第3話
「すっごい星!」
「そうなんだ、この時間はまだ月が山の陰になってるから星は見放題」
「そろそろ出てくるの?」
「どうだろう? 月の位置が高くならないと見えないんだ。それもこの物件が安い理由のひとつ」
「え、どういこと?」
「やっぱり南向きが人気なんだよ。湖の北側だね。ここは東向きだから朝日は綺麗なんだけど、暗くなるのが早い。で、月も夜中まで見えない」
「ああ、そういうことね。南向きならどっちも楽しめるわけね」
「そう。だからあっち側は町になってる」
ジェイソンが指差す方向を見るとぼんやりと灯りの集まりらしきものが見えた。あちらが北なのだろう。
「町までは近いの?」
「ボートなら30分で着くんだけど、車だと遠回りになるから1時間以上掛かる」
メリンダたちは湖畔の小さな砂浜まで月を見に来たのだ。
焼き林檎とハードチーズのミモレットをつまみに嗜むブランデーは最高だったが、ジェイソンはメリンダの身の上話が終わる前にブランデーを切り上げてコーヒーを飲み始めた。
「チーズにはコーヒーが好きなんだ。ノンカフェインだから夜でも大丈夫」
メリンダは少し物足りなかったがブランデーを飲み続けて酔い潰れるわけにもいかないのでコーヒーに付き合うことにした。
取手付きのグラスに注がれたコーヒーはキャンドルに透かすと紅く見えるほど薄く、軽い飲み口だった。
チーズと合わせてみると、口に残るチーズの脂や粉っぽいざらつきをすっきりと流してくれて気持ちが良い。
メリンダはコーヒーの心地よい苦味で酔いが醒めたついでに月が見たいと言い出したのだ。
「どこまで話したっけ?」
「大学の彼氏の話。アーチェリーとヨガ?」
「そうなの! アーチェリーの試合の集中力を高めるための禅とヨガらしいんだけど、だったらその時間を実戦的な練習に充てたほうが良いと思うんだけど違うのかしら?」
メリンダは敢えて恋人の話をジェイソンにしてみた。付き合っている人がいないと言うのも不自然だし、何よりジェイソンがどんな反応をするのか見てみたかった。
「どうだろ? でも禅にヨガなんて俺もやってみたいなぁ」
ジェイソンは素直に感心しているようだ。どうやらあたしのことを「そういう」目では見ていないようだ。
安堵と落胆を同時に味わいつつ、わざと彼氏のことを悪く言ってみる。
「あたしは彼のやってる物理のこともアーチェリーのことも全然理解できない。彼もあたしのやってる経営には全然興味がないみたい」
ジェイソンは山の方を眺めながら、そういうものでしょう。二人でどんな時間を過ごすの? と尋ねてきた。
「二人ですることって言ったら部屋でドラマを観るくらい。あとはカフェに飲みに行ったり」
相槌をうちながらもやはりジェイソンは星空を眺めている。
「やっぱり月はまだだね。蚊が出るからそろそろ戻ろう」
ジェイソンはメリンダを促した。
メリンダは少し不愉快になった。自分のために月を探してくれていることは分かっていたが、折角ジェイソンを揺さぶる話題を振っているのに気持ち半分で対応してきたからだ。
「ねえ、ジェイソンは彼女はいないの?」
メリンダは業を煮やしてストレートに訊いた。
するとジェイソンは振り返ってメリンダの手を取り、答えた。
「いないよ。今は難しいことにチャレンジしてるところだから居たら大変だろうな。高収入の仕事を辞めて山小屋やろうってんだから。女の人からみたら意味不明でしょ?」
「そうかしら、とっても素敵だと思うけど」
あの客間は本当は将来を約束した女性が暮らす筈の部屋だったのだろうか。 ふとそんなことが頭を過る。
ジェイソンは黙ったまま振り返り小屋へ歩き出した。
「ごめんなさい、失礼な質問だったかしら」
「全然、この世の女性が皆キミみたいだったら素敵なのになって思ってさ」
気付くとメリンダは抱き寄せられ、ジェイソンの腕の中にすっぽりと収まっていた。
ジェイソンからは太陽で乾かしたシャツの匂いと石鹸の香りがする。
「今日は来てくれて本当にありがとう。明日はキチンとレポートに役立てるように質問に答えるからね」
メリンダを抱き寄せた時と同じように唐突にすっと身体を離すと、先程と同じように手を取って小屋へと歩き出す。
その紳士的な振る舞いにもどかしさを感じつつも、大切に扱われているという実感がメリンダの胸に広がった。
その夜、メリンダは中々寝付けなかった。
ジェイソンはいつももう寝てる時間だからと早々に自室に入ってしまい、メリンダはひとりベッドで転々としていた。
携帯を見ると父から安否を心配するメールが入っていた。
"ごめんパパ、暗くなってしまったから泊まることにしました。車もあたしも大丈夫だから安心して"
そう返信するとメリンダはやっと眠りに引き込まれていった。
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