25 雲の道


 何事も成さず何者でもない自分と向き合い、見切りをつけたスズキ。


 現実に打ちのめされても最後まで立ち上がり続けた者が残るのだとか、才能にかこつけた言い訳だとか、叱咤の言葉はいくらでもあるけれど、わたしはスズキを責める気にはなれなかった。


 現実に立ち向かい続ける勇気。今あるもので足りる心を知る気付き。


 どちらを選ぶにしろ、選んだ道とその結果を引き受けていくのはスズキに他ならず、その重みを背負っていくのもまた彼自身である以上、わたしに言えることは、とても少ない。


 それに描けなくなるという事態は、わたしにとっても他人事ではないのだ。


 キシという圧倒的な才能を前に、わたしはどこかで自分の未来に、現実的な着地点を予感しはじめている。それは季節がめぐるように、わたしにはどうすることもできない、大きなうねりに思われた。


 チリン。


 風鈴が鳴った。

 取り止めのない思考を止めてわたしは顔を上げる。

 風に遊ばれてくるくると躍るイルカの風鈴と一緒に、夏の青空が見えた。

 地平の向こうで、入道雲が峻峰のように連なっていた。

 眩しさが涙のように視界を滲ませる。


 「飛んでいけそうな空だね」


 ぽつんと呟く。

 独り言のつもりだったけれど、イルマが答えた。


 「飛んでみますか?」


 わたしはまじまじとイルマを見た。


 「飛べるの?」

 「飛べますよ」

 「どうやって?」

 「鳥になるんです」


 ポエムみたいな会話に、堪えきれなくなってわたしは噴き出す。


 「詩的なジョークではなくて」とイルマが続ける。


 「鳥と“混線”するんです」


 ああ。とわたしは納得する。フク――猫とも“混線”出来たのだから、鳥とだって“混線”出来ない道理はないのだろう。

 イルマは皿にトマトリゾットをよそうと、砕いた氷を浮かべて、木べらで軽くまぜた。氷と陶器がカラカラと澄んだ音を立てる。


 「そろそろ次の段階に移る時期でしたし――」


 イルマは何かを推し量るように青空を眺めた。


 「――回復したら、今度、試してみましょう」

 「いいね」


 わたしは肯くと、もう一度、空を仰いだ。

 ちょうど飛行機が天頂にさしかかっていた。


 晴れ晴れとした青空に、スズキの笑顔が重なる。


 もしわたしが何かに見切りをつけたとき。

 わたしもスズキのように晴れやかに笑えるだろうか。

 スズキは確かにいろいろなものに見切りをつけていた。

 けれども彼のさっぱりとした顔は、何かの始まりのように見えた。


 見切りをつけることで始まる。

 そういう道もある。


 真っ青な空を、一筋の飛行機雲が、長く長く延びていく。


 わたしは行き先が気になって、雲の道をずっと見ていた。



   GIFT 5  (了)

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