転:「ゾンビが風邪を引くなんてありえないから」
「なんだよ、聞いてたのかよ」
「廊下にダダ漏れだったの。ただでさえ、壁が薄くて話し声が丸聞こえなのに……」
「だったら、すぐ教えてくれればいいじゃん」
「別にいいでしょ! ちょっとアンタの仮説を論破してやろうと作戦練ってただけよ」
「へぇ~論破ね……で、その論破できるだけの反論は立てられたのか?」
「もちろんよ。楢崎の仮説なんかあっという間にゴミ箱行きにしてやるわ」
「んじゃあ、聞いてやるから証明して見せろよ」
一樹はそう言うと、ホワイトボードの前から離れた。
先ほど出したパイプ椅子に座り、代わりにホワイトボードの前に立った菜穂の言葉に耳を傾ける。
「そもそもゾンビに病気もなにもないでしょ? 相手は化け物なのよ」
「知ってるよ、そんなこと。でも、元は人間な上に動くって事は体内で何らかの異常が起きたって不思議じゃないだろ」
「ゾンビはゾンビよ。もう人間じゃないわ」
「だったら、死体になったことで起きる腐敗や水泡の発生はどうやって防いでるんだよ」
「そこがゾンビウィルスのスゴいところなんでしょ」
「つまり、なにか? オマエがいいたいのは『ゾンビウィルス最強ーッ!!』とかいうわけのわからないチート説か?」
「違うわよ、ゴキブリよ」
「は? ゴキブリ……?」
「私が言いたいのは、楢崎の仮説とは全く逆。免疫能力が低下したんじゃなくて、免疫能力がなくなったからこそゾンビが動いているのよ」
「それとゴキブリがどう関係あるんだよ?」
一樹がそういうのも無理からぬことである。
菜穂の言葉には一貫性がないように思えたからだ。ゴキブリと体内が活性化することのどこに関連性があるのだろう?
そう思ってしまうと、連想できる事柄は内容に思えた。
「なるほど、ゴキブリか」
けれども、真紀は違った。
ピンとくるモノがあったらしく、右手で顎を摘まむような仕草を見せている。
菜穂が自信たっぷりに語り出す。
「よく聞きなさい、楢崎」
「お、おう……」
「そもそもゴキブリというのは、倒しても倒しても沸いて出てくる人間にとって史上最大の天敵です」
「特に女子がワーキャー言う生き物だよな、アレ」
「男子だって、嫌いってヤツいるじゃないの」
「確かにいるけど、断然俺は平気よ」
「え? なんで?」
「なんでって……。そりゃあ、実家は栃木の山ん中だし、ガキの頃は虫取りとか夢中でやってたぜ」
「……む……虫取り……」
「オマエってアレか? 虫全般ダメなヤツ?」
「う、う、うるさいわねっ! とにかく、いまその話は関係ないの――茶々入れないで!」
「へいへい」
「私がゴキブリと関係しているというのは、ゴキブリにはまったく病原菌に感染するという性質がないからよ」
「えっ、マジで!?」
「知ってる? ゴキブリは雑食性が高く、人間の髪の毛から生ゴミに至るまでタンパク質が取れるモノなら、なんでも食べちゃうヤツらなの」
「それは聞いたことあるかも」
「さらに体内には、強力な抗生物質を作る成分を抽出しまくってて、大腸菌などの病原体に強いとされている研究成果も発表されているわ」
「ゴキブリって、案外スゲェヤツなんだな」
「つまり、私がいいたいのはゾンビウイルスがそうした抗生物質を量産できるからよ」
「それじゃあ、なにか? オマエは、ゾンビウイルス万能説を説こうとしているわけ?」
「ええ、そうよ。あくまでも、ゾンビはゾンビ。その定理から外れないためにも、ゾンビウイルスに科学的な性質を定義してあげようっていうのよ」
「ホントに可能なのかぁ~、ソレ」
「うっさいわね。それをちゃんと証明するって言ってるでしょ?」
「へいへい。だったら、最後まで聞いてやるから証明して見せろよ。きっと、俺の説の方が理にかなってると思うぜ」
一樹がそう言うと、菜穂が文句を言いながら文字を書き始めた。
ホワイトボードには、先ほどまで論じていたゴキブリの絵とそれに対する説明文がびっしりと連なっている。
左半分には、一樹が書きかけた文章が並び書かれていた。
その文章よりも多くの文字が書き、菜穂が自信たっぷりの口調で語り出した。
「ゴキブリと言ったのは、古代から生きている生物で、地上で最も環境適応能力に優れているだからよ」
「つまり、ゾンビ化した人間はゴキブリ並の抵抗性を持つ物質をゾンビウィルスにばらまかれ、半ば不死のような状態で活動してるってことか?」
「ありきたりに言えばそうね――でも、それだけじゃ説明は付かないわ」
「まだ何かあるのか?」
「まずアンタの説だけど、程よく体温が残ってて免疫能力も生きているというのは矛盾するわ」
「どうしてだよ? 体温がそれなりに生きていれば、乳酸が固まって筋肉硬直を起こすことも、血液の循環が止まることもないんだぜ?」
「だけど、その程よい体温っていったい何度なのよ? 下手をすれば、低体温症で免疫能力が正しく動かない可能性だってある」
「……うっ」
「つまり、楢崎の言うほどよい体温というのは平熱に近い温度じゃないと無理なのよ。これじゃあ、まったく人間が生きているのと同じじゃない」
「そ、そ、そりゃあ生暖かいゾンビだっているかもしれないじゃないか」
「でも、ゾンビって肌が浅黒くてあちこち血が出ているグロテスクなイメージを保てないじゃない?」
「確かにそう言われると……」
菜穂の言葉に反論できない。
それだけ自らの論理が穴だらけだったことを肌で感じたからだろう。一樹は完全に自信をなくして口をつぐんだ。
「もし、強力な細菌やウイルスが侵入してもゾンビウイルスが片っ端から抗生物質を生成する。それでも効かなければ、持ち前の適応能力で新たな抗生物質を作り出すんじゃないかしら」
畳み掛けるように菜穂が説明を補う。
それで口を噤んでしまったのがいけなかったのだろう。腰に両手を据えた菜穂が一樹たちを前に結論づけた。
「結論! 私のウイルス万能説から行くと、ゾンビはぜ~ったいに風邪を引きません!」
どうすべきか――対する一樹は考えあぐねた。
菜穂の説に対抗するには、それなりの反論でなければならない。とっさに浮かんだある事柄を一条の光にしようと反論してみせる。
「だけど、人間は昆虫じゃないぞ? 皮膚や臓器は1つ1つが細胞の集まりで強い抗生物質を生成するとなると、それらの細胞の動きを阻害するんじゃないか」
「なるほど。確かにそれは一理あるわね」
「そもそもゾンビウイルスにそんな能力があったとして、人間をゾンビ化させる要素はなんだ? ウイルスが持つ変異した毒素か?」
「うーん、そこまでは考えつかなかったけど……」
「ほら見ろ! 人の論理をずいぶん馬鹿にしてたくせに自分だって穴があるじゃないか」
「う、う、うるさいわねっ! ちゃんと説明してみせるわよ」
「おうおう、やってもらおうじゃないか――ねぇ~『オナホ』ちゃん」
突然飛び出した意味不明な言葉。
その言葉が発せられた途端、菜穂が奇妙な悲鳴を上げた。
一樹にしてみれば、してやったりという感じだ。なにせ、顔を真っ赤にしてたじろぐ菜穂の姿が何よりの愉悦だったからだ。
もちろん、横で話を聞いていた真紀が食いついたのは言うまでもない。とっさに「なにそれ?」と訊ねてきたところを一樹は得意げに語ってみせた。
「やだなぁ~真紀さん。オナホと言えば、男性向けの性玩具に決まってるじゃないですか」
「知ってるわ。というか、一樹君はそのことを平気で人前で話してて恥ずかしくないの?」
「そりゃあ恥ずかしいですよ。だけど、コイツの中学時代のあだ名が『オナホ』だったことは事実ですからね」
「……はぁ、男子らしい最低な発想ね」
「俺が言ったんじゃないですよ。そもそも、これは瀬尾自身が言ったことですし」
「どういうこと?」
「コイツ、中学2年の時に生徒会長選挙に出たんです。でも、全校生徒を前にした選挙演説で極度の緊張から『瀬』の1文字を噛んで――」
と言いかけた直後、突然息が苦しくなった。
同時に背中にわずかに柔らかいモノが当たる。それが申し訳程度の曲線を描く乳房だと知って、一樹は菜穂に首を絞められているのだと理解した。
「楢崎ぃ~っ!!」
しかし、その理解も束の間。
一樹の意識は、囁かれる恨み節の声と共に天国へ向かおうとしていた。
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