第18話
「実はわたしも手詰まりでね」
クラークがシュルツの巻き込まれた事件について調べていると白状するとアフレック氏はそう口にした。
「バーンズはわたしにショックを与えないよう気遣ってなにも言わないが、色々やってくれたことは知っている。シュルツが悩みを抱えていたことはわたしだって知っていたし、相談も受けた。バーンズに相談するよう促したのはわたしだ」
「そうだったんですね」
「ああ。我々カウンセラーが犯罪の抑止に貢献することを期待されていることは普段は忘れ去られていることだが紛れもない事実だ。だからこそ犯罪被害者の保護プログラムで被害者が加害者に転じてしまわないようリードする役目が与えられているわけだ。しかし我々側から警察に犯罪抑止の協力を頼むようなパイプは用意されていない」
確かにそうだ。精神科医は警察に貢献しているが警察が精神科医に貢献してくれることはない。
「これは仕方ない事ではあるんだ。警察は起きてしまったことに対処するシステムだからな。常に後手後手だ。起きていない事件を取り締まるようになったらそれこそSF小説になってしまう」
「マイノリティーレポートですね」
「そう、それだ。あるいは軍事独裁政権下にある哀れな国だ。だから警察は今のままでいるのが正しい姿といえる。抑止という部分で警察ができることといえば検挙率を上げることくらいしかない」
ボスは長い腕を組み掛け、思い留まったらようにそれをやめ、眼鏡をくいと上げると話を続けた。
「ところで、"厳罰化"が犯罪の抑止に効果があると一般的には信じられているが真実は逆だということを知っているか? 厳罰化は社会復帰できない廃人を大量に生み出し、再犯率は上がる一方だ」
現在のアメリカでは前科のある者が再就職することはほぼ不可能とされている。一度犯罪を犯してしまった者は社会復帰ができず、再び犯罪に手を染めるしか生きる道がない。しかも厳罰化といっても死刑が倫理的に難しい現代では刑期を長くすること以外に手段がなく、刑務所には長期受刑者が溢れることになる。長期受刑者が多ければそれだけ金が掛かる。まさに税金の無駄使いなのだ。今や刑務所もアウトソーシングされて民間企業が経営し、あらゆる無駄が省かれているが、それでも財政には負担が掛かり、しかも刑務所は常に満員だ。結局、長期受刑者には恩赦を与えて無責任に放り出している。
「そこで我々にできることは何か? それは再犯を防ぐことに他ならない。だからシュルツは被害者の保護プログラムではなく、犯罪者側の更生プログラムの立ち上げを求めて活動をしていたわけだ」
なるほどハフィントン・ポスト紙のサイトに書かれていた犯罪者の権利を守るNGOとはこの活動のことだろう。
クラークはその活動についてまったく調べずにいた自分を心の中で罵った。
「この団体はリベラルな一般市民で構成されていてスーパーマーケットの前で署名を集めるくらいの活動しかしておらん。議員にロビーイングするような資金も人材も持ち合わせてはおらん。犯罪者の権利なんていうと保守層からの風当たりは強い。しかもその更生プログラムを導入すると刑務所よりも安くつくかというとそうでもないんだ。今の刑務所を維持しながらさらなる人員を投入して社会復帰の補助をするんだから相当の予算が必要だ。注ぎ込んだ税金の回収が見込めるのは20年後か30年後か。そんな息の長い案に乗る議員はこの国にはいないよ」
アフレックは一気にまくし立てると一呼吸おいて背をソファに預けた。
クラークの受けた柔和な印象とは違ってボスはかなり熱い人物だったようだ。
「話が逸れたかな。そう、つまりシュルツは犯罪の芽を見つけたのだが、それを法的に摘む制度はなかった。実際何事かが起きないと警察は動けない。しかしーーー」
アフレック氏はゆっくりと首を傾げた。
「ところで、、、、何故シュルツほど優秀な医師が止められなかったんたろう? 奴に掛かれば猫に自分は犬だと思い込ませることだって可能だったろうに」
かなり危険なことを言っているがそれだけ優秀だったということだろう。
「糸口が見えてきたぞ。ドクター・クラーク、我々に変えられないことは何だ?」
突然の質問にクラークは戸惑った。
変えられないこと。変わらないこと。
「えー、肌の色、人種、出生、両親、そんなとこですかね?」
「そうだ! 過去は変えられない!ではクランケに最も影響を与える過去は何だ?」
「親の存在です」
「そのとおり! 親の呪縛から逃れるには自分の親と決別しなければならない。つまりは親殺しだ。母を愛したエディプスのように父を殺さなければ人は本来の自分にはなれない」
心理学の基本の話ではあるが確かに重要な指摘だ。行き詰まったら基本に立ち返る。これは全てのことに当てはまる真理といえる。
「では我々が誘導しても親殺しができないとはどういうことか?」
クラークは額に手を当てて考える。このような問答は学生の時以来だ、
「単純に時間が足りなかったとか、親への依存が強すぎるか、こちらが誘導を試みても、逆に誘導する者が別にいたとか」
「洗脳に対する逆洗脳か、その線だ」
アフレック氏は身を乗り出し顎を組んだ手の上に置いた。
「既に殺すべき親が死んでいたら?」
「いやそれは問題ないでしょう。親が死んでいても親殺しは可能です」
「そのようなクランケがいたとして君ならどう誘導する?」
「死んだ親を憎ませます」
「うむ、正解だ。ところがどうだろう、例えばの話だが "お前の親は正しい人間だったのに悪人に殺されたのだ" と囁き続けたら?」
「それは厄介そうですね。そうなると脱洗脳はかなり難しいです。そのようなクライアントに心当たりでもあるのですか?」
「いや、ない。しかし世の中でテロを起こすような人物は多かれ少なかれこんな風に育つんじゃないかと想像しただけだよ。彼らは社会的に相手を憎ませ続けられてる。具体的な候補はいない。しかし探すことはできる」
「どうやって探すのですか?」
「我々にあるのはカルテだけだ。シュルツはウチの患者にそいつが居たと言ったのだ。カルテ以外に探すものはない」
その時、柔らかなノックが聞こえドアからクレアが顔を覗かせた。
「あら、失礼いたしました!」
そう言ってドアを閉めようとするのをアフレック氏は押しとどめた。
「いい所に来た! 今日はカルテ室の鍵は開けといてくれ。ドクター・クラークと調べ物があるんだ」
「え、今からですか?」
「善は急げと言うだろう、何か予定でもあったか?」
じつはこの日もクレアと再び食事に行く約束をしていたのだ。
ところがクレアは真剣な眼差しでオフィスに入ってきてこう言った。
「私もお手伝いします。シュルツさんの件ですね?」
ドクターと言わずにミスターと敬称を付けたことで、ただの上司と部下の関係ではなく人間としての付き合いから申し出たのだとはっきり理解できた。
「おお、そうか。だが今日はなんとなく当たりを付けるだけだ。全部のカルテひとつひとつを検証するのは来週からだ。善は急げとは言うがこれは長期戦だ。だから大丈夫。今日はお帰り」
「いえ、立ち会わせて下さい。そうでないと父に顔向けできません」
クレアの父親はシュルツ氏と飲み友達だったと言っていたが、父上も相当なショックを受けているのだろう。それに一緒にカルテを調べてくれればそのあとに食事にも行けるかもしれない。
クラークは立ち上がった。
「行きましょう。とりあえず見てみましょう」
そう言うとアフレック氏も頷いて立ち上がった。
「そうだな。まずは見てみよう」
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