第4話

 携帯のアラームで目を覚ますとメリンダは自分を罵った。朝日が綺麗だとジェイソンから聞いていたのに早起きするのを忘れていたからだ。

 しかしカーテンを開けても朝日は差し込んで来なかった。空は晴れている。ここはまだ山の陰なのだ。

 真っ黒い山の稜線が白く輝いている。間もなく日が差し込んでくるだろう。


 メリンダはシャツとスラックスを身につけながら肌触りの悪さを感じた。シャワーを浴びずに寝るのも久しぶりだったし、シャワーを浴びずに人前に出るのも子供のとき以来初めてかもしれない。

 濡れティッシュ式のメイク落としで洗顔をし、コンパクトの小さい鏡でメイクをしていると、普段の自分がどれだけ文明にどっぷりなのか実感できた。

 ジェイソンは皿洗いも紙とごく少量の水で行い、使った汚水は畑に使うと言っていた。トイレも堆肥にして畑で使うのだそうで、そういう些細なことから時給自足が始まるのは目を覚まされる思いだった。

 目の前には全てを飲み込むような巨大な湖があるのに、そこに捨てる誘惑に駆られることはないのだろうか。

 相当に意思が強くないと此処での暮らしは無理そうだ。

 ひととおりメイクを終え、髪を後ろでひとつに結ぶとなんとか人前に出れる格好がついた。

 客間を出るとリビングにもキッチンにもジェイソンは居らず、これ幸いとメリンダは歯を磨かせてもらうことにした。ダイニングテーブルに腰を掛け丹念に歯を磨く。戸棚にストックされている水のボトルを一本もらうと使う量を少なめに意識して口をゆすぐ。

 小さなタイルのシンクの下にはバケツが置いてあり捨てた水が溜まるようになっているのは昨日ジェイソンが教えてくれた通りだ。

 さて、もう一つの難関がトイレだ。トイレは離れにあり、夜は恐くてとてもじゃないが使う気がしなかった。今なら光に集まる虫も出ないだろう。ジェイソンの気配を探りながらメリンダはトイレに向かった。トイレは工事現場にあるような移動式簡易トイレで、清潔に保たれてはいた。少なくとも虫はいない。

 人心地ついたメリンダはログハウスに戻ってジェイソンの部屋をノックしてみた。

 反応はない。

 ノブを回すとあっさりと扉が開いた。中にはジェイソンは居らず、シーツの乱れたベッドがあるだけ。

 予想は出来ていたので驚きもせず、メリンダはフライデーランドのメインコテージに向かうことにした。きっとジェイソンは朝の作業を開始しているに違いない。

 湖が美しいので林は抜けず、小さな岬を回り込んでボートハウスの方に向うことにする。

時々パシャリと水音がするのは魚が跳ねる音だろうか。今では朝日が湖面に乱反射して眩しいほどだった。

 今までの人生で朝の散歩などついぞした覚えがない。なんて贅沢な時間だろう。観光資源がないなんて思ったのは間違いだった。この贅沢な時間こそが貴重な観光資源になり得るだろう。

 フライデーランドは自分のレポートには不向きだったかもしれない。

 レポートの題材を見直しするか別のロールモデルを探すか、メリンダが思いを馳せていると携帯電話がけたたましく鳴り始めた。

 朝の散歩を邪魔された気がして不愉快になったメリンダが発信者をみるとジェイソンの番号だった。

「もしもし、メリンダ何処にいるんだい?」

 ジェイソンの声が聞こえてくる。

「今、母屋へ向かっているところ」

「ひょっとして湖沿いを歩ってる?」

「そう、あなたそっちにいるんでしょう?」

「いや、小屋へ今戻ってきたところだ。林を通ってね」

「あら、行き違いなっちゃった? どうしよう、あたしが戻る?」

「うーんと、どうだろう。今なら母屋でお湯や水洗トイレが使えるけど」

「あっ、そうなの? メイクもトイレも小屋で済ませちゃったわ」

「それならいいんだ、じゃあ散歩を楽しんだら小屋へ帰ってきてくれ。朝食の用意をして待ってる」

 やはりジェイソンは素晴らしい気遣いの持ち主だ。あたしが不慣れな環境で困らないように早起きしてボイラーの手入れを終わらせてくれたのだろう。

 すぐに戻って朝食の手伝いをしなくてはと思う気持ちと、朝日に照らされた母屋を見たいと言う思いを天秤にかけて、散歩を楽しんでと言ってくれたジェイソンの優しさに甘えることにした。

 もうここには来ないかもしれないのだ。


 小屋へ戻るとジェイソンは既にキッチンに立っていた。

「あれ、早かったね。すぐ戻ってきちゃった?」

「ううん、岬の先端まで行って母屋を見てきたわ! 凄く綺麗ね! いつオープンするの?」

「夏には間に合いそうにないから秋口かな?」

「オープンしたら、お客として泊まりにきていいかしら? 友達を連れて」

 それを聞いて何故かジェイソンは表情を曇らせた。そして何事かを考えながらゆっくりと口を開いた。

「キミが望むならもちろん。ただ、、、いや、先ずは食事にしよう。腹ペコなんだ」

 メリンダはジェイソンが言いかけたことを早く聞きたかったが、急かすのも失礼かと思い黙っていた。

 ジェイソンはうって変わった明るい表情でこう訊いてきた。

「缶詰のソーセージと缶詰のクラムチャウダーとどっちが良い?」


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