第12話

 自分の部屋はあるが恭は匡直を居間に上げた。狭いし押し入れも無いのでくつろげるスペースがないのだ。以前そこに考えが及ばず招き入れた片町が、部屋に入るなりイスの脚ですねを強打している。

 自室からテグスにつないだ彫爪だけ取って戻り座卓に置くと、匡直はそれを指に引っ掛け、まじまじと目の前で揺らし見た。

「――やはり完全には霧散しなかったか」

「―――」

 間に深い沈黙が落ちたようで、単に恭1人が絶句していただけだった。

「…お前いまやはりとか言ったか?」

「岸崎の体にはまだ少し爪片がある。ならば彫爪も残る可能性は導き出されてしかるべきだ」

「どういうことだ!?てか何で黙ってたんだよ」

「落ち着けよ。常態に戻ってたんだ、喋れるわけない」

 気色ばんだ恭に自称免疫はこうぬかし、経緯を説明しだした。

「――あの時、彫爪が切れてすぐ爪片も体から放出を始めた。が暫くするとなぜか止まって一部が残ったままになった。ただ活動自体も停止し、特に害は無かったから俺も消えてた」

「…ちょっと判断雑じゃないか?」

 あの危険な代物に放置対応はアリなのか。 

「こっちは忙しいんだ、取り敢えず無害なもんにかまってられるか」

「へえ…」

 納得していいものか迷うが、ともあれ彫爪同様、爪片の一部もまた残っていた。

「そっちこそ、岸崎に事情をなぜ黙ってた」

「それは――」

 立てた仮説を恭が話すと、匡直は成程なと頷きつつも渋い顔になった。

「巻き込まないためは良いとして、なら尚更話しておくべきだったかもな――今更だが」

 そうなのだ、理由を話しておけば岸崎がここに来ることはなかった。ただ疑問もある。

「なんで岸崎、うちに来たんだ?」

「お前今日ずっとこっちを気にしてたろう、昨晩は妙な質問をしてきたし――放課後ワケを聞こうとしたらもう帰った後だったから、岸崎は他の誘いを断り家まで行くことにした」

 自分のせいじゃないかと恭は顔を覆ってうなる。

「マジか…俺そんな見てた?」

 わざわざ寄ろうとする程あからさまだったかと漏らすと、匡直はそうではないと否定した。

「昨日の話に引っ掛かっていたと言ったろ、だから気づいた、それまでだ。――さて、どのみちこうなったからには対処する他ないが、その前に」

「試した。俺と彫爪もバッチリ繋がってる。傷ひとつ付かないし意識遠退とおのきかける手強さだ」

 重々しく述べ、一番切れ味鋭いのを選んだと教えたのに、匡直の返答は正気でなかった。

「それも変わらずか――いや待てよ、燃やしたり溶かしてみたら――」

 滲み出る混沌とした何かを恭に感じ取ったものか、匡直は気まずげに話を穏便な方向へすり替えた。

「…まあ却って欠片が増えたとか事態が悪化しても困る。まずは普通に爪崩しが妥当か」

「そういや身体能力の方は?」

「変化の感覚がある。いけるだろ、゛命令゛はどうだ、少しは偶然に頼らずやれそうか」

「うーん…色々振り返ってはみたけど、再現出来る手応えも感覚もゼロってゆーか」

 とにかく必死だったくらいで、何より恭自身命じたとも思っていない。

「そもそも俺の命令って2度とも人を助けてくれだろ?あんな力さえあれば誰だって行動起こすシチュエーションだと思うんだよ」

 後になるにつれ引っ掛かっていた。

「つまりは、本当に自分の意思が強制に繋がっていたかということか、今頃聞くかそれ――」

 意味を問い返した匡直は長々と嘆息した。

「最初はともかく、あのクソガキの方は間に合うか危ういとこで、しくじれば岸崎の身体やメンタルに多大な傷を負わせかねなかった。だからもし、あの時お前が放っとけと言ったなら、俺はそうした。分かるか?」

 匡直にとっては道義より岸崎の守り、恭の意向優先で、且つあの場では恭の強制力が勝ったから、自分は行動を起こしたのだということか。

「それに爪が大きく崩れたのは、決まってお前の感情が大きく動いた後だった。つまりはあの2度だ」

「確かに――」

 散々興じたシューティングゲームでも変化の見えなかった爪の、一部が崩れたと気づいたのは、あの中学生を助けた翌朝だった。

「――そうだった、ゴメン」

「分かればいい。それから再現する努力くらいはしろ、本来それ(命令)が一番効率良い方法なんだからな」

 弁解の余地もなく、匡直といるとつい思考や行動をゆだねがちになるとも自省する。

「よし、ならさっさと始めるぞ」

「うん。いや待って、それだけど――」

 座卓に載せたスマホが鳴りだしたのは、ある意味グッドタイミングだった。

「――悪い、じいちゃんだ取らないと」

 恭は急いで通話を押した。


「じいちゃん?」

 呼び掛けると『恭か』と返ってくる。今朝何気なく思いついたことがあって、祖父に『力のことで聞きたいことがあるけど誰か詳しい人知らない?出来るだけ早い方がいいんだけど』とメールを送っていた。ただ日頃の、ガラケーなうえ固定電話と大差ない扱いを思い出して、やっぱり気づいてないかとそろそろ危惧していたのだが、ちゃんと見てくれていた。

『学校は終わったのか』と問われもう帰ったと答えると、そんならのと祖父は言った。

『本家の兄さんの奥さんがな、少しなら話してあげられるそうだ』

「ホント!?本家のって、じいちゃんの一番上のお兄さんとこだよね――」

 歯に力を持つという人だ。が幸先よさげだと思ったのも束の間、予想外の展開に恭は慌てる羽目になった。

『今日でもいいと言うから今から連れてってやろう』

「へ?」

『早い方がいいんだろう、どうせ近々行く予定だったから心配せんでいい』

「今からって…行くの!?遠いんじゃないの、俺別に電話とかで全然――」

 自分としてはSNS系は無理でも電話で話が聞ければ十分で、わざわざ行くとは考えもしなかったのだが、祖父は『なに、遠いといっても2時間かからん。それに向こうは九十近いから電話じゃ疲れる、じゃあ出るから切るぞ』

「待ってじいちゃ――」

 恭を遮って用件を済ますと、さっさと通話を終了してしまった。



「何の話だ」

 関係あると察した様で、匡直が口を挟んだ。 

「実はじいちゃんにさ、誰か力に詳しい人に話し聞けないかって、頼んでて」

「――お前の祖父の里がゆかりだと言ってたな、それで?」

「うん。じいちゃんの兄さんで、歯に力があるって人のこと言ったよな、その奥さんに話を聞けることになった」  

 本人は倒れて以降、ずっと会話が難しいままなようなのだ。

「けどこれから行って来なきゃいけなくなって――」

 やり取りをぼやくと、匡直は意外にも祖父の肩を持って恭をたしなめた。

「電話だと同じ姿勢が続いて辛いし高齢であれば耳も遠い。そもそも内容が内容なんだ、こちらから出向かないでどうする、礼儀だろう」

「匡直齢いくつ…」

「は?」

 言われてみると納得だが、コンビニでお金の払い方も不明だったのが、その分別はどっから湧いた。――岸崎か、施設でボランティアをしたと言っていたからその時の、にしても匡直が言うと妙な説得力だ。

「文句でもあるのか」

 片眉を上げた匡直に無い無いと、恭は慌てて話の接ぎ穂を手繰り寄せた。

「じゃなくて――そう、話を聞くって言っても爪のことで直接何か聞けるって保証はないから、講のことを聞いてみるつもりで――」

「互助組織のことか」

 祖父の生まれた集落では能力者らの組合が存在し、会合は情報交換の場でもあった。会での内容を漏らせば制裁があったというが、人の口に戸は立てられぬで、全ての人が黙り通せるとは限らないと思うのだ。

「例えば自分の家族、それに集落自体はもう無人だけど、そこの家、近くには住んでるから元の住民とも割と繋がりあるみたいで、別ルートも期待できるかも」

 山中さんちゅうにあった集落は御多分にもれず早くから過疎地で、少子高齢化も進み住人の大半が高齢になると、入院や施設入所などでも目減りして、祖父の兄家族も諸々で本家を空けふもとに移った。ただ代々の田畑も墓もあり残った人らとの付き合いはそれなりに続き、今は散り散りになったとはいえ、同様の近場者ならどこかしらから消息は入ってくるそうだ――…などという話を、恭は法事帰りに家に寄った祖父がくれた、折詰の飯にありつきながら聞いていたので覚えていた。

「爪のことでなくとも何かヒントを得られる可能性はあるし、別ルートも、頼るには時間的に微妙だろうが、伝手でも得られれば儲けもの、お前にしては考えたな」

 あのな、と思いつつ時間云々で電話で中途になったことを思い出した。

「あのさ、彫爪のことだけど、運良くって言うのも変だけど切れてるし、学校の間はうちに置いとけばいいんじゃないか?」


「――」

 匡直が無表情に黙ったままなので、恭は続けることにした。

「ほら、今日学校じゃ匡直現れなかったろ、多分俺と彫爪、岸崎に別れた3つが近くに揃わないと力は機能しないんだよ。それにさ岸崎は体、どうもないんだよな?俺も何ともなくて――」

 あの日から今日まで軽く1週間は経つのにだ。やっと口を開いた匡直が先回りして言った。

「――爪片同様繋がってはいたが活動停止していたからか、若しくは力を使わなかったからか、――…或い」

「だよな?で、これも仮説なんだけど、もし3つ揃ったことが再活動を誘発したんなら、その逆も有りかもって思わない?」

「どれか1つでも距離があれば、力でなく爪そのものが停止するということか」

「だとすれば岸崎のダメージ的にも、きっと時間的にもメリットは大きいよな」

 爪が活動したままだと早晩体の方が参ってしまうが、その影響をコントロール出来れば生まれる余裕は大きい。

「……そう都合よく行くかはともかく案はいい」

「だろ」

「学校でをフォローする必要もないしな、生憎俺自身、出る出ないは決められない身だ」

 匡直の方はあれで嫌味たらしく言ったわけではなかったが、逆に恭は返答に窮す。あくまでそれは結果論だ。なのだがしかし、学校で匡直をフォローしきる自信は正直なく、ましてや匡直に岸崎のフリが務まるとは到底思えないのもまた事実であった。こちらの後ろめたさを知ってか知らずか、匡直はバッグを手元に引いて立ち上がった。

「今からだと帰りは夜か、戻ったら連絡を寄こせ、岸崎にはそれまでに爪崩しの算段をさせておく」

「させとくって…」

 記憶を弄るかしてそう仕向けるということか――しれっと言う辺りが相当におっかない。

(つーか記憶って脳の分野だよな?何で免疫仕切ってんだ?)

「――あ、」

「どうした」

「俺岸崎に話したんだ、匡直のことも全部」

 知ってたようで、匡直は何だそんなことかという顔をする。

「やっぱ実感ゼロだって言われたけど、頭から否定はなかった」

「多少の同居の記憶はあるからな」

「分かってる。だからこそ、前にも言ったけど記憶、変える必要ないんじゃないか?前は分からないだらけの中で最善を取ったから、っていうのが理由だろ、でも今度はある程度のことは分かってるし、岸崎も少なくとも何があったかは知ってる。それなら変に記憶弄られるより、聞いて納得出来た方がいいんじゃないか」

 たとえ弄るのが己自身でも、きっと気持ちのいいものではない。しかし匡直は首を振った。

「駄目だ。というより岸崎に成り代わって俺がいる以上、どうあっても記憶は変わるし置き換えられる。要は依然これが最善と判断されているということだ。それから今回岸崎には何も話すな、彫爪のことも、俺のことも一切」

「え、なんでだよ」

「幸い岸崎は疑ってるだけで何も知らない。このまま何も無かったことにして操作する方が楽だし、身心への負担も減る。岸崎にとってどちらが良いかは自明だ」

 驚く恭に淡々と返された説明を、本当にそうなのかと思ったものの、上手く反論出来ぬまま、

「爪片が全て排除された後でなら、話すのも黙るのもそっちの自由だ」

 という言葉に恭は渋々同意した。

「わかった」と頷くと「いいな」と念押しされ、更に「岸崎には話さない」「絶対に」と恭に三度誓わせて、匡直も漸く頷いた。




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