第14話

 恭は出されたジュースのグラスを、取り損ねて倒しそうになった。

「危なかったわ」

「すみません…―――あの、大変な目というのは」

 自分では自然に聞いたつもりだが、そうでもなかったかもしれない。 

「私もよくは知らないの、詳しいことは何も、あなたまとめ役の言う通りだったって言ってたわよね」

 奥さんが夫に向かって言うと、窪まった目が初めて何か意思を持って見えた。

「まとめ役…さん?」

「ああ、まとめ役というのは――一昔前は技持さんが沢山いたから、それを生かして村で収入を得てたのだけど」

 知ってますと恭は答える。

「そう?その際に依頼主と技持さんとを仲介したり、他に集まりも仕切ったりするお宅」

「家なんですか」

「実質個人ではあるけれど、主人が言うには昔から傑出した技の持ち主が多かった家で、いつ頃からか持ち回りから、この家が代々務めるようになったという話だったけれど…」

 失火だったという。

「もう2人しか住んでおられなかったけど、家も蔵も残らず焼けて、」

 聞くと半世紀は前かという昔の話で、2人ともこの火事で亡くなった。親類縁者がよく分からず結局殆ど顔見知りだけの葬式だったそうだ。その頃には集まりも無く、仕事の依頼もまとめ役である当主本人が引き受ける程度だったので、後継も作られなかった。

「この時亡くなったまとめ役さんの言葉だそうよ、おそらく集まりでね、他で会うことはまずない筈だから」

 奥さんよいしょと立つと、小机の抽斗から褪めた表紙の手帳を取って戻り、老眼鏡も掛けるとページを繰り始めた。走り書きや古びた新聞などの切り抜きが挟んであるのが見える。雑多なことを書き留めるもののようだ。

「確かこの辺り…あああった、聞いたまま言うわね、人や生き物に関わるもんはどうしたって強烈だ、あんたの歯は己を余計に注ぐから尚更と心得ておけ――うちの人は技を使う時ただ歯を投じるのじゃなく、体温を分け与えて一緒くたに投げるんですって、分かる?」

「いえ、全然…」

 自分の中に僅かに記憶する熱量みたいなものと、分け与えるというそれとは全く違うものに思える。 

「その歯、使いようによっては毒を仕込むことになるぞ」

「へ?」

「こうも言われたそうなの」

「――毒って…」

「さあ、何なのか…」

 答えながら両手を合わせるように手帳を閉じた奥さんの仕草に、どうしてかこれ以上聞くことを躊躇ためらわれた恭は、別な質問をした。

「人に関わる、は人に使う時ということですよね」

「そうね、生き物に効くようなのは、それなりに威力を持つんでしょう。主人は戦地で幾度も技に助けられたけど、味方を巻き込まないよう、按配に苦心したとも言ってたから」

 気遣う目を奥さんが夫に向けると、その眼は閉じられていた。

「戦友を酷い目に遭わせたというのも、そういうことかしらと思うのよ、はっきり聞いたわけじゃないのだけれど」

 話に耳を傾けながら、恭は眼を閉じたまま微動だにしない老人が気になったが、奥さんがそっと布団の端を整えたので、寝ているだけかとホッとした。にしても目の前の人が゛戦争゛に行き、戦地で闘ったというのもまた不思議で仕方ない。さっきの゛噂話゛と言い、なんて言うんだっけこの感覚――、当てはまる言葉を探そうとして、あれ?と恭は疑問を持った。

(使い方を誤ったんだよな?)

 偶々、言い回しでそうなったのかもしれないが、普通に使って巻き込むのと、誤った使い方で、だと大きな差がある。

(――その人、どうなったんだろう)

 閉じられた手帳にそれも書いてあるのだろうか――恭の視線をどう受け取ったのか、奥さんはわざと慌てた風に手帳を胸元にやった。

「あ、これは内緒よ、本当はダメなのよ書いたりしちゃ」

 力の内容などは文字に残さない、という決まりは本当なのだ。

「必ずバレるんだって、役に立つこともあるかしらと、姑の前でメモを取ったら大目玉よ。でも知らなかったんだもの、しょうがないわよねぇ。これは姑らやまとめ役さんが亡くなって、随分後に書いてみたの。幸い何も起こらずよ」

 いたずらっぽく笑い、「本当に、何も知らずに来ちゃったのよ私」と語ってくれたところによると、結婚当初から、時折山へ入ってはいけない日があったという。


「昔は林業が盛んだったから、米作りとは別に、私と主人も含めて山仕事する人が多くいたんだけど――」

 それが知らせのあった日は集落のある山へは誰一人上がって来ない。他の山へ行く日も天候に関係なく急に中止になることがあった。

「他にもね」

 ご近所へ届け物をしようとして止められ、理由が釈然としない。遠方から行商でもない、明らかに集落とは無縁な者が来る――。「どういうことか」と幾度も夫に尋ね、漸く技のことを教えてもらった。山に入れない日は技持ちが中で何事かしてたのだと言う。他も同様で訪問者は依頼主だった。

「中々教えてくれなかったのは『技持ちも減って時代もこれから大きく変わってゆくから、こんなものじきすたれると思った』からですって。だからってそんな大事なこと、一番に話しておくものでしょう?妻なのよ、知っていれば叱られなくて済んだのに」

 ともあれ、にわかには信じ難かったものの、集落内の妙な符丁ふちょうなど思い当たる節も多く、何よりその風変わりな歯を見せて貰ったことで得心した。ただその後も聞かなければ夫からは一つも教えてくれなかったのだが――。


 奥さんはゆったりした動作でお茶を一口飲み、少しだけ息をついた。

「末人さんのお孫さんだし、主人の代わりに力になれたらと思ったのだけど、何かお役に立てたかしら…今日のことで間がなかったけど、今度この人の弟妹にも聞いてみるわね、幸いあと二人は達者だし、案外と予想もないことを知ってたりするものよ」

「はい。ありがとうございます」

 話はこれで終わりのようだった、スマホを出すと、多分1時間以上はとっくに過ぎている。

「あらこんな時間。お祖父ちゃん戻ってらしてるかもしれないわ、他に聞き忘れはない?」

 そう言われてあと一つくらいはいいかと、恭は聞きそびれて気になっていたことを尋ねた。

「あの、寄り合いってどこであったんですか?」

「まとめ役のお宅にある離れよ」

 離れも跡形も無く燃えていた。

「今にして思えば、この家なら色々と書き付けや綴りがあったんじゃないかしらね。集まりはなくなっても技の諸々に精通した人で、個人的に相談に行くような話は聞いたから、覚え書きくらいないと――…」

 もし文書があったとして、それも燃え、まとめ役さんも亡くなって以降、困ったことがあったらどうしたのだろう?何か別にも伝手や繋がりがあって、助け合ったりしてたとか――案外その伝手のひとつくらい、奥さんは知ってるかもしれないとも恭は思ったが、他へも聞くと言って貰えただけラッキーだ、来る前は場合によっては匡直のことも、全部話すのも有りだと考えていたが、厄介ごとを持ち込むことになり、相手にとっては迷惑な話だと思い直していた。

「どうかした?」

「――いえ」

「また聞いてみたいことがあれば、お祖父ちゃんにでも言って連絡を頂戴」

「はい、今日は突然すみませんでした。大切なこと、色々と教えてくださってありがとうございました」

 祖母の言い方を真似て使い、恭はお辞儀した。問題に直接関わるわけではないが、決して無駄ではない時間だったと思う。

 いいえ、どういたしましてと応じた奥さんはだが「そうだわ」と言うなり、待ってと立ち上がりかけた恭の肩を押さえた。

「嫌ね、年を取るとこれだから――…これは恭君だから話そうと思うんだけど、若くて亡くなられたから、私は会ったことはないけれど、主人のすぐ下の妹、長女さんの話ね。縁談に差し障るからって、家族でも姑達と主人しか知らなくて、私は偶々知ったの」

 能力者が男性に多いというのは誤解で、実はこうした理由で女の人は隠しがちだったのだと後で知った。

 この人が、爪が2枚生える人だった。

「爪が2枚、ですか?」

「ええそう。片足なんだけど伸び方が変わっていて、生えてる爪の下にもう一枚爪が伸びてきて、下の爪が指先まで成長したら、上の爪が剥がれるの」

 伸びるというよりまるで生え変わるだ。ただ普通でも何かの拍子にある現象らしい。以前奥さんも一度、足の小指の爪が何となく浮いている感じがして触ると、痛みもなくけて、下に新しい爪が生え掛けていたことがあったそうだ。驚いて人に話すと、あるあると何人かが手を挙げた。

「足先をぶつけたりが原因で起こるんですって」

 そんな話を夫にしたことで、不意にこのことを聞く機会を得た。

 剥がれた爪を手に物に触れると、その物の色が変わるという技だった。

「ものの色が緑だったら濃くなったり、薄くなったり、こげ茶の着物が真っ黒になってしまったこともあるそうよ」

 ただ細かな調節がかない上、変色したら元に戻せないので、とにかく使うことを禁じられていたらしい。

「主人は妹の技は面白くて、大好きだったと言ってたけど」

 同じ爪でも性質が全然違う、本当に多様なのだ。だけど――そうか現実感かと恭は閃いた。初めて自分以外の力を目の当たりにし、ルーツの半分を強く自覚したにも関わらず、それらをつなぐ話はどれも遠い昔のことばかりで、現実味に乏しいのだ。

 さっきからの座りの悪さを表す言葉が見つかったのは良かったが、その実感の無さがこれでスッキリするわけでもないので、どこか不思議な気分は引き摺ったままだった。






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