バーンズ

第23話

 フィラデルフィアからフリーウェイで西へ向かうこと6時間。ペンシルベニア州の内陸の街、ピッツバーグからさらに山道を北西に2時間登ったところ。バーンズ保安官のオフィスは山間の小さな町にある。

 山岳地帯で保安官をやっていると都会の人間に言うと、知識のない者はおよそ山岳レンジャーのような牧歌的な仕事を連想するらしい。しかし、アパラチアの"ヒルビリー"同士の抗争を抑えこむのが仕事だと教えると今度はそんな危険な仕事をと顔を青くする。

 それはそれで過剰な反応だが人殺しの集団が相手である事は確かだ。

 都市伝説ならぬ"山岳伝説"と思われている節もあるが、ヒルビリーと呼ばれるスコティッシュアイルランド系移民は渡米以前の因習「クラン」(氏族)の派閥争いを現在も続けている。

 もはや諍いが起きた理由すら本人たちから失われて久しいだろう。

 それでも連中は復讐に継ぐ復讐を連綿と繰り返し、今もなお警察の介入を絶対的に拒んでいる。

 抗争で死者が出てもお互いに法的機関に訴え出ないため、被害者は存在しないということになっている。

 行方不明申請と、それが一定期間経ち、死亡認定がおりれば遺族による生活保護申請があるのみである。

 アパラチア山脈付近では石炭が出なくなってからというもの碌な仕事がなく、多くの住人は定期的に軍に入隊しては"ハンティング"の腕を上げて帰ってくる。

 ここで保安官に求められるのは非介入だ。

 とはいえ人死が出ているのを、曲がりなりにも聖書に平和と安全を宣誓した保安官が放って置くわけにはいかないとバーンズは考えている。

 既に他界したと思われる行方不明者について聞いて回るのが日課だ。

 関連クランに延々と質問をして廻るが返事はひとつも帰って来ない。

 それについてはもう慣れた。

 せめてこの連中が敵あるいは仲間の遺体を何処に投棄しているかが分かれば令状を取って司法解剖を行い殺人を立件できるのだが、皆目検討が付かない。

 谷の底か、沼の底か、きっと山の何処かに行方不明者の"集団墓地"がある筈なのだ。


 バーンズは鬱蒼と繁る深い森を見上げ溜息を吐き、舗装されていない林道に車を乗り入れた。

 とある小屋の前で車を停めると、バーンズは支給品のナイロンのジャケットのジッパーを上げSUVのパトロールカーから降りた。

 春だというのにこの辺りでは厚い上着と手袋がまだ手放せない。

 向かうのはこの辺りでも珍しいほどの襤褸屋である。バーンズはこの家に独りで住むジェシカという70歳を越える老婆が唯一の情報源になると踏んで、もう何年も世話を焼いている。

「おい、ジェス。生きてるか?」

 バーンズはドアを開けて声を掛ける。

 廊下の奥のリビングからは大音量のラジオの音が聞こえて来ている。

 返事を待たずに上がり込んでリビングを覗くと大量の猫に埋もれるようにソファに座る老婆の姿が目に入る。

 バーンズは勝手にラジオを消して老婆に声を掛ける。

「おい、ジェス。銀行に行くか?」

 老婆はバーンズを睨んで叫ぶように応える。

「なんだい支給日に来てくれなかったじゃないか。おかげで猫ちゃんたちは餓死しそうだったよ!」

「来れないって話はしておいただろう? じゃあ町まで乗せてくよ。さ、行こう」

 バーンズはこの老婆のもとを2週に1度、金曜に訪れているのだ。生活保護の支給日である。こないだの支給日は本庁への定期報告があった為、ここには来れなかった。

「ちゃんと来てくれなかったから餓死しそうだったんだからね!」

「缶詰はそこにまだあるじゃないか。そら行くよ」

「猫ちゃんたちじゃないよアタシの話だよ! 餓死するところだったんだからね?」

 バーンズはわざわざ前日の木曜にここに訪れて明日は来れないからと猫の餌と食料の差し入れしておいたのだ。

「あんなんじゃ足りないよ! フレディだって最近は来てくれないんだから!」

 ジェシカは痴呆が始まっている。昔亡くした息子がまだ生きてると思う時がたまにあるのだ。

「それじゃあ早く銀行に行かないと大変だな。早く行こう」

 ジェシカはそれを聞くとようやく立ち上がった。

「じゃあ、ちょっと町まで乗せておくれよ。銀行に行かなきゃいけないんだから。猫ちゃんたちが餓死しちゃうよ」

「ああ、そうだな」

 ジェシカは杖を突いてゆっくり歩きパトロールカーの助手席に乗り込む。

「あんた、まだシート直してないのかい?」

 バーンズのSUVの助手席には畳んだビニールシートが敷かれている。

 以前にジェシカが粗相をしたからだ。

 それからというものシートが破れてると嘘を付いてブルーシートを置いている。

「ああ、この平和な町じゃ昇給もなくってね」

「平和なもんかい! この辺りではアンタの知らないような恐ろしいことが毎日のように起こってるんだからね!」

「そうかい、何が起きてるんだい?」

 そう問うとジェシカはバーンズをじっと見つめて忙しく瞬きを繰り返すと、

「アンタみたいな余所者には教えてやれないよ!」

 と叫び、黙り込んだ。

 バーンズはいつか「アンタだけにはこっそり教えてやるよ、、、」と言い出すのを待っているのだ。


 ジェシカはこの地域のつまはじき者だ。

 噂に寄ると、クランの抗争で旦那と息子を目の前で殺されたのだとか。

 しかもその場でレイプされ、敵の子を身籠ってしまったという。

 そのせいでどちらのクランからも疎まれる存在になってしまったのだ。

 なんともやるせない話だ。

 この辺りには堕胎をしてくれる医者はいない。

 州の法律で母体に危険がある場合以外は中絶は禁止されているのだ。

 クランの女たちの中には手を差し伸べる者もいたらしいがジェシカは全てを拒否し、独りで子供を産んだらしい。

 就学前までは近所で息子の姿を見かけるものがあったが、あるときから見かけなくなったという。

 味方のクランに殺されたか、敵のクランに殺されたか、あるいは病死か。

 ジェシカはフレディは生きていると言い張り、行方不明申請すら出していない。

 捜索願が何処からも出されなければ警察としては何もしようがない。

 ただ、その頃からジェシカは大量に猫を飼いだして、近所からは「狂ったキャット・レディ」と呼ばれ誰も近寄らなくなった。

 バーンズがこの地域に配属された当初は、ジェシカは片道2時間掛けて銀行まで歩いていたものだ。

 とある雪の日にバーンズがジェシカを保護してからはバーンズがジェシカの足代わりを務めている。

 この関係もそろそろ6年が経とうとしているが、バーンズは相変わらず余所者あつかいである。


 銀行と食料品の買い出しに付き合ってジェシカの家に帰って戻ると玄関前になにか落ちているのにバーンズは気付いた。

「何か落ちてる。ちょっと見てくるから、ばあちゃんはここで待ってて」

「ああ、フレディだよ。リスを届けてくれたんだ」

 ジェシカ全く気に留めず、制止を無視して車を降りた。

 バーンズは舌打ちをして辺りに注意を払いながら玄関に近づく。

 クランの連中の嫌がらせの可能性がある。

 しかし、置いてあったのはジェシカの言う通り2匹のハイイロリスの死骸であった。

 銃で撃たれたもので、血抜きはしてある。

「ほら、リスだろう? フレディが届けてくれたんだよ!」

 死んだフレディが届けてくれる筈はない。

 何者の仕業なのか?

「ジェス、フレディはよくリスを届けてくれるのか?」

「そうだよ、アタシがリスのフライが好きって知ってて届けてくれるんだ。優しい子だろう?」

 バーンズは総毛立った。長年この家に通っているがこんなことは初めて知った。

 フレディが生きているというのは本当なのだろうか?

「冬の間はたまに鹿の脚を届けてくれることもあったよ?」

ジェシカはリスを拾い上げて納屋に向かう。

「皮を剥いじゃわなきゃ。アンタも食べてくかい? いつも送ってもらって悪いからね」

 周囲を見回しながら納屋に付いて行くと、もう一度総毛立った。

 納屋にはかなりの量のリスの毛皮が吊るして干してあったのだ。









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