第4話 山神殺し

「俺は反対だ。そっちの汚ねぇ鳩野郎から悪いもんでも落ちて、余計に山が穢れたらどうするよ」

 最初に意見を言ったのは、一番若手のアルシルだ。野犬のように目付きの鋭い男で、睨んでいるかのような視線は一時もやわらがない。若手と言っても猟師界隈では二十歳やそこらの人間ではなく、三十代四十代はざらの事だった。狭い集会場の小さな机を囲んでいるのは、周辺山中での猟を生業とする男女達だ。彼等の全視線が集まるところが、琥珀色の瞳と赤銅色の髪を持つ女騎士ローザと、褐色の肌と灰色の翼を持つ翼晶族の僧侶ムイだったのである。



 指令を受けてヤゾック谷にやってきた二人だったが、住人達はムイが異教の宗教家と聞いてよい思いはしなかったようだ。それに異種族に対して不信感を持っていたし、自分達だけ何とかすると言ってこちらの話を聞かない。人口が少なく閉鎖的な辺境では、よくある傾向だ。青々とした山並みが美しい村だ、とローザが思っていたのも最初の内だけだった。王国と風晶騎士団からの書面を見せて説得の末、とりあえず入れて貰ってからの重い沈黙である。ローザにとって、恐れていないふりをするのも一苦労だ。屈強な猟師達に囲まれ無言で睨まれるという状態が、狼の群れと対峙した兎になった気分だった。おまけに元締めは、全身毛深い事もあり熊に似ている。

一番奥のいい椅子に座して、周りの意見が出切るのを待ち、先回りして口を出したりする様子を見せない。

 傍らのムイを盗み見ると、いつもと同じように平然としている。思えば村に来た時から、もうずっとこんな調子だった。表面上はだらしなくへらついているのに、中身の方は全く得体の知れない男だ。彼の言動の出どころを、ローザは未だに理解ができていない。身体的特徴を侮辱されたのだから、ここは怒りたいところではないだろうか。翼晶族は翼を誉められるのが栄誉であり、逆に翼を貶されるのを最も嫌うという。

しかしムイはまた、ローザの予測とは違う反応をする。いつもと同じように柔らかく表情を崩し、後頭部に片手を当てながら侘び始めた。

「これは失礼しました。清潔にしてるつもりなんですが」

「赤毛のお姉さんよ、山に関わるんならこの鳥人間を一回頭から爪先まで丸洗いしな。まあ、関わっていいかどうかを決めるのは、あたしらだけどね」

 次に口を開いたのはマヤサだ。彼女は椅子の上で姿勢を直し、腕組みをする。その時ローザの視界に入ったのは、右腕に残っている大きな傷跡だった。ムイの発言がたびたび無視されたりするのが気になっていたが、今の段階で難癖をつけては台無しになりかねない。もっともローザも、翼に関する不用意な発言を数度した失敗があるので、他人の発言をどうこう言えない立場だった。今では知識を得たのでそんな事は言わないが、前もってはっきり言ってくれれば気をつけたのにとは思う。

ともかくここは、大人しく要求を飲んでおこうとローザは判断した。

「分かった。洗う。だから、話だけでも聞かせて欲しい」



 ヤゾック谷の住人曰く、突然風が同じ方向からしか吹かなくなったという。何百年も変わらず一定の循環をしていた風が、ある日を境に山から平地に向かってのみ吹き始めた。不気味なその現象は、未だに続いている。山を怪しんで見に行った敏腕猟師達第一陣が、未だに一人も帰って来ないらしい。我慢の限界に達した若手達独自で調査に乗り出したのはいいものの、殆ど収穫がないまま何週間も経ってしまっていた。

古ぼけた集会場に残されたのは若手集団と、猟を学習中という駆け出しの面々。若手衆の背後には、女子供と老人がいる。彼等には時間がないが、調査に行った者がほぼ帰って来ない、もしくは痛手を負って帰ってくる。敵の情報を集める時点で手間取っていたのだ。しかも問題はそれだけではなかった。

「ウーヴォー様が昨日、殺されたんだ」

 マヤサの隣のパハジが、沈痛な面持ちで呟く。白髪混じりの髭を蓄えた小柄な男だ。ローザ達に説明する間、所在なさげに己の顎髭を弄り続ける。


「ウーヴォー様っつうのは、いつだったかこの谷に現れた大角獣の事でな。立派な角と黒毛が美しい、熊よりでっけえ角獣だった。ウーヴォー様が現れてから、熊も麓に寄りつかなくなって、谷は平和だったんだが……」

 どうやらヤゾック谷は、住人の守護神とも言うべき獣を殺されてしまったらしい。面倒な相手がいなくなったと熊達に気づかれれば、縄張りを回復するために戻って来てしまうかもしれない。そうなれば、山の調査はますます危険なものになるだろう。ローザが思っていた以上に、切羽詰まった状態のようだ。言葉に詰まったパハジの変わりに、マヤサが続きを話し出す。

「ウーヴォー様が殺されてた場所を遡ったら、ずっと奥まで草と低木が薙ぎ倒されててね。巣かなんか見つけられるかと思ったけど、途中で幽霊みたいにフッと消えてんだ。足跡もない。あたしらの知らない生き物が、山の外から来てる。恐らく一匹」

「この山に何かヤバイもんがいるのは分かるんだが、よく分からねえ。マヤサの言った通り巣らしきもんも発見されてない。山のもん以外の糞とか、そういったのも見つかってない」

「そうそう、赤黒い炎を見たって事しか。ジャーヴィスが、逃げるヤツに一回矢を撃ってみたけど手応えが全然なかった……って言ってたな。正体か習性が分からないんじゃ、罠の仕掛けようがないんだよ。俺達無闇に山を傷つけたくないしよ」

 数人の話が終わった頃合いを見計らって、ムイが口を開く。

「山にはどんな動物がいますか? 危険な動物、植物、虫、他に注意すべき点は?」

「まさか鳩野郎、ここまで聞いても今の山に入るってのか」

「神にお祈りでもすんのかよ。祈るだけの役立たずなら、俺たちゃ要らねぇぞ?」

「進退窮まってどうしようもなくなったら、する事になるでしょうね。私の神は、怠惰な者に御手は差し伸べられませんから」

 そう言うなり机に両手を置き、力強い動作で立ち上がる。つられてローザは、産まれつき褐色に染まった横顔を見上げた。

「言っておきますが、教国僧侶の修業の場は山です。根性なら自信ありますよ。ですが、山によって性質は全部違う。この山に関する事を私は何一つ知りません。しかし貴方がたの敵を倒す方法は知っている、それから、戦う腕もそこそこあります。使える武器を使おうとせず根性だけで押しとおるなんてのは、早く死にたい奴か馬鹿のやる事です。皆さんはどうです? もちろん違いますよね? 私も馬鹿ではないですし、まだ死にたくありません」

 ムイは己の馬鹿発言に対する反応を返される前に、一気に最後まで言い切ってしまう。


「余所者だからこそ見えるものと、できる事があります。

余所者の私なら、新しい解決法を試す事ができるんですよ。どうか意固地にならず、拙僧という武器を一回使ってみてくれませんか。これはこの谷を知り尽くした貴方がたでないと、解決できない事件です」

 そうして誰も、言葉を発しなくなった。猟師達はなかなか警戒心を解かない。人の心は数時間足らずではそうそう変わらないものだ。しかし元締めの一声で、状況だけが少し変わった。

「へえ、言うじゃねぇか若ぇの。それじゃ、その根性と腕を見せて貰おうか。なあ、お前ら」

 元締めは髭だらけの口を歪め、ほんの少し歯を覗かせた。



 話し合いとは名ばかりの押しつけ合戦の末、余った部屋を所有するというマヤサ宅にお世話になる運びとなる。二人ともこういう扱いには慣れているし、屋根も食事もくれると言うしありがたいと思っていた。いつもは煩くて仕方ないムイが無言だったので、マヤサに連れられて歩く間はとても静かだった。ただ、虫の声だけが響いている。

 大きな葉が生い茂る畑が点々とあり、その畦道を縫うようにひたすら歩く。畑ではいつ頃何が収穫できるのか、農作業に疎いローザは知らない。

昼間は青々として揺れていた草木も、淡い月明かりの元では黒く夜に沈む。マヤサが手に持つ灯りだけが、人魂のようにゆらゆらと前を行く。

同じ方向からの風が、疲れた身体を撫でていった。すっかり暗くなった田舎の空は、光度の低い小さな星もよく見えた。

 集会所を出て十分離れたところで、マヤサが独り言のようにごめんと謝ったのが、ローザの心にやけにはっきりと印象を残した。それっきり、マヤサはまた無言になる。何に対して発したのか分からない言葉だった。ローザ達は何も言えないし、何か言っただけで何かが変わる訳でもない。それに、彼等だけが悪いのではなかった。いつもはなるべく返事をする傾向のあるムイも、今回は黙って曖昧にやり過ごしていた。マヤサは家に一人で、中はとても片付いており、彼女の料理は美味しかった。会話は特に弾まなかったが、三人でごく普通の話をした。



「さてと、お言葉に甘えて机をお借りしますか」

 ムイは空き部屋に入るなり、机について何かをし始める。ローザが近づくと、不思議な形の紙や教国製筆記具などの材料を並べているところだった。明日の準備というやつらしい。

椅子に浅く腰かけているのは、翼が背もたれに引っかかって邪魔だからだろうか。ローザは自分のベッドに入る前に、せっせと動く灰色の塊に声をかける。

「今日は凄かったな、お前」

「何がですか?」

「酷い態度を取られて悪口も言われたのに、冷静に言い返して。荒くれの猟師達を最後に頷かせてしまった。お前がいなかったら、絶対駄目だったと思う」

 ムイが彼らから受けた言葉は、種族と職業を酷く愚弄するものだ。もしかしていよいよ怒り出すのではないかとローザははらはらしていたが、どうやら杞憂だったようだ。ムイは作業の手を止め、驚いた顔をしてローザを見た。

「えっ、あれ悪口だったんですか」

「えっ」

 返ってきた言葉はローザにとって予想外のものだった。お互いに顔を見合わせたまま、数秒間固まってしまう。ローザの反応が面白かったのか、ムイは呵々大笑した。眉根を寄せるローザを尻目に、肩を震わせて長々笑いを堪えている。何故笑われているのかよく分からないし、心配した自分がまるで馬鹿のようだ。この男のこういうところに、何だか腹が立つローザだった。

「冗談です。私だって、最初から全部気づいてました。でも猟師に愛想を期待するなんて無理でしょう」

 それに天空神様が大地を荒らしてしまったのは事実ですし、とムイは続けた。

準備体操のようなものだろうか、両手の指同士を合わせて揉んでいる。

「先に寝てていいですよ。ちょっと時間がかかりそうなので」

 作業に戻ろうとする彼を、ローザはもう一度呼び止める。

「なあ、ムイ。神は怠惰な者には手を差し伸べないとか言ってたが、あれはどういう意味なんだ」

「あれっ? ローザさんもついに、宗教に興味が湧いてきちゃいました?」

 振り返ったムイは、背もたれに片腕を回して寄りかかる。いつでも貸しますよ、などと笑顔で言いながら分厚い経典を差し出してきた。ローザは片手で押し返す。そもそも憎むべき対象を信仰するなど、彼女の中であってはならない事だ。少しでも多くの情報を得るために読んでみてもいいのだろうが、そういった気分にはなかなかなれなかった。

「いや。ただ、それだけ少し気になっただけだ」

 ムイは一度で素直に引き下がる。経典は、机の端にそっと置かれた。

「何て事はありません。ただ口開けて待ってるだけの奴にツキは回って来ない、ってだけの話です」

「結構普通の事だな」

「結構普通の事なんですよ」

 それなりに納得したローザは、仕事の邪魔をしないよう先にベッドに入る事にした。

大きさは少し小さい感じがするが、二台あるのでちょうどいい。横になると、何かが古びた臭いがツンと鼻を掠める。天井に見つけた大きい染みを眺めながら、明日は大変な一日になりそうだ、と考えている内に目蓋が落ちた。



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