第3話 風晶騎士団


 最近では以前にも増して、王国内で翼晶族の姿を見かけるようになった。目の前を行き交う色とりどりの翼を眺めながら、机に座すローザは思う。屋外へ出ればもっと沢山の翼晶族の姿が見られるだろう。

グーネガルドと名づけられたこの街は、二種族の共存が可能かどうかを探るため試験的に設けられた特別区画だった。王国領土内であるため王国側主導で管理運営を担当しており、風晶騎士団の本部もここへ置かれている。教国側にも試験的特別区画があるらしいが、ローザは一度も行った事がない。



 ともかくローザは今、王国騎士団本部内にいた。共に仕事をしている相棒よりも先に事が片づいたので、共同休憩場所で座って待っているところだった。軽く頬杖をつき、軽い資料に目を通しながらすっかり温くなった紅茶を口に運ぶ。王国と教国が資金を出し合って作った施設なので、何処へ行ってもそれなりに狭くなく、全体的な設備もいい物が揃っている。なんと言ってもこの騎士団は、王国と教国の友好的象徴のひとつなのだ。


 ひとつ息をついてから紅茶を置いて、背もたれに寄りかかり天井を見上げる。天井には美しい絵画が描かれていた。母なる大地の女神と父なる天空の竜神が、大地と空の恵みの中で手を取り合う様子だった。

風晶騎士団の志しを表した絵画だ。昔から大地は地母神が、空は天空神が、海は大海神が作り出した世界であると言われ、それぞれの種族はそれぞれの世界でお互い干渉せず生きてきた。それぞれの種族の生贄と引き換えに、恵みと加護に守られて生きてきた。今ローザの目の前で、大地と空が優しく触れあっている。双方の宗教画家が協力して描き上げたという話だが、世の中なかなかこの絵のようには行かない。そもそも二神が触れ合ったせいで、天空神が地上に降りたせいで厄災が起こったのに、その辺りの事がまるで隠されている都合のいい絵だとローザは思う。厄災以前までは、晶鬼など地上に存在しなかったというのに。


 互いの存在を認め真の意味での信頼関係を築くには、まだまだ長い時間がかかるだろう。空を飛べないからと言って人族を見下す翼晶族は少なくないし、翼晶族が昆虫に似た生物を食べるのを気味悪がる人族も多い。寿命の違い、身体構造の違い、宗教の違い、食文化の違い、言語の違い、各種感覚の違い。ローザとムイも同じだ。お互いいくらかそれなりの修羅場は抜けてきた。しかし、本質的な事柄に関してはまだ分からない事が多い。ただ翼があるかないかだけでこんなにも似ているのに、皮を一枚捲ればあまりにも違いすぎる。そして、大地で出現する晶鬼に関する嘘誠入り交じった噂の数々だ。噂は時に、差別と偏見を生む。

王国が隠している晶鬼の正体についても、いつまで曖昧にしていられるか分からない。この立派な建造物と風晶騎士団の存在は、二国間の上層部によって取ってつけられた夢想的とも言える飾りに過ぎない。

少なくとも、現在の時点では。


 ムイはまだ、待ち合わせ場所に帰って来ない。今回の旅の中で回収した翼晶を、しかるべき所へ預けに行っているところだ。そこから晶氣船という空を飛べる船に乗せられ、教国の各寺院へと戻されるらしい。

翼晶族の故郷である島々は、不思議な事だが空に浮かんでいる。理由については誰も知らないが、イル教では天空の神、すなわちドラゴンの加護であるとされている。胡散臭い話である、とローザはその話を聞いてすぐに思った。異種族である翼晶族の僧侶も、大地の女神を信仰する神官達と結局変わらないのだとローザは知った。そもそもローザが風晶騎士団に加入したのは、翼晶族の宗教であるイル教に興味があった訳でも、王国のために働こうと思った訳でもなかった。ただ単に、彼女の個人的理由によるものだ。彼女は神に祈らない。大地の神にも、天の神にも。


 ローザ・ユーステットは、ある日神を信じなくなった。何がきっかけだったかと言えば、数千年飛ぶ事のなかった天空神、ドラゴンが飛んだ日だ。巨大な翼から振り落とされた鱗粉で、空が赤黒く染まった日とも言う。宗教家の言い分を借りれば、神罰だった。母なる大地の神は、翼の下にいた人間を救ってはくれなかった。瓦礫の中で死に向かっていた一人の少女は、生きる力と引き換えに自らの生命の象徴を奪われた。

それなのに何故、彼女は望んでここに身を置いているのか。とても単純な話だ。イル教と翼晶の近くにいれば、ドラゴンの情報が手に入るかもしれない。何せ翼晶が鬼化するのも、ドラゴンの鱗粉を浴びてしまったせいとの説が強いのだ。神の強大な力に触れて高度知性体の霊的回路が暴走するためだと言われているが、数千年に一度あるかないかの事件なので、彼等の中でも言い伝えの域を出ない。ともかく彼女は天空神、ドラゴンを追っていた。彼女が生き残った理由を知るために、あるいは呪いを解く方法を知るために。だがもしもそれが知られてしまったら、叩き出されてしまうかもしれない。いや、叩き出されるだけならまだいい方だろう。許可なき者が神に近づこうと目論む事すら、王国でも重罪に当たる。

そのような事だから、ローザにとって風晶騎士団本部は、あまり居心地がよくない場所になっている。



 遠い場所へ思いを馳せていると、いつの間にかムイが戻って来ていた。天井を仰いだままのローザに己の存在を気づかせようと、目の前で片手を振るなどしている。何がそんなに楽しいのか、気色悪いほど満面の笑みを浮かべながら。ローザが我に返ったのを確認すると、懐に入れた手を勿体振った様子で引いて行き、やや大袈裟な動作で掲げる。その手には革製の四角い袋。給料を貰って来た事など最初から知っていたので、ローザは別段特別な反応を返さなかった。

王都から仕事を貰い旅に出て、指定された翼晶を回収し、王都に帰り、本部で結果報告と給料を貰い、それを元手にまた旅に出る。毎回そういう流れだったし、今ムイがやったように跳ねて喜ぶほど大金を貰えている訳でもない。しかし彼は、ローザの反応が薄くてもお構い無しだ。

「お給料を貰ってきました。せっかく都会に戻って来たんですから、これでちょっといいものでも食べません?」

「いいものを食べている余裕はないだろう。給料を貰ったならまず、武器の手入れをして貰わないといけないし、次の仕事を見てから保存食の量と必要な装備費を計算して……」

「いいじゃないですかー。悪どい贅沢じゃないですし、たまになら罰なんか当たりませんよー」

「聖職者が言う台詞か」

「違います。何を隠そう、経典にも同じような事が書いてあります」

「無駄遣いは駄目だ」

「人間のくせに欲望が薄過ぎるというか、仕事しかやる事がない人間というか」

「お前は聖職者のくせに欲望に敗北しすぎだな」

「ああ言えばこう言う……」

 ローザがつれない言動を続けていると、ついに溜め息をつかれてしまった。

しかし、呆れた様子で話している言葉は途中で止まる。どうやら背後からの不意打ちにより、一瞬息を詰まらせたらしい。ローザも何となく気配は察知していたが、危険なものでないので放置していた。

「気づくのが遅い! 修行が足りんな!」

 生臭坊主の腰の辺りから顔を出したのは、小麦色の肌と金色の髪を持った少女だ。人族でいうところの十歳くらいの外見をしている。腕を上げたりして犯人を探すムイから逃げた後、形のいい緑色の目を細めて満足気に笑った。神出鬼没の気分屋、無邪気な少女にしてやり手の老婆、隠した爪は時に鋭い。彼女の正体は、イル教の女装束を身に纏った翼晶族の高僧だ。今は他の翼晶族より一対多い四枚の翼を揺らし、ムイの隣で悪戯小僧のようににやけているのだが。乳白色に染まった翼の内初列一枚目の風切り羽根は、四枚全て太陽の黄金色をしていた。

『げっ、金晶空老師』

「何じゃその反応は。昔馴染みの神聖なる美少女を前にして出る言葉か?」

 教国語で何やら呻いたムイに向かって、またもや冗談めかしてそう言う。小鳥を思わせる唇からは見た目通り若々しい少女の声が飛び出すのだが、声色の方には不思議と深みを感じるものだ。

 ウァシニ・イラ=イミラスーヤ、またの名を金晶空老師。

イル=テギル教国連邦の名だたる老師の一人にして、風晶騎士団の団長も兼任している人物である。

見た目は少女だが、実際はそこらの翼晶族よりずっと長らく生きているらしい。翼晶族は人族よりも寿命が長く、その実年齢は外見からでは分かり辛い。しかし、見た目が老いていたり赤子であればほぼ見た目通りの中身であるとはムイから教わった事がある。相手の翼晶族が子供の見た目でも、人の子と同じような扱いをしなければとりあえず安全だとも言っていた。

「しかしお主ら。初めて仕事をした日より結構な時が経つが、仲はよくなったか? 実際体験してもう分かっているとは思うが、この仕事は過酷なものじゃ。お互いの事をきちんと知っておかないと、いざと言う時命取りになるぞ?」

「それなりに……」

「ですね。そこそこ支障はなくなったのでは」

 二人の意見は一致する。その答えにウァシニはいまいち納得できない様子で、眉間に小皺を寄せてひとつ唸った。しかしある瞬間にくるりと表情を変え、ローザに歩み寄ると未だに耳慣れない言葉をかける。しかも、速度が早い。

『そうだ、ローザよ。教国語はどれくらい覚えたか? 元気ですか? 犬と猫どっち派ですか?』

『すみません、まだ少し分かりません。元気です』

「そう緊張するでない。前より喋れるようになっているではないか。もっと自信を持つがよい」

 それにしても、と考えながらローザは椅子から腰を上げた。目上の人間が立っているのに、こちらが座っていては失礼だろうと判断したためだ。それにしても、ウァシニは少し変わっている。風晶騎士団の頂点に君臨する権力者の身でありながら、こうして本部中を駆けて直接末端の顔を見て回っているのは熱心な事だ。やたらと権威を振りかざしたりせず、かと言って頼りなく見える訳でもなかった。ローザが祖国にいた頃でも、そうそう見なかった部類の人間である。普通の上司だったならありがたいだろうが、ローザの立場上会うのが気不味い存在であるのは残念な話だ。


 翼晶族は大なり小なり氣の流れを読み、操る能力を持つという。聞いた話と実際見て来た事を総合すると、この種族的特徴にやはり間違いはなさそうだとローザは判断している。とはいえ無闇に相手を読もうとする行為は彼等の間で強く禁じられているし、物心つくまでには自由にコントロールできるようになるそうだ。外へ溢れた感情の動きや生命力に関する表面的事項を感知する程度で、こちらの考えている内容自体がはっきり分かる訳ではないらしいが、それでもローザとしては心配だった。

「それからムイよ。戒律はちゃんと守っておるか? 規則を守る事は己を律するという事じゃ。空が天にある限り、その姿行いを、天空神様はいつも見ておられるぞ」

「……はい」

 ムイは眼鏡の弦を撫でつつ位置を直した。自分の後ろめたい部分を、金晶老師、あるいは天空神に見透かされる事を恐れているのだろうか。彼は時折湧いて出る大酒への衝動を、未だに律す事が出来ていない。

いつからそうなのかローザは知らないが、少なくとも出会った時点では酒を呑む事が趣味だった。とは言え彼が誰かに迷惑をかけた事例は一度もなく、呑み過ぎると翌日役に立たなくなる事もない。あるいは禁止されている鶏肉を、時々こっそり食べている事だろうか。ウァシニとは知古らしいから、彼の悪癖など彼女は既に知っているのかもしれないが。どちらにせよ先程本人も言った通り戒律違反以外の悪どい要素はないし、たまの贅沢と同じだから気にする事はないのではないか。いや、神との約束を破る事に対してなにより罪悪感を覚えるのが、聖職者という生き物なのかもしれない。そうローザは思い直した。しかしウァシニが受けた印象は、ローザとは別のものだったようだ。平たい胸の前で腕組みをして、小難しい顔をした。

「全くお前の一挙手一投足は大袈裟と言うか、毎回実にわざとらしいのう。癪にさわるわ」

「ちょっと奥さん聞きました? この人いつも私限定で酷いんですよ」

「私は奥さんではない。ローザだ」

 一言突っ込みを入れてから、様子を見つつ資料を畳み、帰る準備を始める。目の前では、ウァシニとムイの平和なやりとりが続いていた。この空気の中で暴露したらどうなるだろうかと思いながら、彼の宗教家人生と名誉を守るため黙っている選択をしたローザである。隠し事に関しては、彼女も他人を笑えないのだ。

天空神が全てを見通すのならば、ローザの心も見えているのだろう。そんなに簡単に分かるのならば、今この場に現れてみればいいと彼女は半ば投げ遣りに思った。喉笛に剣を突きつけてでも、自分一人を生き残らせた理由と、この呪いを解く方法を聞き出してやると。

 するとムイが、こっそり否定の意思らしきものを込めた視線を送って来る。何が『否』だと言うのか。隠していたつもりだが、自分でも気がつかない内に剣呑な空気を放ってしまったかもしれない。金晶空老師の前でさすがにこれはまずい。目の前の彼女は気にしていないのか、何事もなかったかのように平然としている。ウァシニほどの実力者ならば、僅かな氣の揺らぎに必ず気づくはずだ。彼女よりも遥かに階位の低いムイですら、素早く察知しているのだから。何だか妙な空気になってしまった。ウァシニは区切りとして、ひとつ咳払いをする。

「つまりはだ。此度の天空神様のお怒りは、天を裂くほどの凄まじく恐ろしいものであったが、二つの種族が手を結ぶ事になったのはきっと何かのお導きじゃ。幸いにも高度な知と技を備える者同士、最初の世代である我々が、立派に試練を乗り越え見本の標とならねばな」

 双方の間に壁は沢山ある。翼晶族の崇める神であるドラゴンを、人族のローザは追いかけていた。それでも共に歩めると、そう言うのだろうか。ウァシニは彼女のできるやり方で、信じる神を視失ったローザのために祈ってくれる。彼女のその気持ち自体は嬉しいものだった。

傍らのムイが金晶空老師に向かい、姿勢を正して深く頭を下げた。

「お主の行く道に善き風の加護あれ、焔髪の娘ローザよ。今日は美味しいものでも食べて、十分に息抜きをするがよい」

 ウァシニはローザに励ましの言葉をかけ、元気よく去って行った。これから別の人間に声をかけに行くのだろう。喜怒哀楽色とりどりの少女然とした言動を見ていると、彼女が忙しい大人であるのを忘れてしまいそうになる。

「行ってしまいましたねえ」

「そうだな」

「それでは、我々も行きましょうか」

「どこへ」

「どこへって……金晶空老師の仰る通り、美味しい晩御飯を食べに行くに決まってるじゃないですか。ローザさんは未だに一人も友達がいないので、今日は特別に私が付き合ってあげましょう! なんと奢りです!」

「一言多いし余計なお世話だ」

 奢りも何も、とローザは思う。常に二人で行動するし出費は同じ給料袋から出るのだから、どちらが払っても結局同じだ。呆れたローザは、ムイを置いて先を歩いて行く。

廊下を歩く間何処の店の何を食べたいか聞かれたので、何でもいいと返す。毎回変わらない。彼女にとって食事とは生命を維持するための行動であり、それなりの量を食べられれば美味かろうが不味かろうがよかった。なのにムイは毎回、ローザに同じ事を聞いてくる。ろくな返事が帰って来ないのに、よく不毛な努力を続けられるものだと他人事のように思う。正面の門を潜って敷地の外へ出た頃には、今晩の食事に対するムイの答えは出たようだった。

 ローザはその琥珀色の瞳で真上を見る。空を仰げばいつの間にか灰色になっているのを知り、数十分後には軽く雨でも降りそうだなと予測を立てる。

あの雲の向こうに天空神がいる。ドラゴンがいる。初めの一歩を踏み出すと、石畳から砂埃が舞って僅かに湿った臭いがした。



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