。

「――――」

「え?――何て?」

 聞き返すとぐったりとグラウンドに寝そべったままの首だけが怪訝そうに向けられた。

「いやいま何か言ったように聞こえたから――空耳か」

 夜空を見上げ匡直が目を閉じた。




(あの感覚だ、)と思った。

 自分の前に立ちはだかる自分。多分夜なのと、立ちはだかられ感で視界がはっきりしないのが難点だったが、よく見知った場所だったからじき分かった。

(補助グラじゃん、そんで加田――)

 本能的に無理だと感じながら゛もう一人゛を押し退けようと試みて初めて、そのための手足ごと封じられていると気づく。のみならず号令みたく『次』とか『やるぞ』とか聞こえる毎に突如、ジェットコースターにでも乗ってるかのように視界が幾度も目まぐるしく変わってひたすら混乱した。漸く落ち着けたのはが動きを止め、会話が始まってからだった。

『最初と何が違うんだよ!?』

『…分かれば苦労するか』

『――ひとつ分かるとすれば』

(俺が喋ってるのに俺じゃないし)

 おまけに加田の喋りは両耳に水が詰まったように聞きづらい。でも言ってることは意味不明ではなかった。

(アレだよな、これって――)

(でも加田切ったよな)

 あの時確かに自分から何かが消失した感があったのを思い出す。

「まさかまた爪刺さったのか」

『え?――何て?』

『いやいま何か言ったように聞こえたから――』

 その後のことは曖昧で、また明日なと言って別れたことだけはっきり覚えている。帰宅した辺りで虚脱感のような疲労がピークに達し、あらがえなくてすぐ眠ってしまった。




 明くる日、恭はきのう約束した通り始業ギリギリ、階段を上がってくる担任の姿が見えてから教室に滑り込んだが、本音はすぐさま匡直に駆け寄りたいところだった。小さな欠片の方が半分以上無くなっていた。先行きは暗雲のまま、複雑な心境も抱えながら、恭はだが結果が出たことにともかく安堵した。

「加田君たち席代わったの?」

 背中をつつかれ振り向くと、斜め後ろが物川さんだった。

「あ、うん。匡…岸崎が黒板見えにくいって言うからさ」

 ―――とはいえ儲けものと本人も言ったように、教室内で視界外でい続けるなど無理がある。もってせいぜい1、2限と踏んでいたのだが、予想に反し終礼まで何事も起きなかった。匡直であれば失敗すれば必ず小言のひとつも言って来るだろうからだが、危なかったのは一度だけ、授業前にチラと後ろを気にする仕草を岸崎がしたので、咄嗟に体を縮めやり過ごしたくらいだ。こんなに上手くいくものかと意外に思いつつ、恭は帰り支度をして空教室の本部へと急いだ。

 ネタバレで一回限りとなっていた初日のバージョンを、サプライズを変えて最終日でやってみたらとまた別のメンバーが思い付き、それも面白そうだと盛り上がって放課後に予行演習してみることになっていた。


「あ、加田くん来た。モノは一緒じゃないの?」

「職員室寄るって言ってたよ」

 話す側で息せき切った物川が入って来た。

「ゴメン遅くなっちゃった、私最後?」

「全然ですよ」

「お疲れ様っス」

「モノこれどうするー?」

「えっとね」

 中心メンバー以外は属性も殆どバラバラで、個々に集まって来たという集団だが、居心地がよく結束も強いのは彼女のお陰だろう。クラス委員とかそういうの全くやったことないんだよと笑っていたが、堂々、安定した指揮ぶりで皆が信頼を寄せるのも分かる。

 ツアーも3日目の今日は滞りなく終え、予行演習も上手く行った。週明けの最終日を乗り切ったら打ち上げしようと決まってこの日は終えて、そのまま女子トークを始めた物川らを後に教室を出た恭は、昇降口を出たところで「おーい」と知った声に呼び止められた。

「永見」

 少し離れた花壇のとこにチリトリを掲げた永見がいた。

「加田ぁ、来週から部活なぁ!予定通りプレゼンやっからー」

「入部希望1人?」

「聞けよ増えて3人!男ばっかだけどなー」

「マジスゲー」

「なー!」

 こっちは新部長、永見渾身のクラブ紹介の賜物だろう。恭の所属するスポ研、スポーツ研究部は前期と後期に分け年間1から2競技のスポーツを全体で取り組むという部活で、色んなスポーツを経験できそうなのと、代々蓄積されるノウハウで自己負担の面でもやさしいという触れ込みも決め手で選んだ。週3の緩い部活と思われがちだが、競技ごとの到達目標は概ね高めで出欠にも割合厳しい。

 ――プレゼンは各々が次にやりたい競技を提案する場だが、どんなものでもというわけにもいかず数種類の中から選ぶ。が難易度などの条件をクリアすれば新競技も提案できるので、恭はスラックラインというスポーツ綱渡りを新しくプレゼンするつもりだったのだが、部員が8人に増えれば対戦ものがいけるかも――、

「あ、これ匡直か?」

 永見と別れてから、何時かとスマホを出して岸崎のLINEに気づいた、のであるが画面を開くと文面の拙さと変換ミスがどう考えても岸崎ではない。

(文字入力はちょい苦手か)

 入力が苦手なだけならいいけどと、授業のノートに懸念を覚えつつバス停へ急ぐ。『ぎゅうどう広場へ、』

 匡直からの呼び出しだった。 

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