第13話

「じいちゃん」

「おお」

 匡直と入れ違いに祖父が来たので、恭は急いで戸締りと火元を確認すると、祖父の車に乗り込んだ。

「いくか」

「うん」

 助手席に落ち着くとバックミラーで後部座席の土産物袋が幾つも目に入り、一体何時から出掛ける準備をと恭は内心嘆息する。それならそうともっと早く連絡して欲しいところだが、祖父母の解釈やペースが時に大きく予想外なのは、慣れっこといえば慣れっこだった。国道に入ったところで祖父が聞いた。

「それでどうした、ばあちゃんも心配しとったぞ」

「ああうん…爪が変形して治らなくて、病院でも分からないって言われたから――」

「木の指がか、ああこりゃ酷いの」

 親指のカットバンを剥ぐと祖父は爪の歪みように驚いたが、母と同じく詮索する方ではないのでそれ以上は聞かれず、後は近況報告で今年の担任はこんなだと恭が話せば、祖父からは、祖母が新しい市民講座に行き始めた、などと会話がポツリポツリ続き、途切れたところで恭は助手席の窓に顔を向けた。

 市の中心部を離れた途端のひなびた光景は見馴れたものだが、普段こちら方面へ行くことは無く、通り過ぎる海沿い山沿いも多少雰囲気が違っていて面白い。なぜか車限定で、ゲームやスマホを弄ると酔うし目を悪くするからと、家の大人は揃っていい顔をしないので、そのまま外をぼんやり眺め、暫く経って幾つか小さな町の中心地と思われるところを通過した辺りで恭は思い出し尋ねた。

「――じいちゃんのお兄さん、俺が小学の頃倒れたんだよね?あれからずっと具合悪いの」

「いや一旦の、」

 回復に向かっていたが、再び倒れてから認知症の症状が出るなどし、今はほぼ自宅で寝たきりだといい、祖父の口振りではやはり意思の疎通は難しそうだった。

「もうすぐぞ」

 祖父が言ってから、やや間があってカーナビが到着を告げたのは、通ってきた町と似たり寄ったりの静かな地区にある、昔ながらといった感じの家だった。



「写真は見てたけど会うのは初めてね。顔の輪郭がお祖父ちゃんの若い頃そっくり、よく来てくれたわねえ」

 今日は少し足が痛むようだからと、代わりに応対に出た家族の人に通された部屋に入ると、エアコンと加湿器の静かな音に、いだことのあるような無いような独特の匂いが鼻を掠めた。八十代半ばで祖母より二回りくらいしぼんで見える奥さんが、ベッドの脇に立って迎えてくれた。外見そとみに反して洋風な室内に恭が驚いていると、「ここと水回りだけリフォームしたのよ」とニコニコしながら教えてくれる。おっとりと優し気な奥さんに祖父と一緒に挨拶し、続けて「兄さん調子はどうですか」という祖父の視線を追って、恭は漸くその人に目を向けることが出来た。

 頭が上がる程度に起こされたベッドの上の老人は、奥さんのように小さくはなかったが、少しよれた浴衣の衿口えりくちからのぞく骨ばった身体は、うっかり触れると折れてしまいそうだ。でも顔は頬骨の辺りが艶っとしてもいる。辛うじていていると分かる目に、どことなくゆるんだ口元が放心しているようにも見え、あらかじめ認知症だと聞いていても戸惑いを隠せない。そもそも寝たきりの人と会うのも初めてで接し方が分からなかった。聞いておけばよかったと、今頃になって狼狽え風な恭を気にする様子もなく奥さんはベッドの方を向いた。

「横になってばかりだからすっかり痩せ細っちゃって、あなた、末人さんとお孫さんの恭君が来てくださったわよ」祖父も奥さんの反対側に回ると耳元に顔を寄せ、「兄さん俺の孫の恭よ」などと喋りだす――と、祖父の一方的な喋りに呼応する様に、僅かにまぶたがヒクついた。

(動いた――)不謹慎にもつい口走りそうになった恭だったが、全く反応が無いわけではないと分かったことで勇気を得て、近寄ると、祖父を真似なるべくはっきりした口調でもって「初めまして、加田末人まつとの孫の恭です」と挨拶した。頭を下げ、上げると老人と目が合った気がした。

「分かりましたか、お父さん」

「大きなったろ」

 奥さんと祖父が口々に言うが、これには反応が無い。と思ったのに、

「分かったみたい。末人さんて言うと割と分かるのよ、ずっと気に掛けてきたからかしらね」

「兄さん、ありがとう」

(マジかよ――…)

 そうこうするうちに祖父は折角だから墓参ぼさんにと言って去り、手持ち無沙汰のままの恭がひとり居残った。



「こっちへどうぞ」

 奥さんが座るベッド脇の椅子のもう一方を促され座ると、「まあ本当にねえ…」と目線の近くなった恭を改めて、感慨深げに見つめて奥さんは言った。何が『本当に』かは不明だが嫌な感じはしない。思いつつも恭は知らず身構えた。髪も肌色も平均的で、今でこそ言われてみれば何となく、といった反応に落ち着いたが、幼い頃は父方の血が強めで、通りすがりに振り返られ、顔を覗き込まれたりといったことがままあった。母との外出時に不躾な言動と露骨な視線に遭って、全身がギュッと縮こまった感覚と、母への申し訳なさとを未だに鮮明に覚えている。

「あら?目元はやっぱり有陽ゆうやちゃん似かしらね、赤ちゃんの頃から美人さんでねえ、うちの子ときたら――」

 続く言葉はごく平凡な感想で、恭はそっと力みを解いた。それからすぐ話に入るかと思いきや祖父に代わって今度はしばし、恭が奥さんの世間話に付き合うことになった。

 戦後のすぐ遠路はるばるお嫁に来て、言葉や習慣に戸惑うことが随分あったといった昔話から、恭の学校生活や普段の生活なども問われて話すと、祖父母のように楽し気に聞いてくれ緊張が和らいだ。話し相手が欲しかったのかもしれない。でもそろそろ本題に入りたい、という気持ちが伝わったのか、不意に聞かれた。

「それでね、集落のわざの話をしてやって貰えないかって、末人さんに頼まれたのだけど」

「――はい。」

 技が力のことだと解るのに間があって、返事が遅れた。

「どういったことを知りたいのかしら」

「昔、力――技を持った人達の講があったという話を聞いたのですが、そこでどんな話をしていたか、もしご存知のことがあれば教えていただけないでしょうか」

「講?…寄り合いのことかしら」

「どんな力の持ち主がいて、どんな風に使うとか情報交換する場があったと」

「ああ、それならそうね」

「何でもいいんです。分かることがあれば、自分――」

 上手く言おうとした緊張で息継ぎが大きくなり、変なとこで文脈が切れた。続けて爪のことを話すつもりだったのが、先に奥さんが喋った。

「主人の技のことは聞いてる?」

「…祖父が、抜いた歯が発光したのを見たことがあると言っていました」


 子どもの頃ある日突然、家に親戚だという初めて見る青年とその妹がやって来た。一人っ子だった祖父と沢山遊んでくれ、すっかり懐いた祖父は泊まってってと駄々をこね、その夜に3人一緒で枕を並べることになったのだが、寝る前に手品だよと言って、布団に座った青年が口からいきなり歯を1本抜いた。びっくりしている祖父の前で放り上げたその歯が、裸電球のともしびの下、不思議な色で光を放った―――長じてから祖父は自身が7人兄弟の末っ子で、生後すぐ加田家へ養子に出されたこと、あの親戚2人が実は兄と姉だったことを知った。その゛手品゛を見せてくれたのが一番上の兄、今ベッドの上に寝ている人なのだ。


「1人だけ他所よそへやられたからずっと不憫ふびんに思っていて、いきなり会いに行ったんだって、うちの人言ってたわ」

 奥さんと似たようなことは恭も聞いていた。祖父の養父母は子どもがおらず、家も貧しかったため生活には苦労したそうだ。生家(本家)や他の兄弟との交流は養父母の手前、2人が亡くなってからで、手品の正体もこの頃知った。そんな事情があってか恭自身、祖父の兄姉らでこれまで会ったのは1人か2人な筈だ。

 ―――園児だった恭の爪の伸び方で病院へと言う母を止め、長兄に相談したのは歯を見ていてもしやと思ったからだというのも何度も聞いた。それも話すと奥さんは覚えていた。

「孫の爪の伸びが少し不自然なように思えるからって言ってらしてね、その時は大きくなったら自然とおさまることもあるから、様子を見るようにと主人が言ったらしいんだけど、そうだったわね?」

 奥さんが夫に聞くと、目だけが頷いたように見えた。

「俺も祖父から聞きました。でもそのままで、小4の時どんな力か分かったんですが、お兄さんが倒れられて話せなかったと――」

「まあ、そうなの、ちょうど主人が倒れた頃……ごめんなさいね、主人だったら色々教えてあげられたんでしょうけど、家族にも口が重くて――だからよくは知らないんだけど…講、主人は゛寄り合い゛と言ったけど、私が嫁いだ頃はもう人が減って、形ばかり集まって食事するだけだったみたい、でも一昔ひとむかし前はあなたが言うように、技持同士であれこれやり取りして――」

 恭は思わずベッドの上の老人を見た。まさか当事者に会えるとは思わなかった。それ以上に――

「あるんですか今も」

 自身が力を持ちながら、恭がこれまで特に他の能力者の存在を想像することをしなかったのは、ひとえに己の殆ど無意味な力と話に聞くだけの祖父の兄、無人になった集落などもはや途絶えつつあるもの、というイメージしか持てなかったからだが、今も講が続いているとなれば話は別だ。

「ああいいえ、とうに無いのよ、そうね私がお嫁に来て5年、10年はあったと思うけど――…いつだかの寄り合いの後うちの人が、今日限りで解散だと言ったから確かよ、もう加わる人もいないからって、後には寄り合い仲間ももういないとも――」

「そうですか……」

 ついがっかりした声になった恭に、奥さんはでもねと言い添えた。

「こうして恭君の年頃の子もいるのなら、どこかでポツリポツリは技を受け継いでる人がいるかもと思ったわ」

「そういえば、戦争を境に技を持つ人達が急に減ったと聞いたんですけど――」

 何の気なしだったのだが、心なしか奥さんの顔が曇った。

「お祖父ちゃん、理由わけはお話になった?」

 抑えた口調に匡直の含みのある言葉が頭をよぎる。

「えっと……なぜとかは全然…戦死とかかと――」

「そう…」

 奥さんは片頬に手を当て思案する風だったが、「そうね、昔のことだし」と目を瞑り頷いて、こちらを見た。 

「噂話だから、あまり本気にしないでね」

 と前置きされたその出来事は、終戦間際に起こった。

 技のことを聞きつけたらしい、どこかの部隊の兵士らが深夜突然、本土決戦に備えるためだと言って技を持つ者老人子供問わず、集落外に住む者は案内させてまで1人1人集めて連れ去った。戦後帰ってきたのは1人きりで、その話によれば船で移動途中に魚雷を受け、他全員亡くなったという。


「昔ご近所に、まだほんの幼い子を連れ去られてっていうお母さんがおられたけど、ちょっと気の毒な様子で――…嫌だこんな話しなくていいわね。そう、それでね姑が言うには自分が小さい頃は、村の中なら子供は外でも技で遊ぶくらいだったけど、以降は人が減っただけじゃなしに、皆技の話題も避けるようになったのですって――」

『きな臭い』と言った匡直はおそらく、こうした能力者の戦争利用を想像したのに違いない。その後運よく難を逃れたり、奥さんの夫――祖父の長兄のように、戦地から生還した数人でひっそりと寄り合いが続けられたものの、新たに加わる者がおらず消滅したのにこんな理由があったのなら、納得も出来る。一方で恭にしてみれば本気以前、むしろ荒唐無稽にすら聞こえたのだが、重い話には変わりなく、どう返せばいいか分からずにいると、奥さんが場の空気を追い払うように両手を軽く打ち合わせた。

「そうそう寄り合いよね、すっかりれてしまって――あら、お父さん歯が気になりますか」

 見ると祖父の兄が、棒きれみたく節くれ立った己の指を口に入れ、もごもごと右手人差し指で左奥辺りをしきりと掻いている。

「1本だけ残ってるの」

「1本?」

「総入れ歯を細工してね」

「はあ…」

 いつものことなのか、どうともせず見守っていた奥さんが、夫が人差し指と一緒に親指も入れ直すのを見て驚いた。

「取るんですか、見せてあげるの?そうなのね」

 あ、と恭も理由を察し息を呑む。

 声を掛けながら奥さんが頭に手を添えると、口の中の指にグッと力がこもるのが分かった。ややあって戻された指先に、老齢には到底不釣り合いな、乳白色の瑞々しい歯がつままれていた。恭と奥さんが注視する中、腕を身体のそこだけまだ充分に力がみなぎっているかのようにつと伸ばし、歯を布団の上にポトンと落とした―――刹那それは、れ時でも陽ざしのたっぷり入る室内で、何色とも言い難い光を束の間強く主張し、また唐突に光を失ったあとは欠片一つ残っていなかった。

(これ見たことが――)

 気づいて鳥肌が立った。縁が薄くとも血の繋がりは存在し、また自分も集落に属する者であるかのような錯覚でもって、恭は半ば呆然と話した。

「俺知っていますこの光――俺は、指の爪を使って、単純なことしか出来ないけど木を操れるんです。いつかは思い出せないけど、その時に――」

 驚いた顔の恭から、また夫の方へと目を遣って、奥さんは「まあ…」と微かに呟いた。

「うちの人はこんな風に歯を抜いて、光を作ることが出来るの。抜いた部分はまた生えてくるのよ、不思議ね」

 血縁だからなのか、他でもそうなのかは分からないが、使うと消えるところも爪と似ている。

「どう使うんですか、その光」

「光らせ方を加減して、この強さならこれが出来る、というのが幾つかあるそうなの。あ、さっきの明りくらいはどうともないから安心して」

「…人に対するものなんですね」

「そうとも限らないみたい、上の子が小っちゃな頃猿に襲われかけたことがあってね、主人が光を浴びせたらその猿、急によろけて倒れてしまったの。後で聞いたら脱力させたんだって、そういえば頼まれて害虫駆除なんてこともね、対象は光の質で変えるんだって言ってたかしら」

「凄い」

 恭は素直に感嘆した。爪の方が驚きは大きいが、使いこなせ役立てていることが心底羨ましい。

「それに便利ですね、俺そんな器用なこと出来ないし」

 奥さんも「そうね」と応じつつ、なぜか困ったような表情も浮かべた。

「だけど良いことばかりでもなかったみたい。一度使い方を誤って、戦友を大変な目に遭わせてしまったんだって言ったことがあるのよ」




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