第17話
クラークは空き時間さえあれば事件について調べた。現場にも足を運び、周辺の環境も記憶に留めるようにした。
自分の内面に潜り込むのはもうよした。
行動を起こして前向きになっている今は例の不安感は襲ってはこない。
そして自分が何を恐れていたのか今なら分かる。
心当たりのない敵意。
あるいは誰かを気付かぬうちに傷つけてしまう失敗。
それに気付かない愚かな自分。
それが恐怖の根元だった。
誰かに嫌われているのに自分にはその理由が検討もつかない。
これほど嫌なものはない。
このように感じるのは一般的だろうか。
とにかくこの感情が自分の人格形成の一端を担っていることは確実だった。
何かそうさせる原体験があっただろうか。
しかしこの問題は後回しだ。
シュルツ氏の弔いに片がついたら時間はたっぷりあるはずだ。
そうしたら存分に自分と向き合えばいい。
不意にオフィスのドアがノックされ、クラークは我に返った。
デスクにはカルテが開いてあったが全く頭に入っていなかった。
まだ16時。クレアにしては時間が早い。
ドアが開いて姿を見せたのはドクター・アフレック氏。クラークのボスその人だった。
「失礼。お邪魔じゃないかな?」
柔和な笑顔で聞いてくる。
「いえ、とんでもない。大丈夫です」
クラークは反射的に立ち上がった。
「ああ、いいから掛けて」
アフレック氏はクライアント用のソファに腰掛けて話はじめた。
「君は忙しいのが好きなようだね。面談がない時間もカルテ室に行ったり、何処かへ出掛けたり」
ボスは何度かオフィスを訪ねて来てくれていたようだ。
「これは失礼しました。内線でご連絡いただければお待ちしましたのに、、、」
「ああ、いいんだ。特にこれといった用があるわけじゃないんだ。私は見ての通り古い人間なもんで誰とでも雑談がしたいんだ。クライアントともそうだ。みんな私のクライアントは雑談しに来るんだ。高い報酬を払ってね」
アフレック氏はゆったりと足を組んで続けた。
「現代人は雑談を楽しんでいないと思わないか? 皆せっかちで、すぐに揚げ足を取ったり茶化したり話の裏を勘ぐったり。そんなことはしないでのんびり野球の話でもしてればこんな所に世話になる必要なんかないのに」
「確かにその通りですね」
アフレック氏は何か試そうとしているのだろうか、そう疑いながらクラークは慎重に返事をした。
アフレック氏は続けた。
「このクリニックのクライアントだって困ったもんで、啓蒙セミナーと勘違いしてるクライアントもいれば、心理ゲームだと思ってるクライアントもいる。自分の性格が捩じくれているのを子供の頃の体験のせいだと自分で決めてかかって原因を見つけろなんて迫ってくるクライアントもいる」
「平和ですね」
つい言葉が口をついて出てしまった。
アフレック氏は穏やかに笑って、
「平和だろう? スクールカウンセラーとは随分違うかな?」
と尋ねてきた。
クラークは一瞬、思った通りのことを口にして良いものか迷ったが正直に言うことにした。
「そうですね、ジャージータウンでは家庭環境が酷くて、両親の離婚は当たり前、虐待やネグレクト(育児放棄)で自己肯定感が得られない子供たちがほとんどでした。それと比べるとここはまるでお遊びです」
アフレック氏は頷いた。
「随分頑張ったそうじゃないか。地域全体の環境を良くしないと根本の解決にならないからといって地域の教会の協力を取り付けたり」
「何故それを、、、」
半分は当たり、半分はハズれだった。
クラークが教会に通っていたのは子供たちと向き合う目を増やすためでもあったが、自分が子供たちに向き合わなくて済むからだった。
アフレック氏は静かに続けた。
「ジャージー校の校長先生が推薦状と別に手紙をくれてね。責任感が強く他人のために行動できる人物だとあった。もっとも、解任直前の君はかなり参っていたようだが」
正直驚いた。よもや校長がそんな風に自分を見ていたとは。生徒と自分に手一杯で周りが見えていなかったらしい。
「シュルツもそうした人物だった。常に人のためを考える男だったよ。本来だったら共同経営者が居なくなった今、ここはもう閉めていいんだ。私もリタイアしていい歳だし、クライアントもこんなだしね。でも若い人に何か残せるなら残してやりたい。今いるスタッフたちの仕事を奪うわけにもいかんし、クライアントから雑談相手を奪うのもね。だから君を採用することにした。君も私たちと同じように古い人間のようだから雑談には向いているだろう。相手を思いやる気持ちがないと雑談ってのは上手くいかないんだ」
クラークは絶句した。感謝の気持ちが込み上げてきて喉を締め付けた。
「すみません。ありがとうございます」
クラークはやっとのことでそれだけ口にした。
「いいんだいいんだ。さて、ところで君がこのところご執心なのは何の件かな?」
そこまでお見通しだったとは。おそらくそれがシュルツ氏の事件であることも感づいているのだろう。
クラークはありのままに話し協力を頼む事にした。
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