第3話 君の花

 次の日、学校から帰っていると思っていた通りメリアさんに出くわした。

「よっ」

「よっじゃないですよ。何で昨日は何も言わずに突然消えちゃったんですか」

「いやーりー悪りー。ちょっと急用を思い出しちゃって」

「もう……それでもせめて一言」

「悪かったって。おわびに練習に付き合ってあげよう」

「いやおわびになってないですよ……めんどくさい」

「いいから行くぞ。ほら!」

 そう言ってメリアさんは無理矢理僕を引っ張っていった。


 着いた場所は、村の外れにある原っぱだった。

「よし! じゃあ早速練習だ」

「……はあ……」

 僕は溜め息をつきながらも諦めてカバンを置く。

「どうせ意味無いのに」

「何か言ったか?」

「何も……で? 何をどう練習するんですか?」

「走り幅跳びで何が一番大事かわかるか?」

「さあ」

「それはな、ずばり助走だ! 助走で全てが決まるといっても過言では無いと思うのは私だけかもしれない」

「駄目じゃないですか」

「という訳で、まずは走れ!」

「走れって……どのくらい?」

「そうだな……まずは50メートル走でもしてもらって、ミスミの運動能力でも測るか」

「何で走り幅跳びに50メートル走……」

 と言いかけて、昨日自分がライラックに言った言葉を思い出した。

「位置について!」

「え? え?」

 僕は慌ててスタートの構えをとる。スタンディング・スタートってこんなんだったっけ……?

「よーい……」

 メリアさんはいつの間にかストップウォッチを手にしている……準備いいんだから。

「ドン!」

 合図と共に僕は勢いよく走り出した。

「ちょっ……50メートルってどこまで?」

「私の合図があるまで!」

 必死に腕を振る。普段から運動なんてしないから、こうして本気で走ることはまず無い。

「……はっ、はっ……!」

 何を必死になってるんだ僕は。どうせこんな事したって意味無いのに。頑張ったってどうせ着地点に降りる事は不可能なんだから。適当にやって適当に終えればいいのに。やるだけ無駄だ。疲れるだけ。それなのに何を必死こいて僕は。

「…………はあっ……はあっ……!」

 まだか? 50メートルってこんなに長かったっけ?

「ストップ!」

「はあっ! はあっ!」

 ようやく合図を聞き、僕は止まった。汗が凄い。息も苦しい。両膝に手をついて今まで走って来た道を振り返る。それはどう見たって……。

「ど、どこが50メートルだよ! 明らかに100メートル走だろっ!」

「いやーごめんごめん」

 メリアさんは頭を掻きながら近付いて来た。

「向こうから見ると距離感が麻痺してわかんなくなっちゃった」

「意味わかんねーよ! 初めに測っとけよ!」

「ごめんごめん」

 謝ってはいるが悪びれた様子は一切無い。

「きつかった?」

「当たり前だろ! 全力で走ったんだから!」

「へ~、そうかあ。全力でねえ」

「……何だよ」

「いいやあ、何でも」

 メリアさんは何だかニヤついている。何が楽しいんだか。

「それじゃあ、もっかいいくか」

「はあ? 今さっき走ったばっかしなのに、また?」

「おう! 帰ってくるまでが遠足だぞ」

「だから意味わかんないって!」

「よーい」

「ちょ、ちょっ待って!」

「ドン!」

 そんなに休む間も無く、僕はまた走らされた。さっきよりはペースは明らかに落ちたけど、それでも何とか走り切った。

「お~、よくやったよくやった」

「……はあっ……楽しそうですね……はあっ……!」

「はい、ご褒美」

 メリアさんはバッグからペットボトルに入った水を取り出す。僕はそれを受け取るとすぐに飲み干した。

「あ~あ、全部飲んじゃったのか。どうすんの、まだ練習は続くぞ」

「ほ、本気で言ってるんですか?」


 結局その後も6回走らされた。僕の体はもうボロボロだ。

「実はもう1本あったのでした」

 からかい顔でメリアさんはペットボトルをまた取り出す。ちゃっかりまだ1本あったのだ。やっぱり意地悪だ。

「きついか」

「そりゃそうですよ。日頃から運動なんてしないんですから」

 僕はもらった水を飲みながら答える。

「そっか……でも、全力で走ったんだろ?」

「そうですよ」

 メリアさんはまたニタニタしている。

「……何なんですか?」

「い~やあ、何にも」

「……?」

「よし、そろそろ帰るか。今日はここまで」

「……やっと帰れる」

 メリアさんは途中まで送ってくれた。昨日突然いなくなった場所、カリンの耕地まで。

「あれ、いつも耕してんの?」

 数メートル先には昨日と同じ様に土を耕すカリンの姿があった。

「そうですよ。毎日毎日。朝も夕方も」

「へ~……ミスミは?」

「僕はしませんよ」

「ふ~ん……よし、じゃ、また明日な」

「え? 明日もやるんですか?」

「当たり前だろ? 本番まで毎日やるぞ」

「ちょっ、ちょっと待って下さいよ! いくら何でもそれはきつすぎ!」

「男は根性だ」

「てか、せめて前日、いや3日前……いや1週間前まで!」

「3日前までな」

「ていうかそんなにこの村にいるんですか?」

「気にすんな。じゃ」

 今度はちゃんとあいさつをして宿に帰っていった。全く、人の話は聞かないし、意地悪だし、酷い人だ。ほんと、見た目は凄くいい人そうなのに。

 それからほんとに毎日メリアさんは現れ、僕を特訓に連れ出した。初めの1週間はひたすら走らされ、次の1週間はやっとそれっぽい練習をさせられた。原っぱにある高台から助走をつけて、そのまま下にジャンプする練習だ。メリアさんは速くなったななんて言ったけど、ほんとにそうなのかいまいち実感が湧かなかった。きっと適当に言ってるんだろう。

 本番の日はどんどん近付いていた。

「最近練習頑張ってるみたいね」

 ある日夕食の時に母さんが言った。

「カリンちゃんから聞いたわよ」

「……まあね」

 僕はむすっとして答える。

「? あら? どうしてそんな顔するの?」

「……別に」

「凄いわね、ミスミ。きっと跳べるわよ」

「無理だよ」

「……どうして?」

「さあね。とにかく、無理なのは無理」

「でも、練習頑張ってるじゃない」

「あんなの無理矢理だよ」

「そうなの?」

「だいたい運動得意じゃないし。1ヶ月前から急に運動し始めた所でたかが知れてるよ」

「そう……でも、お母さん信じてるわよ?」

「勝手に信じてて」


 当日まで2週間を切った日、メリアさんは突然現れなくなった。

「……?」

 ま、いいか。今まで毎日やらされてたし、1日くらいこんな日があっても。

 ところが、メリアさんは次の日も、また次の日も、そのまた次の日も、結局1週間ずっと現れなかった。

 ……もしかして、もう帰っちゃったのかな、アップタウンに。また何も言わずに突然……だったら、もうあんな練習しなくてもいいのか。よかった……いや、どうせならもっとアップタウンの事を聞いとけばよかった。結局最初に会った日以降一度も聞いてない。もったいなかったな。

「ふい~疲れた~」

 学校が終わった後何となくカリンの耕地に行き、しばらくその耕す様子を見ていた。カリンは一息つこうと僕の元へ歩いて来る。僕が座っているのは、いつもカリンが休憩の時に腰を下ろす大きな石だ。

「お疲れ。今日も頑張ってたね」

「うん。もうこれで種撒くの何度目だろ……今度こそ出てくんないかなあ」

「きっと出るよ」

 僕はカリンが土で汚れながら耕したり種を埋めたりしているのを何度も見てきた。だからほんとに心の底から芽が出て欲しかった。そしたらカリンは絶対喜ぶ。もしかしたら泣くかも。終いにゃ抱き付いてきそうだ。

「ミー君も練習頑張ってるもんね」

 カリンは笑いながら僕にそう言うが、ここ数日練習を全くしていない僕は少し申し訳無くなる。

「いや……まあ……」

「私信じてるよ。ミー君なら跳べる」

「またかよ……やめてよ。どうせ跳べない」

「何で?」

「どうしても。勝手に信じるなよ」

「信じちゃ、駄目?」

「……無理さ」

 僕は立ち上がり、歩き出した。

「あ、ミー君! 怒っちゃった?」

 ごめんな、カリン。でも、何でなんだ。母さんもカリンも、ライラも、クラスのみんなも。何で勝手に信じてるんだ? 僕が跳べる保証がどこにある? 足が遅い肩が弱い体も硬い。そんなまるっきり運動音痴のこの僕が、どうしてスカイ・ホルダーを跳べる?

「あいたっ」

 なんて考え事をしていると、また誰かにぶつかった。

「サボったな、お前」

「!」

 メリアさんだった。1週間振りにメリアさんが僕の前に現れた。

「……ええ」

「何でサボった?」

「……メリアさんが来なかったから」

「私のせいか?」

「……何が言いたいんですか?」

「お前が練習をサボったのは私のせいかどうか聞きたいんだ」

「……自分のせいじゃないって言いたいんですか?」

「……」

「あなたも勝手だ。勝手に特訓だとか言って勝手に引っ張って、それで勝手にいなくなったかと思ったらまた勝手に現れた。もう僕をほっといてくれ」

「……そうだな、私は勝手だ」

 メリアさんは僕の目を真っ直ぐに見てきた。少し沈黙が続いた。

「だけど、お前も勝手だ」

「……!」

「お前、まだ自分が出来ないだの無理だの弱音吐いてんだろ」

「……弱音吐いちゃいけないんですか」

「いいよ。いいけどお前の場合は、まるで吐くのを止めようとしねえ」

「だって、無理なのは無理」

「そこだよ、そこが勝手なんだよ。そうやって勝手に決めつけてはい終わりってか」

「……」

「ミスミ、私も信じてる。お前が跳べるって事。私だけじゃない。お前の母親もお前の友達も学校の先生も、みんな信じてる。けど、たったひとり信じてない奴がいる。わかるか?」

「……」

「お前だよ。私達がいくら信じたって、お前自身が信じてやんないと、そりゃ無理だわな」

 ……メリアさんの言葉が胸に刺さった。メリアさんが言った事、それは、メリアさんと出会った時から少しずつ感じていた事だったのかもしれない。

「……あの時、僕はまだ幼かったから何にも覚えていない。でも、あの日だけは覚えてる」

「……?」

「あの日、オーバー・ブレイクが起こったあの日、崩れていく建物を見ながら僕は感じたんだ。ああ、こうやって、簡単に壊れていくんだなって。何もかも。この星でさえも。それから……何だろう、何かが抜け出ていった様な、そんな感じ。アップタウンに行けば何かが変わる様な気がした。建物も高い。『電車』も『信号』もある。空も広い」

「……変わんねーよ」

「……」

「環境が変わったって、住む場所が変わったって、お前自身が変わんねーと何にも変わんねー」

「……変わるって、どうやって」

「簡単な事さ。お前、全力で100メートル走ったろ」

「……うん」

「そういう事なんじゃねーの。よくわかんねーけど」

「……」

「今はそうでもねーだろうけどよー、いつか、お前が大人になった時、どうしようもないくらいヤバい状況になる事があると思うんだ。今なんかよりずっとな」

「……」

「そん時にお前を信じられんのは、お前しかいねーんだぞ。お前のど真ん中がお前を信じ抜いてやんないと、枯れちまうぞ、お前の花」

「僕の……」

「枯らすなよ、もったいない」

「……」

「今日は練習中止だ。また明日な。あとちょっとだけだけど、まだまだ時間はある」

「……メリアさん……」

 もしかしたら、メリアさんは昔、今言ったような状況になった事があるのだろうか。自分ひとりだけが自分を支えなければならない様な状況に。

「ミーくーん」

「! カリン」

 カリンが追いかけてきた。さっきあんな別れ方をしたから、気になって来たのだろう。

「ミー君、ごめんねさっきは」

「いや、あれは僕が……」

 この時僕は改めてカリンに向き合った。

「ごめん、信じてて、僕の事。僕も、信じてみるから」

「うん! もちろん! ミー君は跳べる!」

「……ありがとう。あ、そうだ、この人は」

 今度こそメリアさんを紹介しようと振り返ると、やはりその姿はどこにも無かった。

「? ……この人って?」

「……またあの人は……」

 次の日になるといつも通りひょこっとメリアさんは現れ、僕は特訓を再開した。もう、スカイ・ホルダーはすぐそこまで迫ってきていた。

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