第17話
週休4日の自分と違い、毎日部活だという匡直が「じゃあな加田」と岸崎のノリのまま荷物を抱え直しつつ、声だけ潜め「後は岸崎の指示に従え」と言って教室を出て行った数分後、『ソウダ!』とハンドボール柄のスタンプで岸崎からLINEが来た。
『夜8時に補助グラな、ムリなら言ってくれ』
「指示ってこれか」
岸崎的には『ハンドやってみたい?俺でよけりゃ付き合うぜ』だが、匡直はここで爪崩しをするつもりなのだ。しかし補助グラウンドということは、
「『校内?』」
『部活今日ここだし』
『駅側の道で来いよ』
――そんなわけで、恭は校内に真っ直ぐ続くいつもの坂でなく、駅側の道――部室棟やプールなどがまとまる、学校裏へと続く坂道を歩き、補助グラウンドに直接行ける細い脇道に差し掛かった所だ。
さっき最寄りのバス停前で、活動時間最長を誇る野球部の帰りとすれ違った他は、誰とも会わずすんなり来れた。ここまで来れば民家は途切れ、先にあるのは学校のみだ。
(意外と盲点ってことなんだろうけどな…)
元々、廃部したテニス部のコートだったらしいそこは、校舎からは体育館等を挟み見通しの悪い校内端にある。行ったことはあるが普段授業で使うこともなく、ハンドボール部が使っていたのも今日初めて知ったくらいだった。考えてみれば学校自体も古い住宅や田畑が散らばる広い幹線道路沿いで、人目を避けるという点ではそこそこ適している。
「―――」
入った脇道を暫く歩き、補助グラウンドに辿り着く。
照明は無かったが、真っ先にグラウンド半ばに立つ匡直が目に入った。2ヵ所ある出入口付近の(時々点滅を始める)外灯に、街や道路沿いの明かりで思ったほど暗くない為だ。ただ記憶より生垣がやせて疎らなうえ、ブロック塀が一部あるのみが気に掛かる。つまり全体的に開けており、どこかに人が残っていれば案外簡単に気づかれるんじゃないか――。ハンド用の、バレーボールより一、二回り小振りな、ボール片手に立っていた匡直は、そんなことを考えながら周囲を見回し入ってきた恭と目が合うや、フワリと跳び上がり、空中で一瞬制止したかと感じた瞬間、グンと全身を素早く躍動させ、
「凄ッ――じゃなかった!ここ大丈夫か?」
来る道すがらプロの試合を視聴していた恭は、轍はともかくこれが辛うじて常人の範囲だと分かったが、見られていいレベルではない。
が匡直の答えはあっさりとした「問題ない」だった。
「仮にSNSだかに投稿されても、加工だと思われるのがオチで、万一騒がれてもじき関心は離れる。違うか?」
「―――多分、」
彫爪の透かし模様の持つ特性が、匡直を動画にという発想にまで及んでいた可能性、話してあっただろうか。
「でもはっきりしてるわけじゃないし、彫爪そのものほど関心が削がれるか――」
だけどスマホを構えるまでに、時間差はあるかもしれない。恭の返答に頷き匡直は肩を回し始める。
「まあ見られないに越したことはない。持って来たな、双眼鏡」
「家にあるやつでいいって言うからそうしたけど…」
夜店で買ったおもちゃなので、倍率も相応で見え方も不鮮明だ。
「人影が分かれば充分だ。校舎辺りを中心に見張ってろ――始めるぞ」
「俺は?ハンドボールだろ」
あえて聞く。
「見張りだろ、俺がボールなんか使ってみろ、凶器と書いてボールと読むだ」
「だよな、決まってるよな」
ちゃんと聞こえてたよと呟き、己にはひたすら旨みの無い能力だとひとりごちる。恭から離れ、感覚を掴むように軽く体を動かしていた匡直が、不意にグラウンドの端から端を、体操ゆか演技ラストの大技を模した如くの動きで移動した揚句、マンガや特殊映像張りのダイナミックな拳法技を軽々幾つも繰り出すと、恭は思いを一層強くしてぼやいた。
「どこで覚えたんだ、そんなの…」
「岸崎に体操競技や空手、拳法だのの動画を見るよう誘導しておいた。動きのサンプルをインプットするためだ」
昼間スマホでもって、岸崎のツイッターでお勧め動画を教えてなどと投稿したり、検索履歴を残したり、首尾は上々だったと胸を張る。
「んなことやってたのか」
半ば呆れつつ言う。どうりで前には無い動きだ。加えてスピード感ある体捌きといい、全てが断然よくなっている。
――にしても本人楽しげだ。一応周囲を気にしてか、高い跳躍は控えているが、溜めや助走もせずにバク転や宙返り、回し飛び蹴り空中捻りだのの離れ技を、さながら円舞のごとく連続させる。ああも自在に動けば、面白くないわけがない。あんなに軽くこなすのだから、自分にも出来るんじゃないかという錯覚にさえ陥りかける――多少の才は必要かもしれないが、人がやる動きに変わりはないのだから、例えば補助具の助けでもあれば技の1つ1つ、或いは複数組み合わせでも、やれないことはきっとない、おそらく。しかし匡直は全神経を集中させたり、感覚を研ぎ澄ます様なことなく、呼吸同等にそれらをやってのけ――
「――おい、」
不意に動きを止め匡直がこっちを見た。
「見張りはどうした」
「ゴメンつい――」
忘れて完全に魅入っていた。慌てて双眼鏡を手に、外灯辺りに視線を移した恭だったが、あれと思って振り返った。
「暗くないか?よくそんな動けるな」
思ったほど暗くはないというだけで、月も夕方からの曇り空でぼやけ、人工の明りも届かないグラウンド隅など、足元が覚束ない感じなのだ。
「――ああ、これも前に気づいたことだが、動作に見合う必要があるんだろう、感覚も一緒に数段上がる。特に目は、夜目も利くからこれで充分だ」
だからちゃんと見張っとけ、言われて改めて周囲を見回し、恭は漸くここかと納得いった。
ここ補助グラウンドの背後は建物が途絶え、向かう校内は隙間だらけの生垣のように、体育館やプール、部室棟などが疎らにあるせいで、ここからも、多分向こうからも視界が鬱陶しく遮られるのだ。更に恭自身、部活でうろつくとこはあっても、ハンド部に気づきもしなかったように、大半の生徒にとっては、用が無ければあって無いようなもので、一層目立たぬということなのだろう。
匡直が無思慮なわけないのだが、思い切ったわけでもないと分かって安堵した恭は、再びグラウンドを周回しつつ、人影や物音に気を配ったが、やはりどうしても匡直に目を奪われる――というのは最初の話で、圧倒されるばかりだったのにもじき慣れ、目も幾分順応してくると、今のは後方抱え込み宙返りか、などとマンガからや聞きかじりの知識を当て嵌めたり、体操技メインで格闘系は少なそうだとか、見分けられるようになってきた。挙げ句慣れきって、寒さ凌ぎにランニングを始め、途中、匡直の動きがどんどんよくなって、増すスピードと勢いで、地面と接する毎に抉れ土埃が上がるのに気づくと、グラ整して帰らなきゃ拙いと、ブロック塀の上から背面ジャンプした匡直の下を悠々と通りつつ、頭上を何回転かしているところへ声を掛け、トンボの
――岸崎経由でインプットした技と動きの数々をアウトプットして半刻ばかり、し尽くしたらしい匡直は、額の汗を拭って一息ついてから、仕上げとばかり、例えるなら突き、蹴り連打からの後方伸身宙返り5回半捻り前方屈伸6回宙返りで回し飛び連続蹴り的な、要は高速かつ複雑過ぎて、何をやったかさっぱり分からない技を披露した直後、勢いのまま今日一番の、大きく弧を描く大ジャンプをして完璧な着地―――と思ったら、たたらを踏んで、小さい子みたいにペタリと地面に両手をついた。
「大丈夫かー?」
見物していた恭がのんびり走って近づくと、匡直の息が完全に上がっている。単に失敗かと思ったら消耗して足にきていたのだ。
「大丈夫か」
「――爪」
手をついたまま肩を上下させる様子を心配し、顔を覗き込んだ恭に、匡直は有無を言わせぬ口調で彫爪を確かめろ、と指図した。
「ああ、うん――」
ポケットから爪とペンライト取り出し照らす。手の平に載せ、角度を変えながら当ててもみる。困ったなという感情を悟られぬよう、恭はなるべく楽観的に言った。
「切れてるし、前よかもっと時間差があるのかも、」
本当にそうならいいが――裏腹につい押し黙りそうになる恭に対し、匡直は言った。
「表面上分からなくとも、ダメージが無かった筈はない。手段は間違ってない」
そう言いつつ彫爪を見る表情は、己より余程険しい。
「まずは休めよ、それからまた」
続けてみたらと勧めようとしたのだが、匡直は仰向けに倒れ寝転がった。
「もう無理だ、明日に回す」
単に燃料切れだと匡直は言ったが、別れ際まで重い足取りなのを「何かあったら即連絡しろよ」と恭が心配すると、「…これで効果なかった最悪だぞ…」という呟きが返ってきた。
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