流体力学をやりたい (X+10年7月)

「大城先生、わたしは、授業をしっかりやって、研究のほうは長期的にやることを準備していれば、当面の成果は出さなくても しかられない、っておっしゃっていましたよね。に受けていいでしょうか。」

「ふつうはそうはいかないんだけどね。島村さんの場合は、子育てをしながら働く女性のロールモデルでもあるから、採用の際の条件として、教授会で認めてもらったんだよ。」

「わたしだけの特権では申しわけないのですが、あとに続く人もそうできるようにすることをめざした試みなのですね。」

「そうだよ。5年めぐらいからは研究成果も出してほしいんだけどね。」

「そういう条件を与えてくださったのでしたら、物理の中の専門を変えて、勉強しながら、長期的にやることの準備をしたいんです。」

「何をやりたいの?」

「流体力学です。きっかけはいくつもあります。

ここはおもに中学の理科の教員を養成するところだから、中学でもできて生徒に理科に関心をもってもらえる実験のたねをいろいろ用意したいと思うんです。流体は、物理だけじゃなくて、化学にも生物にも地学にも出てきます。血管の血の流れと、気象では、粘性のききかたがちがうから、簡単には一括して扱えませんけれど。

物理の授業では、電磁気のイメージをもってもらうのがたいへんなんですが、科学史を見ると、電磁気の概念をつくった人たちは流体力学のイメージで考えていたんですね。そういう意味でも、ここの授業に、流体実験をもっととりいれたほうがいいんじゃないかと思うんです。

地学の、このあいだ退職された海洋学の先生が、これまで使っていた実験用の水槽を、後任の気象学の先生が使わないというので、かたづけをなさってるんです。ほしければあげるよと言われたんですが、全部は持ちきれないので、それぞれどういう実験に使ったか説明していただいて、選んでるんです。まず、回転水槽と、水面の波を起こす道具は、もらうことに決めました。

学校でできるデモ実験の例をつくるような、物理教育向けの研究成果は、確実に出せると思います。

物理学としての成果が出せるかどうかは、まだよくわかりません。物理学会の中で、流体力学は、つぶれはしないけれど、少人数です。そこの先生たちにきくと、層流から乱流に変わるとか、熱伝導から対流に変わるときの臨界点についてはよく研究されているけれど、乱流や対流が実際に始まったときにどんなことが起こるかは一般論がなくて、事例の詳しい観察が求められているのだそうです。ただ、事例の報告で成果にするには、ほこりも振動も風もおさえこんだ、精密な実験室が必要かもしれません。まずわりあいおおざっぱな実験室でやってみて、どこを精密にする必要があるかを明確にして、研究費をとれれば、できそうな気がするのですが。」

「島村さんのだんなさんの仕事は土木だったね。その関連の関心もあるのかな?」

「はい。夫が学生だったときおせわになった海岸工学や河川工学の先生と会うと、いつも流体力学の話になるんです。わたしのほうが教わることもありますが、物理学者はこういう問題を扱っていますか、と、たずねられることが多いです。答えられなくて困ってしまうことが多いんですが、教育学部の物理の教員になったからには、専門外の人が物理学者の仕事を知るための窓口の働きもしたほうがいいのかな、と感じています。」

「青木賞の論文のさきを進めてほしいと期待されているのではないのかな?」

「いくらかの時間をさいて、G先生のグループの共同研究を続けようと思っているんですが、役まわりは実験結果の解釈を考える人になります。実験自体は、ここで装置を組んでわたしがやるよりも、N大学にいる人たちにやってもらったほうがいいと思うんです。」

「それで、ここの実験室では流体実験をやりたいというわけだね。いろいろ可能性があっておもしろいと思うんだけど、あまりたくさんを一度には追えないだろう。まず半年、技術習得をかねて小さな実験をいくつかやってみて、そこでいったん立ち止まって軌道修正を考えたらどうかな。」

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