第5話 脱出はドライに考える

よく、毒親の支配を受けている人が言う言葉があります。


それが「お父さん(もしくはお母さん)が、かわいそう」です。


ひとりにしたら寂しくなる? 味方がいなくなる? 親を助けるのが子の役目? やっぱり家族の絆が大事?


とんでもない。


誰かを本当に支えることができる人間であるためには

助けを求められたときに助けられる人間であるためには

真の意味で味方であるためには


強くなければいけない。


強くなる、とは、「自分が孤独であることを認めること」でもあります。それは、「あなたもさみしいだろうけど、私もさみしい。でも、かわいそうじゃない」ということ。親も子も、いろんな角度から見た時にフェアでなければならない。


親はかわいそうではありません。もっと、この件に関しては“感情を排除して”考えていかなければなりません。


〇毒親の支配から共依存


「この人は、私がいなければ生きていけない」


確かに、人の助けを借りなければ生活できない人はいます。いくら健康な人であっても、誰の手も借りずに生きる、ということはありません。赤ん坊だった時分は、誰もが誰かの手を借りて生きてきました。


しかし、冷静になって考えてみると「この人しかできない仕事」という仕事を作ってしまうことは、大変荷が重いことです。


ところが、毒親関係に落ちた親子は、時にそこから“共依存”に発展します。親は子を求め、子も親を求めるのです。


これはお互いに「あなたでなければ」という荷物を擦り付け合うことによって、ギリギリの心理状況で繋がっている関係です。しかも、お互いに苦しいのにやめられない。


実は、私の妹と母親が共依存関係です。妹にとって母は神様のような存在で、母親の言葉がすべてですし、母親がいなければ生きていけないと思い込んでいます。


また、母は母で、妹のことを面倒だ、邪魔だ、と思いながら、生きる目的を妹の世話に見出そうとしています。さらに、妹を毒によって支配している関係上、少なくとも他人よりは都合のいい存在なので、わがままを言いやすい、八つ当たりしやすいのです。


妹は中学から不登校、まともに仕事に就いたこともなく、もう20代後半になりました。精神疾患ということで病院に通って生活しています。


彼女たちは、私のことを「鉄の女」だとか「冷酷非道」だとか、「血も涙もない奴だ」と批判していましたが、私からすれば、お互いを「かわいそうだ」と評価しあう母と妹のほうが、よほど残酷な関係だと思っています。


彼女たちに関しては、また後日書くことにしますが、毒親というものは、とても湿った、粘着質なものだと思います。


物事を整理し、あるべき場所に片付け、進むべき道に進むためには、ウェットな感情をとっぱらい、ドライに考える必要があると思います。


目の前にいる人を指差して「あなたってかわいそうね」などと、私は口が裂けても言えません。少なくとも、侮辱する意味以外では。


問題を明確にして、具体的に解決していかなければ、おそらくずっと迷子のままでしょうし、同じ苦しみを味わい続けることになるかもしれません。


この「毒親問題」と向き合うことに関しては、なるべく単純化し、人の目に見えるような形で、物理的に解決していくことを目指すべきでしょう。


ということで、「親をひとりにしたらかわいそう」ということはありませんから、ご安心ください。人はみんな、ひとりで死にます。育ててくれたことに恩を感じるのなら、その恩で社会貢献した方がよほど利口です。


つづく


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