第2話 私はあんたの親じゃない
こんにちわ、しろまるです。
ここでは、私自身の毒親体験を元に、毒親からの脱出法を考えるエッセイを書こうと思っています。
さて、ふいに思い出したのが、「母親の甘え」です。思い出してみると、うちの母親はどうも、精神的に幼い印象がありました。
実家(私にとっておばあちゃんの家)に行くと、いつも自分だけVIP席に座り、タバコをふかし、全体を見渡していました。まるで「ここでは私が一番よ」とでも言いたげな様子でした。
家でも、私(長女)に家事を手伝わせるのはもちろんのことで、「長女は親の言うことを聞くのは当たり前」といつも言っていました。そのため、ふたりいる妹は家事などろくにできません。
〇毒親は自分の子に甘える?
肉体的暴力も、精神的暴力も、根元を見るとそこに「甘え」があるような気がするのは私だけでしょうか。
親というのは、こどもを育てる関係上、確かに優位な立場にあります。そのため、子にとって支配的な面で出てしまうものですが、もし親が子に「母性」を求めたら、子はそれに応えなければならなくなります。
つまり、文句を言えない相手に、「自分の親になることを要求する」のです。
たとえば、拳銃で脅して連れてきた見ず知らずの人を監禁し、「お前は今日から俺の母親になれ!」と脅せば、その人は母親役を演じなければならなくなりますが、それと似たようなことが、暗黙の了解の中に、家庭内で静かに行われているのです。
子が自分の親の親になることはできません。
ということは、そこには無意識に「無理」が生じ、そのしわ寄せは子に向かいます。
そんなこんなで、私は小学生くらいから「母の親であらねば」と「私はまだこどもなのに誰にも甘えることができない」さらに「無理をしているのに誰にも気が付いてもらえない」などの複雑な心境で、それらを「原因不明の苦しみ」として抱えてきました。
母親のお腹に戻ることはできませんが、それと同じくらい、こどもが自分の親の親になることはできません。不可能です。
なぜ幼い子供が、自分の親の親を演じなければならないのでしょうか。
過去あった、数々の母親のわがままを思い出してみると、本当に幼稚なものばかり。もちろん、大人になってもわがままは出てきますが、それらはある程度我慢したり、自分で解決したりするものです。(自分が大人になってみて、わがままはコントロールできるもんだと実感した)
機嫌が悪いことによる八つ当たりなども、母親のわがままだったんだな、と思うと、いちいち怒鳴られるたびに「何か悪いことをしちゃった!」と反省していた心の消耗は、なんだったんだろう、と思います。
母親の顔色を伺いながら生きる道しかなかった私たちにとって、それらの「甘え」に「応える義務はなかった」と思い知ることで、肩の荷が少し降りるんじゃないかと思います。
つづく
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