嫁? (X年6月)

日曜日。茂が家に岬をつれてくる。

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「島村ひとみ、看護婦[注1]です。茂が10歳のときから母ひとり、子ひとりなの。」

「それでは、学費のお金はお母さまおひとりで働いてたくわえられたものなのですね。 とても貴重なものですね。」

「それを、息子の代わりに、息子の嫁を大学にやるのに使ってください。」

「島村くん、いま「嫁」って言った? わたしと結婚するつもりなの? これまで、そんなこと言ってなかったじゃない。」

「わたしも、いまはじめて聞きましたよ。」

「あ、ごめんなさい。まちがえました。」

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「茂、あんたは岬さんにほれちゃったのね。若者にはありがちなことかな。

むずかしいと思うけれど、ここでは気持ちを切り分けないといけません。

一方に、岬さんと結婚したいとか、恋人になりたいという気持ちがあるよね。

もう一方に、人と人との助け合いとか、友人として助けたいという気持ちがあるよね。

一つめのほうが否定されても、つまり、たとえば、岬さんがあんたではなくほかの人と結婚するとか、独身をとおすとかいうことになっても、二つめの気持ちだけで、大学に行くお金を譲れるか。あとで、岬さんをうらんだり、うらやましがったりしないでいられるか。ちょっと落ち着いて考えてみなさい。

あんたが、結婚のこと抜きで、岬さんを助けたいという決意が固いならば、わたしも、そうしますよ。その場合、あんたは、学費を使わないだけではなくて、自分の生活費はかせがないといけないよ。

いま決断できるかな? なん日かかけて考えたほうがいいかな?」

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「あのー、わたし、島村くんが、いや、茂さんが、わたしのことを結婚あいてに考えてくれたのは、いま聞いたばかりで、驚いたけれど、とってもうれしいんです。

だからと言って、すぐ返事はできません。茂さんのことももっとよく知らないといけないし、自分のこともよく考えないといけない。

でも、考えてみた結果、まずいことがなかったら、早く結婚したいです。

高校を出てすぐ結婚というのは、いまの世の中では早すぎると思われるだろうけど、わたしには、家族がいないんですよ。これまでは、養育園が家族みたいなもので、不足は感じませんでした。でも、高校卒業とともに、養育園を出ないといけないんです。ほんとに、ひとりになるんです。そういうときに、家族になろうと言ってくれる人がいれば、とびつきたくなりますよ。

長い目で見てそれでいいか、慎重になる自分もいますけど。」

「家族がほしいなら、わたしが岬さんを養子にするというのはどうかしら。ケチな考えだけど、他人への贈与よりも身内の扶養のほうが税金の上で優遇されることもあるらしいしね。わたしの遺産の (もし遺産が残ればだけど) 茂のとりぶんが減るけれど、岬さんに行くのだから、茂は許してくれるよね。養子になって結婚もするということもありうるよ。婿養子っていうでしょう。嫁養子っていうのは聞かないけど、あってもいいよね。」

「ご好意ありがとうございます。やはり、しばらくおつきあいしてみないとわかりませんけれど、ひとつの可能性として、考えに入れさせてください。養子の制度、贈与や扶養の税金の制度、それぞれよくわかっている人が養育園にいますので、相談してみようと思います。」

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「茂、結婚のことは切り離して、岬さんを大学にやることに決めていいかな?」

「いいよ。」

「岬さんはすぐ志望校を決めて試験勉強しないといけないし、茂は就職活動をしないといけないね。早く担任の先生と話をしよう。わたしはあしたはずっと仕事だけれど、あさっての火曜日なら昼間の時間がとれる。茂、あした、先生が火曜日の何時ならば会ってくださるか聞いておいてね。」

「はーい。」

「大学に合格しなかった場合のことも考えておかないとね。予備校にやるお金はないし、岬さん自身の衣食と勉強にかかるお金はアルバイトでかせいでもらわないといけないけれど、うちに住めば住居費はかからないよ。それで1年がんばってみるか。それでだめなら本式に就職したほうがいいから、そっちもにらみながらね。」

「わたしのこと、もう養子にしたように考えてくださるのですね。」

「いや、茂のこととして考えていたことをそのまま言っただけですよ。」

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「岬さんの親代わりの施設の先生とも話をしないといけないね。」

「電話を貸していただけますか[注2]。」

「... ...」

「いまから1時間後でどうでしょう、ということですが、すぐ出かけることはできますか?」

「行きましょう。」


[1] 今のことばでは「看護師」。

[2] 携帯電話はまだ普及していない、しかし固定電話は家庭に普及していた時代のことだった。

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