第16話
翌日、精神的活力を取り戻したクラークは状況を整理しはじめた。
シュルツ氏の死を紐解くのに自分が持っているのはカルテというピースとバーンズの証言というピースのみ。
こんな少ないピースで何が分かるというのか。
必要なのは情報だ。
他の被害者の素性、状況、犯人の手口。
あとはシュルツ氏が何か他に手かがりを残していないか、例えば家には何かしら日記やメモの類が残ってはいないか。家族に何か言い残してはいなかったか。
あとは仕事のパートナー。ケンジントン・クリニックの所長。シュルツ氏と共同経営者であったドクター・アフレックに話を聞かねばならない。
アフレック氏はクラークがシュルツの死を調べていると知ったらどう思うだろうか。
共同経営者である以上、警察からかなりキツイ取り調べがあったことは想像に難くない。金の流れも警察によって徹底的に調べられているだろう。となればアフレック氏が限りなく白に近いことは実証されたも同然である。しかし容疑者としてではなくシュルツ氏の友人として何か聞いていなかったかを知る必要がある。
おそらくアフレック氏がシュルツ氏の死を最も悼んでいる人物の一人であることは間違いないだろう。聞き方を間違えたらこの職を失うことにかるかもしれない。
ボスとはまだ雇用契約の時にしか会ったことがないのだ。まずはボスとの距離を縮めることから始めなければならないだろう。
クラークはひとまず他の被害者たちの情報を集めることから始めることにした。
バーンズに連絡を取り、事件について調べる気になった経緯を説明し、協力を頼んだ。
するとバーンズは探偵の真似事なぞするもんじゃないと言いながらも資料をコピーして送ってくれた。
バーンズは州保安官だけあって膨大な警察資料をアクセスし収集していた。
犠牲者3名の素性から始まり、発見者の供述書、鑑識が行った現場検証の報告書まであった。
「これらは全部持ち出し禁止の警察の内部資料じゃないんですか?」
「そうだ。保安官と警察は違う機構に所属してるから基本的にわれわれ保安官も警察の資料は閲覧はできない。ただまあ、心ある男も何人かは居たってことだよ」
ごり押しをしたのか泣き落としをしたのか分からないが、とにかくこの詳細な資料はありがたかった。
クラークは現場検証の資料から当たってみたが、足の向きがどうだとか、側溝から何インチ離れているとか、比較したところで何もわからないジャンクとしか思えない大量の数値が記されており、早くもやる気を削がれてしまった。
現場検証の資料を早々とフォルダに戻すと検死報告を見てみる。
こちらは打って変って大いに興味をそそられた。
なんと最初に起きた事件の検死報告では死因は不明で、心筋梗塞か何かによる突然死ではないかと報告されている。
この医師は脳梗塞の疑いもあるとみて頭部の検査も行っている。
おそらくこの時点では外傷が発見できていなかったため病死の線で検死しているのだろう。
しかし数日後に追加で、改めて外傷を探す再検査と爪の中の遺留物を鑑識に検査させた報告書が加えられている。
2件目が起きてから殺人の疑いが持ち上がったのだ。
その2件目は別の医師が検死している。この医師はおそらくベテランなのだろう。逆に外傷が全くない点が不自然だとまず指摘している。
普通アスファルトに倒れたら相当な衝撃で頭部がアスファルトにぶつかることになる。当然そのような場合はそれなりの傷が付く筈なのだ。
それがまるで誰かがそっと寝かせたように頬に砂が付いていただけだという。
もちろん意識があるうちに自分から倒れ込めば静かに伏せることも出来るだろう。しかしこの遺体は発見者の証言によると右腕を身体の下に敷くように倒れていたのだ。仰向けに寝た姿勢から寝返りを打つようにうつ伏せにならないとこうはならない。こう倒れたのなら頭部あるいは顔に傷があるべきなのだそうだ。
そのような見地からこの医師は最初から他殺の線で検死を行っている。
痣や注射の痕、スタンガンの痕などを見つけることはできなかったが、かろうじて眼球の毛細血管がわずかに破裂していることを発見。眼圧の異常上昇の起きる絞殺である疑いが持ち上がり、改めて首周辺を精査すると頸動脈に鬱血の痕跡を見つけ絞殺と断定するに至っている。
絞殺というと後ろから両の手で首を掴み窒息するまで締め上げるというのが一般的だ。
犯人が力の弱い女性や子供、あるいはアジア人の場合は正面から両手を首に当て、仰向けに寝た相手にのしかかり体重を掛けるように喉を圧迫するという。
これらは局所的に力が掛かるわけだし窒息するまでその力を維持しなければならないので結果として首にはっきりと痣が残るうえ、被害者は苦しんで抵抗するので遺体の爪の中に加害者の皮膚や血液などが入ることが多いのだそうだ。
そもそも絞殺というのは相手が激しく抵抗するので相当な体力差がないと成功しない。大人と子供程の差があって初めて成功するのだそうだ。
ではこの事件ではどのように絞殺せしめたのか。
おそらくこうであろうとこの医師は書いている。
それは背後から首に腕を廻して締め上げる、プロレスや格闘技でいうところのいわゆるチョークスリーパーという技だというのだ。
訓練を積んだ者がこの技を使うと首に痣を残すことなく頸動脈を止め、わずか6秒で相手を失神させることが可能なのだという。
この失神は頸動脈反射と呼ばれ、血流が戻ればすぐに意識も戻るものだが、そのまま血流を止め続ければ脳死に到る。
その際に脳圧や眼圧が上がり、目の毛細血管が切れたのだろうという推論だ。
クラークはこの医師の観察力と推理力に感服した。医学的に遺体を検分して死因を調べるだけでなく、絶命時の姿勢まで加味して具体的な方法まで推測している。
この報告があって3件目のシュルツの時はすぐに同じ手口だと判明している。さらに両の大腿部に不自然な汚れが付いていたことから犯人が後ろから脚をフックし、より的確な態勢で犯行に及んでいることまで判明している。
この技はクラークも何度もテレビで見たことがある。かつて格闘技ブームだった時、特に格闘技好きでもないクラークも何度かテレビ中継を見たことがあった。この技が極まると、それまで抵抗していた相手が急にグニャリと脱力して倒れてしまうのだ。真似ている同級生も何人かいたが、上手くはいっていなかったように思う。それほど簡単な技ではないのだろう。
この手の技は軍隊でも教えるようだし、女性向けの護身術でも取り入れている筈だ。
手口は判明したがそれで犯人が絞り込まれるかというと全くそうではないということだ。
しかしこの犯人が明確な殺人の意識を持っていることが知ってとれた。
おそらく最も相手が苦しまなくて済む方法を選んでいるのだ。
クラークはむしろそこに恐怖を感じた。
相手を気遣いながら淡々と命を奪うなど、まともな神経の持ち主ではないだろう。
クラークは自分の患者の中には犯人が居ないと確信した。
こんなことができる人間をカウンセリングすれば何らかの違和感を感じる筈だ。
誤った死生観の持ち主や、己の正義に疑いを持たないタイプの人間はそのようなシグナルを出している。
クラークのリストの中にはそのような人物は居なかった。
ではシュルツは誰を危険人物とみなしていたのか。。。
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