第15話

11.c6(15)

 翌日、終業時刻が近づくといつものようにクレアが顔を出した。

「何か食べたいものはある?」

 先手を取ってクラークは尋ねた。正直どんな店が喜ばれるか見当が付かなかったのだ。クレアの住んでいる場所も通勤の交通手段も知らなかった。

「いえ、特にないです。ドクターのお好きなもので結構ですよ」

 クレアは微笑む。

「うーん、住んでるのはどの辺?」

 場所を言われたところでその近くに良い店を知っている訳ではなかったがとりあえず聞いてみる。

「マリアン・アンダーソン・パークの近くです。て言ってもドクターはわかりませんよね。ここオールドシティから西に行った辺りです」

 フィラデルフィアは2本の川に挟まれた狭い区間にある。デラウェア川とスクールキル川のあいだ、ちょうど一番細くなった辺りの東側がオールドシティと呼ばれる地域である。

 クラークは内心ほっとした。当たりを付けていた店が近くにあるのである。

「キューバ料理はどうだろう?」

 クレアは目を輝かせた。

「アルマ・デ・キューバですか? 行ってみたかったんです! 」

 クラークは心底ほっとした。安い店ではないががっかりされるよりは遥かにマシである。

「じゃあ決まりだ。この時間はタクシーは捕まるかな?」

 詳しい場所はわからないので道案内はできればタクシーに任せたい。

「マーケットまで出れば捕まるでしょうけど、近いですから歩きましょう? ウォルナット・ストリートはぶらぶらするだけで楽しいですよ」


 なるほどクリニックから南に2〜3ブロック下ったところにあるウォルナット・ストリートは片側1斜線のこぢんまりした道だか歩道が広く、街路樹の植わった落ち着きのあるショッピングストリートで、様々な店が目に入って飽きることがない。街路樹があまり大きくないところをみると近年再開発された地区なのだろう。

 クラークとクレアは他愛のない話、植えられている街路樹はその名の通りは胡桃なのかとか、秋には実りがあるのかとか、栗鼠が現れたりするのだろうかとか、殺人事件とは関係のない会話を楽しんだ。

「あそこね」

 クレアが指差す先に白い外壁にネオンが光る店が見えた。目的のその店である。

 店に入ると席が空くまで30分掛かるということで、まずバーに通された。

 ウェイティングバーは落ち着いたレンガ造りで20席ほどのカウンターが設えてある。

 店内は既に賑わっており、食器の触れ合う音やおしゃべりを楽しむ声、低く流れるBGMと渾然一体となって幸福なさざめきが生まれていた。

 クラークはエールを、クレアはガス入りのペリエを頼んだ。

「アルコールは飲まないの?」

「そんなことないんですけど歩いて喉が渇いちゃって」

 クレアはバーテンに渡されたペリエをグラスを使わず瓶のまま一気に半分ほど飲み干した。


 店の奥の中二階の席に案内されるとクラークはリブアイステーキ、クレアはハマチのサラダとシーバスのグリルを注文した。

 キューバ料理の専門店なのかとクラークは思っていたが、キューバ料理以外にも日本の食材を使った魚料理やブラジル料理など、世界のの民族料理を取り入れた先進的なメニューが目を引いた。

 味は言わずもがな最高である。

 リブアイステーキには不思議な香りのする緑色のソースがかかっていて食べたことのない美味しさだった。

 ハマチには柑橘系の香りがつけられて半生に焼き上げられ、色とりどりの野菜に包まれており、シーバスはハッシュポテトとチコリの葉とで層になって盛り付けられており、見た目にもたいへん美しかった。

 デザートの替わりにクラークはブラジルの甘いカクテルであるカイピリーニャを、クレアはキューバン・シガー・チョコレートを注文した。

 届けられたデザートを見てクラークは驚かされた。

 キューバ産の葉巻を模したチョコレートケーキの脇にブックマッチの形をしたキャンドルが添えられていて遠目に見れば本当に葉巻に見える。

「驚きだ、たまにはレストランもいいもんだ」

「普段は自炊ですか?」

「いや、近所で買ったチーズステーキを家で食べる毎日だよ。料理は苦手なんだ」

 チーズステーキとはフィラデルフィアの名物料理でチーズと薄切りの牛肉を挟んだホットサンドイッチである。

「『パットの店』?」

「いや、僕は『ジェノの店」派なんだ。チーズ抜きでトマトとパプリカ」

「ええ〜、だってパットはフィリーチーズステーキの元祖ですよ。しかもチーズ抜きなんて信じられません」

「君はずっとパット派なの?」

「そうなんです。パットの店に父に連れてってもらってから20年間パットの店ひとすじ。母が風邪を拗らせて食事を作れない時に連れてってくれたんです。母のぶんも買って、車の中でこっそり味見した時の衝撃は忘れられないわ。こんな美味しいものを24時間作ってるなんて、パットさんはなんて偉い人なんだろうって」

「なるほど、しかしあの山盛りの肉とチーズを食べ続けてよくその体型を維持できたね」

 クレアはバレリーナのようにほっそりとした体型をしている。

「実家はフィッシュタウンが近かったし、母が気をつけて魚料理ばっかり作ってくれたから。そう、あの頃はクリニックもまだケンジントンストリートにあったわ」

「昔からクリニックを知ってたの?」

「はい。父とドクター・シュルツは近所のパブで顔を合わす、いわゆる飲み仲間だったんです。それでクリニックがオールドタウンに引っ越しをする時に、受け付けにいい子が居ないかって父が持ち掛けられて、ちょうど大学四年生だった私を推薦してくれたんです」

「渡りに船だったんだ」

「そうですね。あの頃はリーマンショックの後で求人が全然無くて大変だった時なんで本当にありがたかったです」

「しかしそんな時期にクリニックはよく引っ越ししたね」

「こういう時にお金を使わないと社会が冷え込んじゃうからって言ってました。ドクター・シュルツはいつも人の役に立つことを考えているひとでした」

「惜しい人を失ったね。お会いしたかったな」

「はい、ドクター・クラークもきっとシュルツさんのことを好きになったと思います」

 そうクレアは言ったが、彼が死ぬことがなければクラークがこの街に来ることもなかっただろう。皮肉な人生のいたずらに苦い思いがこみ上げた。

 しかし目の前の、営業用の笑顔ではない悲哀を感じさせるクレアの笑顔にはクラークを奮い立たせる何かがあった。

 自分の身を守る為ではなくシュルツ氏を弔う意味で、この事件を見直す必要があるかもしれない。

 クラークは密かにシュルツの巻き込まれた連続殺人に、そして自分自身に立ち向かう決意を固めた。


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