承:「結論、ゾンビが風邪を引いたら……ちょっと待ちなさいよ!」

「では、まずいま語った仮説を元に風邪を引くかどうかを定義しま――ゴホッ、ゴホッ」

「大丈夫?」

「気にしないでください。ちゃんとやることやったら、医者に行きますから」

「無理は禁物よ。いざとなったら、強制的にでも帰宅させますからね?」

「わかりました……。とりあえず、話を戻してもいいですか?」

「ええ、どうぞ」

「ゾンビが医学的な意味で『生きている』と仮定して、風邪を引くかどうかということですが、僕自身は風邪を引くと思っています」

「それはどういった理由で?」

「風邪の原因が細菌やウィルスなど単純な構造物で出来ているからですよ。おまけに季節に関係なく引くからとも言えますね」

「でも、ゾンビの体内に入ったからといって、ちゃんと身体を阻害するような行為を行うかしら? 人間ならまだしも免疫能力があるとは思えないゾンビに影響するとは思えないわね」

「しかし、それを言ってしまったらゾンビの身体機能を維持しているのが果たしてゾンビウィルスだけなのかどうかという議論にまで及んでしまいますよ」

「一樹君。1つ見落としているかもしれないけど、風邪を引く原因は免疫能力の低下が原因よ。そこに細菌やらウィルスやらが入ることによって風邪を引くの」

「ですね。そう考えるならば、ゾンビは免疫能力が低下している状態にあります。しかし、完全には死亡はしておらず、心臓や脳もある程度は動いているんじゃないでしょうか」

「それじゃあ、生きている人間と変わりないじゃない?」

「そうなりますね」

「……いえ、待って。逆を言えば、ゾンビウィルスが死んだ人間に寄生したと仮定することが難しくなるわね」

「ですから、心臓も脳も動いているには動いているけど、人間のように活発じゃないゆっくりとした活動と言うべきでしょうか――そんな感じに動いているはずです」



 一樹はそう言うと、そのことをホワイトボードに書き殴った。

 まるで自分の仮説が証明されたことを誇るように大きな文字で綴っていく。それから、一考して書きたいことを書き終えると、「続きを」とばかりに話し始めた。



「えっと、まずゾンビが生きていると仮定したのは言うまでもなく、稼動する筋肉の働きを助ける血液や歩行の平均感覚をコントロールする脳の働きが必要だったからです」

「そこは、私でも理解しているわ。でも、だからといって風邪でゾンビが死滅するとは限らないでしょ?」

「確かにゾンビは死なないとは思います。しかし、ゾンビウィルスだけに絞って考えればどうでしょう?」

「どういうこと……?」

「感染した人間の体内でゾンビウィルスがどのように働いているかを導き出せれば、感染した人間はゾンビとしてではなく、人として死ねるんじゃ無いかと言うことです」

「ああ、なるほど。でも、一樹君の論理で行くと、ゾンビウィルスが死滅した人間が死んでしまうのには納得がいかないわね」

「考えられるのは『脚気』や『壊血病』です」



 唐突に病気の名前を口にする。

 それほどに一樹には自信があった。映画など俗に見られるゾンビが口にするのが生きた人間の血肉だったからだ。

 だから、そのことを真紀に説明して見せた。



「ご存じの通り、ゾンビは生きた人間を襲って血肉を得ています。目的は、水分を取ること。それから、無意識にゾンビウイルスをばらまいているはずです」

「創作通りなら、そういう感じになるわね」

「でも、それだけじゃない。おそらくは、人間の肉からビタミンCなどを摂取して、脚気や壊血病になりやすい状態からどうにかなしているはずです」

「……そうか。ゾンビだらけの町になれば、摂取できる栄養素も少なくなるし、ゾンビウィルスが死滅したところで生還できるわけじゃない」

「ええ、その上噛まれた人間は当然の如く出血死でしょう」

「ん? ちょっと待って」

「なんですか?」

「そうなると、最終的にゾンビは死ぬってことよね?」

「ええ、そうなりますね」

「…………」

「………………」

「……一樹君」

「……なんですか?」

「風邪を引かせる必要性あるのかしら?」

「真紀さん、この話はゾンビが風邪を引くかどうかの問題なんです」

「そうね、当初からそういう話だったわね」

「ですから、そのあたりは大目に見てもらえませんか」



 と一樹が告げると、途端に真紀から溜息が漏れた。

 その意味がわからず、一樹はわずかに驚いた様子で訊ねた。



「え? ど、ど、どうしました……? 俺、なんか変なこと言いました?」

「いえ、何というかかなりお粗末な話になりそうだなと思って……」

「大丈夫ですよ! この話、死ぬことまでは前提にしてないし、もしそうだとしても風邪で死ぬというのは、あくまでも結果論ですから」

「……結果論ねぇ……」

「あ~信用してないですね!」

「当たり前じゃない。最初は面白そうとは思ったけど、まさかこんなくだらないオチに成り下がるなんて思いも見なかったわ」

「オチじゃないですよ。ちゃんと証明して見せます!」

「ホントにぃ~?」

「もちろんです。真紀さんのご期待に添えるよう全力を持って説明させていただきますよ」



 ホワイトボードに新たな文字を書き足す。

 それは、真紀の興味をそそらせるためである。そのためには、納得のいくような説明が必要だ。

 一樹は無い頭を振り絞って、白い板に自らの理論を書き連ねた。



「では、なぜゾンビが風邪を引くとゾンビウィルスが死滅するのか――この点について、俺なりの考えを述べさせていただきます」

「オッケー。じゃあ、たんまりとお願いするわね」

「ご期待に添えるよう努力します。まずゾンビウィルスというモノが人間にとってどれだけの脅威かを定義付ける必要があるんじゃないでしょうか」

「それについては同意ね」

「真紀さんはどう思います? 仮にゾンビウィルスなんてモノが存在したとしたら、それはどのぐらいの勢いで、どれぐらい人間に影響を及ぼすとか」

「そうねえ……。人間が噛まれて1日の間にゾンビになってしまうぐらいだから、ある程度即効性の毒を持っていると考えるべきじゃないかしら」

「潜伏期間はどれぐらいだと思います?」

「早くて2時間、遅くとも半日の間にはゾンビになってるんじゃないかしら。その間に人間という存在は死んで死後硬直と腐敗が始まるわね」

「……となると、ゾンビウィルスにとって新鮮な死体である方が感染する状態としては望ましいということになりますね」

「そうね。その状態がウィルスの活動にはベストということになるわね」

「よく考えると、腐敗が始まって水泡を宿してた状態で歩くなんて、歩きづらいとしか言い様がないですね」

「かもしれないわね。ホントにまともに動くかも微妙になってきたわ」

「それを踏まえた上でゾンビ化するのは、少なくとも人間が死亡してからの早い段階でと言うことになります」

「なるほど」

「じゃあ、今度はそのゾンビがいかにして風邪を引くかを実証してみますね」



 と言って、一樹は絵図を描き始めた。



「ちょっと待った!」



 ところが、そうした動きを阻害する声が上がる。

 声は乱暴なドアの開閉音と共に発せられ、室内に向かって大声で叫ばれた。当然、一樹の顔も、真紀の顔も、自然とそちらに向いてしまう。

 それほど、大きな音を発した人物は細身の低身長の女の子だった。

 首口に赤と黒のストライプの入った藍色のベスト。左右の髪をゴム紐で結ったツインテールは、まるで空に向かって吹き上がる噴水のように弧を描いている。

 残念なのは、ロッククライマーも為す術もなく落ちる断崖絶壁の胸。愛らしい童顔に見合った豊満さがあれば、数多の男を惹きつけていただろう。

 そうしたことに怒りを露わにするようにツリ目の少女は、扉を開くと同時に一樹の論理に異を唱える言葉を口にした。



「なによ、そのヒドい論理は!」

「いらっしゃい、菜穂ちゃん」

「ウィーッス」



 と一樹たちが挨拶した少女の名は『瀬尾菜穂』。

 一樹の同期でゼミも一緒。おまけに中学時代からの腐れ縁と言うこともあり、何かとゆかりのある少女だった。

 ただし、友人以上恋人未満である。

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