第18話

「加田ありがとな、ネーチャンマジ喜んでたわ」

 朝活間際に教室に入ってきた素平から礼を言われ、そういえば橋渡しを頼まれてたっけと恭は思い出した。無事やり取り出来たという。

「そっかよかった――」

 母に素平の姉がコンタクトを望んでいると話すと『うんいいよ、LINEのID教えといたげて』とさらっと返ってきた。本人がよければいいのだが昨日も変わらず残業だった。

「あ、そのキーホルダーすげーいいじゃん、あとで見せて」

 母の友人作の例のキーホルダーだ。あれ以来バッグに付けている。

「ん、いいよいま――」

「岸崎呼んでるみてーよ、ほら席――」

 岸崎とは違った意味で目端が利くタイプらしい素平は、話も面白いし制服や髪型を特に崩すでもないのにお洒落だと分かる。他クラスに彼女いるんだっけかと思いつつ、お喋りや移動で込み合う騒々しい教室の間を抜って岸崎の席に近づくと、手の動きだけで爪を見せろと催促された。ポケットから出して渡すと、窄めた手の内で受け取ったそれを凝視した匡直が、器用に岸崎の表情を保ちつつ「コスパが悪い」と言い捨てた。昨晩遂に変化はなく、今朝になって2コの欠片のうち小さい方が僅かに減っていただけだった。

「そういえばあっちの進展は?」

「―――」

 意味が分からず匡直を見返す。

「偶然に頼らず俺を動かす試みだ」

「あ――…一応、色々と」

 岸崎には申し訳ないが授業中、振り返らなくても成果が分かるという理由で『手を上げろ』だの、午後からは休み時間にも『こっちを向け』だの地道かつコッソリと続けてはいるものの、聞いてくるくらいだから何も響いてないということだ。どだい普通でないことをさせないとまず効果は無いらしいのに、学校生活に於いてそれはほぼ無理だと恭は半ば諦めていた。

(でもこの調子じゃあな…)

 爪がこれではどこかの段階で体を張るしかなさそうだ。席に戻りどれくらいの危険度なら真剣になれるかなどと考えていて、ふと閃いた。昼休みの後なら体が空く、匡直にちょっと相談してみようと思っていたのだが、1限終了後の騒ぎとその後始末とでそれどころでなくなってしまった。



「あれだけ言ったのに!」

「台無しじゃんっ」

 報せを受け1階本部の教室に物川と駆け込むと、既にメンバー全員集まって、囲んだ机を覗き込み口々に非難を浴びせていた。

「あ、来た来た、モノに加田君こっち来て」

 輪の中に押し込まれ机のスマホを見るや、2人して声を上げていた。

「ね?」

「ひどくね?」

 そこが肝なので、参加者には事前に全日程を終了するまでツアー内容を他言しないでとお願いしているのが、サプライズの種明かしごとSNSに投稿されてしまっている。

「これはその投稿のスクショ分らしいです…」

 帰宅部だけど何かやってみたくて、と言っていた2年生の女子が進み出た。

「新入生の弟さんが教えてくれたんだって」

「初日に参加してくれてたんだよね」

「はいその弟が…」

 昨日の夜、あるSNSでツアーのネタバレされてると、クラスメイトの一部で作ったLINEグループで知った。ただその場で確認したときは既に投稿は削除されているようだった。

「教えてくれようとしたけど私、きのうは早く寝てしまって、朝も早く出るので…」

 弟は朝登校してから、別に出回っていたらしいこのスクショ画面を知った。確かにツアーの内容そのままで、更に新入生の間で相当数ネタバレが広まってるっぽいと分かり慌てて姉にLINEをし、既読が付かないと見るや授業中に腹が痛いと訴え教室を抜け、迷ったと言って姉の教室まで来たという。

「勇気あるな弟さん…」

「スゲーすよね」

「すみません私が――」

「何言ってるの、むしろ琴ちゃんと弟さんのお陰だし」

 そうそうと皆で頷く。

「にしてもホント誰だよ」

「でも投稿見れなくなってたんでしょ、悪気はなかったのかも」

「けどさあ――」

「やめよ、皆」

 画面にもう一度目を落としてから、物川が毅然と顔を上げ全員を見回した。

「誰が、なんて意味ないよ。それよかすぐにもう1バージョンの準備に掛かろう」

 まさかこんな形でとは恭も思わなかったが、ネタバレの可能性も考えてもう1種類バージョンがあった。念のためくらいで本来なら後半2回でやる予定で――、

「でも小道具がまだ全部揃ってない…」

「今から作るのムリゲーすよ」

「あ…」

 演出や場所の関係で映像や音作りは少なかったが道具類は多く、準備期間もタイトだったため幾つか仕上がってないものがあった。沈黙後ややあって、演劇部だという2年生が手を挙げた。

「…いまある道具に合わせてサプライズとか変えたらどうでしょう」

「でもさ、誰も何も思い浮かばなかったら…時間も」

「やってみないと分からないだろ」

 思わず口走った恭に「そうだよ、」と物川が力強く頷いた。

「とにかく諦めないでやってみよ、いい?」

 授業がなどとは誰も言い出さず、必ず何とかするのだと一致団結して解散した。恭も不純な動機を脇に、ノートだけ機械的に取りつつ打開策を捻り出そうと必死に頭を働かせた。幸い次の休み時間、マジック同好会の1人が出した妙案で拍手喝采も束の間、髪をキリリと一纏めにした物川のテキパキとした指示の下、全員が前日以上に駆けずり回って何とか開催、成功に漕ぎ着け、ちょっとした感動に包まれながら恭は午後の授業へと急いだ。



「大変だったってな」

「うん、かなり」

 昨日は午後からはゆったりした気分でいたが、今日はまだこの後も手分けしてやる事が残っている。慌しいが一足早い文化祭的な楽しさもある。

「お前今日体育当番だったな」

「あ、そういえば」

 多分ボールの片づけだ。

「放課後の予定は?」

「集まりがあるかな…ツアーの」

「じゃあその前に――」

「こらそこーー」

「はい」

「すみません!」

 2クラス男子合同で、サッカーのミニゲーム中だ。

 目下相手ゴール前にて混戦中だが、互いに守備で位置も近かったので、戦況を見守りつつ寄って喋っていたら雑談だとバレた。教師に返事をして匡直が離れてゆき、恭はボールの行方に合わせて右にずれる。とカットされたボールが高く蹴り上げられて自陣に落ちた。今度はこちらのゴール前で競り合いが始まり恭と匡直も参戦する。もしかしたら体育は動きの加減が難しいのではないかと匡直を案じていたのだが杞憂で、今日も至極普通にプレーしている。ところがボールを奪った匡直中心に団子状になった直後、恭は「あ、やった」と口にしていた。

 しくじったのだ。多分離れたとこにいた味方に送ったであろうパスが、誰も手を出せない豪速で水飲み場を直撃し、ボールが掠った蛇口の把手が弾き飛ばされた。

 悲鳴と驚愕で中断したゲームは、行方不明の把手の外は水飲み場のコンクリ角が多少欠けただけということで間もなく再開され、何を言うまでもなく匡直は、スゲエェーと歓声が上がる中もはや渋面を隠せず突っ立っていた。



「だぁかぁら、偶然だって、どう蹴ったかも覚えてねーし、コンクリも把手も老朽化に当たり所だって柔軟言ってたじゃん」

「老眼じゃん?そんな古くなかったって」

 老眼も柔軟も体育教師のことだが、授業が終わってから寄ってたかってこれなので参っている。

「いやそんな――」

「誰か動画撮ってねー?」

「無いだろ授業中」

 言い掛けたところにまたあらぬ方向から声が上がる。よく知らない奴まで話し掛けてくるし、勝手に盛り上がったりするわでどうにも居心地が悪い。

「俺も人生に一度でいいからあんな奇跡起きねーかなー」

「受験に取っとけよ」

 わはははと周囲で笑いが起こる。さっさと着替えて教室を出ようと上着を持ち上げたところへ今度は側にいた伊出が「そういや」と話を振ってきた。

「岸崎休み明けからさ、少しキャラ変した?」

「へ、何で」

 寝耳に水でドキリとした。

「いや何となく」

 部活仲間の涌井が「あれだろ伊出、」と口を挟む。

「藍沢が言ってたやつ俺が話したから」

 あのことかという風に藍沢が頷いた。

「険しい顔をしてたから、何事かと驚いたぞ」

「ああ、あれか、ホントに何でもないって、沢サンこそ真顔で来るからこっちが逆にびっくりだし」

 新学期の翌日、登校中の加田を上から見かけ気紛れで昇降口まで迎えに降りたら見失ったので、何となくムキになって探しまくって掴まえた。その様子がなぜか剣呑に見えたらしい。

「すまない、岸崎にしては珍しい顔だったものだからな」

「そーそー、それ聞いたのもあるかもだけどさ、俺も思ったんだよね」

 それ以上話題にしてくれるなと、顔には出さず苦々しく伊出を見る。

「時たますっげー気合の入った表情してたり、話してたら時々ワザとらしいくらい岸崎になる感じ?」

「はあぁ?どういうことだよ、どんなキャラ変だよそれ」

 意味不明すぎて呆れた声になるのに、俺らもそれは意味分からんと涌井と藍沢も同調する。

「つーか見過ぎじゃね」

「いや飯とか一緒に喰うからさぁ」

「何言ってんだよ、俺は365日フツーに俺よ」  

 ホント何言ってんだと笑い合ってるとこへ、体育当番だった加田が「女子が早く教室入れろって」と入ってきて話はおしまいになった。

「あ、加田――」

「うん?」

 なぜ声を掛けたのか自分でも分からない。

「――いやお疲れ……」

 ふと何かを思い出しそうになったがそれきりだった――…

「…――放課後プール裏に来い。すぐ済む用事だ」



 終礼後、物川に少しだけ遅れるからと伝えダッシュでプール裏に着いた恭は、先に来ていた匡直に無言のままいきなり彫刻刀で切り掛かられた。

 振り翳された切っ先がヒュッと音を立て、袈裟懸けに躊躇なく振り下ろされる。血の気が引き声を発する暇もない。続けざま翻えらせた小さな刃が防御で出た腕の袖ボタンを正確に1つ飛ばした、

「ッ――止めろッ」

 大声が出た―――よく出せたと思う。途端怯んだかのように匡直の動きが止まった。振り上げた片方の腕の、僅かに開いた手の隙間から彫刻刀がポトリと滑り落ちる。軋む身体を無理に動かそうとするようにギクシャクとその腕を下げる様に、恭は自分の言葉がのだと理解する――ゆっくりと匡直が踏み込んだ足を引いたとき、裾口のウェイトバンドが目に入った。よく見れば手首もだ。

「動きすぎを防ぐ。体育のあと思い付いた」

 視線に気づき匡直が言った。

「どうだ、感覚掴めたか」

「まさかそのため!?」

「他にあるか」

 奇しくも似た策を練っていたことに恭は驚く。尤もこちらはよほど穏便なものだった、それにどうでもいいが彫爪の持ち主ってけっこう雑な扱いで大丈夫なんだなと、改めて身に染みる。

「それと今晩のための実験でもある」

「――実験?」

 それには答えず匡直はまた突然、明日から席を替われと言い出した。

「もう担任には許可を取ってある」

「席?何で」

「教室が同じでも、お前が視界に入りさえしなければいいんだと気づいた。いいか、教室にはギリギリに、必ず後ろから入って来い。岸崎が気づかなければ儲けものだ」

「なるほど」

 体に重りを着けるのといいサプライズの打開策といい、工夫次第で結構どうにかなるものだと感心する。

「あ、そーだ!」

 つられて恭も名案が浮かんだ。

「負荷かけるんならさ、泳ぐとか――…」

 匡直が、夏から溜めっぱなしの水を湛えるそこを睨み上げ強制的に黙らせた。




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