第11話

 木陰に入ると無意識に文字を探す癖がある。

 地面に落ちる枝葉の陰影や、木々の間から届く光が相俟あいまって作られるそれらの模様から、1文字でも、意味をなさなくてもいい、とにかく文字を見つけるのだ。ただ、例えば空に浮かぶ雲から、物の形を見い出すより遥かに難しく、今までに一度だけ、それっぽいのを見つけたことがあるきりだ。

(あの国ではね、こうやって木陰の下で字の形を探すんだって、もし見つけられたら――)

 過去に意識が遡りかけたところへ、スマホが振動して我に返った。

 周囲より幾らか小高い高校へと続く坂道だ。

 校門まで立木が途切れ途切れにある。種類もバラバラで並木というほどもないが、ちょうど通り掛かっていたこの木は、下向きに花が咲くから、時期になったら見上げて歩く、――ながらスマホは禁止だが、素早く確認すると『ざんねん!』というスタンプに続けて、クラス分けの貼出しを撮ったのが送られてきた。

「あークラス別かよ」

 2年間同クラスだった友人と別れてしまった。こっちも残念スタンプを返そうと思いつつ、貼出しを見た恭は、自分の名前の隣に『岸崎匡直』とあって足が止まった。

「岸崎!」

 後ろにいた生徒がおっと、という風に避けていく。



 昇降口前に貼られた表で再度確かめた恭は、下足箱で岸崎の靴を認めた。昨晩決めた通り彫爪は家に置いてあり、自分の仮説が合っていれば教室にいるのは岸崎だ。でももし――、

「場所見つかんね?名前なに」

 横に来た男子生徒が恭を覗き込んだ。靴を持ったまま突っ立っていたため、自分の下足箱が見当たらず困っていると思われたようだ。つい考え込んでいただけにしろ邪魔だったと、靴を入れ相手に詫びる。

「ゴメン、ちょっとボーッとしてただけ――」

「加田?」

 相手は下足箱のネームプレートを見て、恭を見返した。

「そうだけど」

 同学年は分かるが、どこかで接点があっただろうか。

「あ、俺も1組で素平もとひらな、よろしく。ところでさ、ちょい前、家の人で誰か新聞載ったりした?就活女子大生からの質問に答える的なコーナーで」

「あ、いや…」

 母のことだ。今頃このネタが来るとは思わず、つい声が上擦った。

「マジビンゴ⁉あれお姉さん?」

「――は?」

 恭の声が急に低まって、素平は慌てて言い足した。

「いや家族のとこに高校生の゛息子゛ってあったけど、スゲー若いし、弟の間違いじゃねって話になってさ」

 母の年齢は書いてあったと思うのだが…やっぱり若作りし過ぎだろ…恭は若干渋面になる。割とくだけた印象の、親切で話好きらしい素平によれば、大学生の姉が送った質問が採用され、母が回答者だった。

「『あんたの学校に加田君ている?』って聞かれてさ」

 個人的に連絡を取りたいという。

「そういや同級に1人いるじゃんて思い出して、LINEで聞いてみたけど、連絡先まで知ってる奴いなくて」

 まあ学校が始まってから、直接聞けばいいやと思っていたら、早々に会えたというわけだ。

「加田のお母さんの回答見て、大企業狙いだけど、県内の中小企業もアリかもって言って」

「それは聞いたら喜ぶと思う」

「マジ?でさ、なんか色々アドバイス的なものが欲しいらしいんだよね」

「どうだろ、最近忙しいみたいだし、一応聞いてみる」

「助かる。頼むわ」

 余談だが、母が載ったのは地方紙なせいか、今日まで誰からも無反応だった。正直寂しい気もしたが、話題にされるよりは良かったかと安堵していた。しかし、恭が通った小中の親経由とか、局地的に広まっていたのはその後、幾人かから話し掛けられたり、又聞きで知った。

「あ、話変わっけど、教室の場所見た?俺忘れて」

「いや俺も、1組どこだ?」

 3階に上がってから、喋りつつ目でクラスの標示プレートを追っているのだが、いくら歩いても辿り着かない。

「…嫌な予感しかなくね」

「だよな」

 2人してちょうど中間にある、空き教室を使った更衣室の位置から目線を移す。

 本年度から、校舎片側に空き教室を寄せていたのをやめ、一部教室の、廊下に面する壁を取り払った開放スペースを設けるなどし、校舎全体をゆったり使おうというコンセプトになった。恭ら新3年生も、学期末に机や椅子などの移動をおこなったのだが、1クラスだけ1、2年の昇降口側の階段と、開放スペースが間に挟まれて、離れ小島のようになっていた。

 更衣室の隣は2組で、残る教室は突き当りのそこしかない。

「あれっきゃねーし」

「だよな…」

 校舎の端から端へだ。素平とせめて1、2年の昇降口を使わせて欲しいと言い合いながら進んでいくと、教室に入ろうとしていた生徒が1人、立ち止まってこちらを向いた。

「加田!」

「岸崎――、」

「あ、岸崎じゃん、名前気づかなかったぜ」

「素平か、委員以来だよな、2人友だち?」

「下足箱んとこで知り合った」

(よかったこれはだ)

 匡直なら即座に連行、詰問場面だ。もしだとしても、あの匡直にここまで自然な振る舞いが可能かは、怪しいところだ――。



 高校最終学年担任は、中堅の、なぜか担当クラスでインフルに罹患する生徒が少ないという、3年にとっては有りがたい人だった。1限からのHRで自己紹介や委員決めをし、多数決で席も名前順から変えたため、途中から岸崎とは離れ、恭は前から4列目になった。仮説は当たっていたが、挨拶に見せて肩を軽く叩いても、岸崎に木のように感じる爪片の有無は分からなかった。何か雰囲気から伝わるものはないだろうか、とも思ったが、席が岸崎より前では様子もうかがにくい。その分休憩中、岸崎らと盛り上がったりする内、恭は全く別のことに気づいた。

 会話も上手く、盛り上げ上手な岸崎だが、話題の゛中心゛はどことなくける感じがしたのだ。白師ぱくしに言わせれば、もう少し前に出ることを覚えるべきらしい、恭のレンズを通した勘違いかもしれないが――。

 そんな感想を思いながら恭は、始業・着任式が終わった体育館から、ゾロゾロと各教室に戻る生徒らに紛れ大欠伸した。昨夜はあれこれ考えたりで寝不足だった。紛れついでにとスマホを出す。自分以外にも、スマホを弄る生徒はちらほら見られる。校内の使用は原則、昼休みと放課後以外禁止だが、毎年半年ぐらいで形骸化してゆき、口頭注意が続いた後、見直しが話し合われたりするものの、定着しなかったり逆に悪化したりで、結局入学してから大してルールは変わらない。いま時期はルールがゆるみ、浸透もしてない頃で、どうせ明日の集会で言われるから良しとする。

 メールの返信はまだなかった。


 次の4限を終えると、時計を睨んで終礼が終わるのを待ち、恭は同様な生徒に混じって教室を出た。

 午後からは入学式で、大半の生徒は下校するが、日中はバスの本数が少なく逃せば困る。すし詰めでどうにか乗れ、半分くらいに人が減ったところで、最寄りバス停に、他校生や一般の乗客数人と降りた。去年は3年生が1人、同じバス停だったが今年はどうだろう。 

(――そういや岸崎も路線同じな筈だけど)

 記憶にある限り殆ど会わない。だから気にも留めなかったが、もう一本の路線か、休み中会った時自転車だったから、学校から徒歩で駅まで行き、最寄りから自転車なのか、どっちにしろ遠回りで時間が掛かる。彼女でもいるのかもしれない。


 家に戻り真っ先に彫爪を確かめたが、期待するような変化は何一つなかった。

「とりまー昼だな」

 何はともあれ昼飯だ、高校生は腹が減る。

 袋ラーメンと皿に残った朝のサンドイッチを空け、バナナの2本目を迷っていると、玄関のチャイムが鳴った。止めとくか――、チャイムを制止と見なして廊下に出た恭は、擦りガラス越しに黒の学生服っぽい姿を認めて首を傾げた。ここらで詰襟はうちの高校と中学くらいだが、約束などに心当たりはない。どことなく見覚えある体つきだとも感じつつ、「はい」と機械的に応じ玄関の戸を開いた。

「あれ岸崎」

「よッ!突然ゴメンな、連絡しようと思ったんだけど、列車来て――…」

 やはりJR、自転車派らしい。

「いや全然だけど、岸――」

 以前スマホ越しだった時は唐突で、だから急に表裏をひっくり返すようなものかと思っていたが、変化は、緩やかな波のある水面が、水底から僅かに引く力でふと静まる、そんな様で起きた。

 岸崎が一度、静かにゆっくりと呼吸するそのかんに、さっぱりとした明るさをはじめ、人好きする気性を相当排除させた結果の顔を持った人物は、開口するなりかなりの険を含んでこう言った。

「これがどういうことか――」

「匡直!!」

 が、匡直のドスを聞き流し、恭は両腕を広げた。

「………」

 沈黙が雄弁に指し示す、冷気と怒気の冴え冴えとした混在が懐かしい。

「いやでも、もう会えないと思ってたし――マズい状況なのは分かってるって」

 これで爪片も残存してると証明された。喜べる再会ではない。それでも人ひとり忽然と消えてしまったに等しい感覚は容易に去らず、多少落ち込んでいたのだ。今くらい喜ばせて欲しい。

「――元気そうで結構だ」

「なんだそれ年寄かよ」

「…上がるからな」

 つい軽口を叩く恭に、意外にも匡直は怒らず、代わりに反応もしなかった。







 

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