第9話 踊りの認識
人族と翼晶族は、踊りひとつ取っても違う。何故ならば形態、リズム、動きが大きく異なるからだ。
見た目が似ていても、骨格や筋肉は物理的に違う形をしている部分がある。主に彼等の立派な翼のつけ根や鋭い歯、そして足の先、胴体の骨の一部。
人族は踊る時に身体を回転させはしても、翼晶族のように跳ねたり空中を舞わない。また、翼晶族は人族のように足運びを重要視しないし、どちらかと言えば翼の動かし方が重要だ。男女の躍りの場合、『男が女を軸にして踊る』ものだという。
人族の世界では、神に捧げる踊りとその他の踊りははっきりと線引きがされている。一方翼晶族にとっての踊りは、古来より特別なものだった。その身に、翼に、天空神の力である風を纏う行為でもあるためだ。神に捧げるもの、あるいは婚姻を申し込む時のもの、戦の前の呪い。今まではそうだった。しかしこれからは、多様なものになりつつあるかもしれない。
「我が空より賜わりし名、ミスミア・ル・ヤヤック=フアル。情熱的な夕焼けの毛並みのお嬢さん、私と踊ってくださいませんか」
ローザ・ユーステットは困っていた。
腰の締まったドレスと踵の高い靴は、彼女にとって窮屈で扱いづらいものだった。こんな場所にはとても長くは留まっていられない、と彼女は思った。いつもの防具や剣を身につけていない事も、落ち着かない理由のひとつだった。しかし料理や内装にまで興味が持てない訳ではなく、柱に刻まれた不思議な模様を近くで眺めてみたり、食べた事のない料理を貰ってみたりなどした。緊張する場ではあるが、そこで少し心が安らぐ。重役達の開会の言葉を乗り切り、弾ける乾杯の音頭、貴族と騎士達の挨拶合戦を往なし……ようやくだった。
だが平穏は長く続かなかった。そうこうしている内に踊りの時間になっており、黒い翼を持つ翼晶族の男に声をかけられてしまったのだ。彼はローザの周囲を一周してから、教国式の一礼をした。彼が何かしら動作をする度、翼の表面に緑色が浮き出し、細かい光の粒となって滑って行く。特別な油か何かを塗っているのだろう。浅黒い肌に真っ黒の瞳、不思議な台座と緑色の石の耳飾り、赤と金を基調とした異国情緒溢れる教国衣装。とても美しい。男はローザと目を合わせ、少し微笑んだ。それからは何故か、ローザの足元を眺めている。
「ええと」
踊って欲しいと言われた。しかも人族でない男に。何年もやっていないため、ローザは踊りに対する自信を失っている。自信も何も、子どもの頃の記憶と経験しかないのだが。
ローザはもう子どもではないため、踵の高い靴を履いている。もし相手の足を踏みでもしたら、台無しにしてしまうかもしれない。目の前の相手は恐らくどこかの、王国で言う貴族に相当する地位だ。対するローザはかつて国を失った女であり、風晶騎士団に属するごく普通の下級騎士だ。彼の相手をするには、もう少し良い婦人がいるのではないだろうか。互いの国を尊重しつつ自由に踊っていい会との事だが、慣れていないローザは自由にと言われても逆に困ってしまうのだ。
「人を、探していまして」
黒い翼の男は、食い下がっては来なかった。ただにこやかに、ではまた別の機会にと言った。余裕のある紳士だと思う。
現在ローザは、集団と離れたところにいた。また声をかけられないよう気配を消しつつ、テラス際まで到達する事に成功した訳である。熱気と香水と料理の匂いが、詰まりに詰まった屋内から退散する。開け放たれた扉から離れると、楽隊の奏でる音楽が小さくなっていく。目の前のちょっとした階段を降りれば、いよいよ月の下だ。暖色系の灯りに慣れきった目では、晴れた夜空とは言え外はやけに暗く見える。一歩、二歩と踏み出すと、足先から順に夜へと包み込まれていく。
月明かりの元にさらされた夜会のドレスが、淡い水色に光る。
歩きながら辺りを見渡し、すぐに平たい石が敷き詰められた小道を発見する。辿ってみれば、草花と低木が植えられた中庭へ続いていた。土と植物の匂いが優しく漂って、自然のままの空気は透き通っている。
喉と肺が洗われる気持ちがした。穏やかな風で、葉と葉が擦れる音が聞こえる。まるで何かを囁いているようだ。
散歩がてらしばらく歩いて、ある場所でローザは足を止めた。置かれた椅子の上に、灰色の塊が鎮座している。ようやくムイを見つけた。何処に行ったかと思えば、こんなところに一人でいたらしい。抜け出すなら自分にも一声かけてくれてもよかったものを、とローザは思った。名を呼ぶと、翼を後ろに退けながらこちらへ顔を向ける。普段より小綺麗な教国僧の装束を着ているが、やはりムイだ。顔にはいつもの分厚い眼鏡をかけている。普段の素行を知らない者が見れば、地味だが真面目そうな聖職者と映るかもしれない。
しかしこの男ときたら、真面目という言葉とは程遠い存在である。今日は公的な場所へ出る日だから、仕方なく気合いを入れて整えているだけだ。悪びれもなく酒を飲むし、鳥は食う、聖なる本も俗な本も等しく読む。いつも胡散臭い微笑みを浮かべ、口を開けば敬語にも関わらず何だかふてぶてしい。
閑話休題。ローザは歩きづらそうにしながらも近づき、ちょうど隣に置かれていた椅子に座った。
「向こうへ行って、誰かと話さないのか」
「ああいった華やかな場所は苦手でして」
「それだけか?」
「偉い人がうじゃうじゃいて、面倒臭いんですよねえ。あと御婦人方の香水が、料理の匂いと混ざって……」
ムイは途中で言葉を切り、辟易とした顔で口をつぐんだ。まだまだ小言は出てきそうだが、あげて行けばはっきり思い出すため嫌になったのだろう。言いたい事はローザにも分かる。
ムイとローザは、とあるパーティーに来ている。グーネガルドという街の、迎賓館で開かれたものだ。躍りや食事を通して、王国と教国の理解を深めようという意図の催しだった。そういった会なので、グーネガルドに本部を構える風晶騎士団にもお誘いがかかった。二人の所属する秘密部所は、騎士団長ウァシニに同行する事になった訳だ。肝心のウァシニは、偉い人間達との交流に忙しいらしい。相応の立場だから仕方のない事だ。これだけ人がいると知り合いを探すのも骨が折れる。宴の終了時間まで、各個こなしていくしかない。
「しかしまあ、馬子にも衣装と言いますか」
「お前は何を着ても全然変わらないな。着られた衣装が可哀想だ」
「何て事言うんです」
「それは私とサミンの台詞なのだが」
「何故そこでサミンが」
突然サミンの名が出たため、ムイは困惑の表情を浮かべた。
舞踏会に出るならば、それなりの衣装を用意しなければならない。ローザは数日前から、どのような物を用意すべきか考え始めた。だが彼女はその辺りの事になると疎い。かと言って何かにつけてムイに同行して貰うのも悪いし、女性の服やらに関する適切な助言は絶望的に望めない。そんな訳で一人グーネガルド内の服屋を回っていたところ、同じ目的で服を探していたサミンと出会った。
サミンは快く共に探してくれ、ローザもまた彼女の相談を受けた。偶然サミンと会わなければ、いいものを用意できなかっただろう。そんな経緯を最初から説明するのは面倒なので、うやむやにして流してしまう事にしたローザだった。ムイは気にしていないようだ。
「一回くらい踊りました?」
「いや」
「せっかくなのに勿体無い。いるでしょ、その辺に。若くて毛色の綺麗な、今風の男が」
「話しかけづらい」
「いやいや、こういう時女性から誘うのはマズイですよ。声かけられませんでした? 貴女の毛色なら、向こうから勝手に寄って来ると思いますけど」
「逃げた」
「何でですか……」
それを聞いて、灰色頭が糸の切れた人形のように落ちた。両の翼までが脱力し、先が地面についている。背骨のしっかりしない魚のような動きで、脱力したまま天を仰ぐ。
「ちなみにどんな感じの奴でした?」
「黒い翼を持っていて、肌は浅黒かったな。真っ赤な服を着ていて……ミスミア何とかかんとかフアル……と名乗った」
「出たー幼女趣味の腐れ野郎。幼気な幼女達に飽きたらず、今度は人族の若い娘を……やはり世界平和のためにはいっぺん風に戻って頂くしか」
成人なのに幼いと表現されるのも不思議な話だ。確かに、長命種族である翼晶族から見れば、人族の二十歳程度幼児も同然なのかもしれないが。
「知り合いなのか?」
「知り合いな訳ないじゃないですか。庶民の聞いた風の噂ですよ。知り合いな訳ないじゃないですか」
同じ言葉を二度も繰り返すなんて、珍しい事だ。
「とにかくねえ、貴女若いんですから、色々経験しておいた方がいいですよ」
「じゃあお前、私と踊ってくれないか? よければ、祖国の躍りを教えてくれ」
ムイは突然顔を向け、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。ローザが今まで見た事のない表情だった。何故そんな反応をされたのか理由を探している内に、いつもの人を食った風体に戻ってしまう。ローザが尋ねようとした矢先、被せるようにしてムイが口を開いた。椅子の上で胡座をかき、半笑いをしながら頬杖などついている。何だか腹が立つ。
「えー? こんな爺と踊りたいんですか? 若者と踊らないで? 物好きですねえー」
「あそこには戻りたくないし、他にいないしな」
「まあいいか。教えてあげますよ」
ムイは椅子から立ち、数歩離れた開けた場所へ移動する。ローザもついて行く事にした。本当は家族とかで練習するものなんですけどね、などと言いながら、肩を上げたり下げたりしている。手合わせでないのだから、少し大袈裟ではないだろうか。
「まず男が目当ての女性を見つけたら、回りを一周……正面で名乗り、お辞儀をします。我が名、ムイ・ガ=ライオ。私と踊ってくださいませんか。これがお誘い」
ムイは言葉を動作でなぞりながら、ゆっくり説明してくれる。翼を膨らませて少し浮き、ぐるりと回ってローザの前に降り立つ。
「見届けた女性はお辞儀して、自分も名乗る。それから、この男と踊りたいか、踊りたくないかの合図をします。右足の爪先で地面を二回軽く叩いたら了解、左足の爪先で地面を一回軽く叩いたら嫌です」
黒い翼の男は、それで足元を気にしていたのだ。今更理解するローザだったが、知らなかったから仕方がない。言われた通り、素直にやってみる事とする。ローザはお辞儀を済ませてから右足を上げ、地面を軽く二度つついた。
「私はローザ・ユーステット。喜んで」
向かい合ったまま沈黙が流れる。遠くで謎の虫の鳴き声がした。時間が経つにつれて気不味くなって行くので、数十秒後たまらずローザは口を開いた。
「それで、どうすればいいんだ」
ムイは返事をしなかった。ただ腕組みをして、難しい顔で俯いたまま石のように固まっている。
「おい、ムイ」
「黙っててくださいよ。今考えてるから」
「呆れた。経験した方がいいとか、教えてやるとか、自信満々に言うから慣れているのかと思った。もしかして、お前も踊りが苦手なのか?」
「あー分かりましたよ、白状します。誘い方とかの知識はありますが、実際は一度も踊った事ないです」
「実は私も、幼少期の頃の体験しかない」
「駄目ですね」
「駄目だな」
ローザは答えながら、いつもより少しだけ顔の筋肉が緩んだ気がした。ムイは返事の代わりに頭を掻いて、犬に似た歯を覗かせながら笑う。やはり自分達には、仕事の方が合っているのだろう。
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